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Category: 波濤を越えて  1/2

新しいお話「波濤を越えて」始めます

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新しいお話は「波濤(はとう)を越えて」というタイトルです。後書きに書きました通り、Caféアヴェク・トワシリーズの相良直の従兄、相良正樹のお話です。正樹は物心つく前、自分の性癖に気づき、懸命に周囲に隠して生きてきました。親友の田神は気づいていたようですが、正樹が傷つくのを恐れ、あえて口にはしませんでした。学芸員になるのを夢見て、独り美術室でデッサンに励む正樹を、ある日上級生が見かけます。正樹は石膏像に...

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波濤を越えて 1

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殆ど訪れる者のない午後の美術館だった。退屈な静かな時間に、「ふわぁ……」と出てくるあくびをかみ殺す。相良正樹はその時、短期のバイトで美術館にいた。 本当は学芸員として美術館に入りたかったのだが、空きがなく、派遣職員として働いている。政界にも顔のきく叔父のコネを使えば、おそらく容易に就職できただろうが、そうしたくはなかった。資格を取っても学芸員として働くのは何年先になるかもしれないが、いつかは好きなこ...

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波濤を越えて 2

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仕事場を出た頃、見計らったように電話が鳴った。「はい」「俺。もう仕事終わりだろう?飯でも食いに行こう」「そうだね。じゃあ、いつもの場所で良いかな?」親友の田神からだった。高校生のころ色々な事があって、深く傷付いた正樹を心底気遣ってくれた数少ない友人だった。大学を卒業してから田舎に帰ってきた田神は、こうして時々声をかけてくれる。結局行きつけの居酒屋で食事をすることになった。「正樹、こっち」奥のいつも...

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波濤を越えて 3

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正樹が同性にしか興味を持てないと自覚したのは、思春期前だった。色気づき始めた同級生が、互いに好きな子を報告しあう放課後、正樹は順番が来ても名前を言えなかった。「え~っ。まあちゃんってば、好きな奴いねぇの?」「うん」「なんで~?結構うちのクラス、可愛い子いるじゃん。利沙ちゃんとか、麻里ちゃんとか、利沙ちゃんとか」「あ~。お前、自分の好きな子の名の名前、二回言った~」「大事なことは二回言うんだよ」「あ...

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波濤を越えて 4

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正樹は高校生になっていた。仲の良かった友人達とは、残念ながら進学先が分かれていた。友人の中で唯一、田神と共に進んだ進学校で、放課後、正樹は変わらず美術室にいた。絵の好きな正樹の夢は、中学のころと変わらなかった。美術大学へ進学し、いつか学芸員の資格を取って生計を立てたいと考えていた。その日は、職員会議が長引いているようで、いつもデッサンを指導してくれる美術教師の姿はなかった。美術教室には、熱心な教師...

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波濤を越えて 5

そこにいたのは、腕組みをした上級生だった。半身を乗り出して、口角を片方だけ上げて笑った。「知らなかった……君って、そういう趣味があったんだ」全校生徒の信頼あつい冷静沈着な生徒会長がそこにいた。しかも理系文系合わせて成績も常にトップクラスという、絵に描いたように華やかな柳瀬という上級生は、正樹には苦手なタイプだ。壇上にいるのを見かけることはあっても、言葉を交わしたこともなかったし、話しかけようと思った...

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波濤を越えて 6

「何を言ってるの……できない……そんなこと」「美術室で胸像のマルス相手に、オナっていたくせに俺にはキスできないの?」「……してないっ、そんなこと」「声を掛けなかったら、君はキスをしながら、恍惚とセクスを扱いていたに違いないよ。そうだなぁ……床には、白い精液の溜まりができていて、俺はとても驚きました。言わないでおこうかと思ったのだけど、秘密を一人で抱えるのは辛いんです……って担任に切りだしたら、きっと驚くだろ...

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波濤を越えて 7

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田神が野球部の練習を終え、正樹を迎えに美術室に寄ったとき、部屋から出てきた柳瀨とすれ違った。「一年生……?ああ、相良を迎えに来たの?」「そうですけど……?」「ちょうどよかった。貧血みたいなんで、誰かを呼びに行こうとしていたんだ」「正樹……?」「たまたま通りかかったら、真っ青になってうずくまっていてね。こういう事は、よくあるのかな?」「田……神……」血の気をなくした正樹が、のろのろと田神の傍に歩み寄ろうとして...

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波濤を越えて 8

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今にして思えば、些細な事だった。美術室で石膏像にふざけてキスをしたのを、上級生に見られただけだ。最後まで、冗談として押し通すこともできたはずだった。だが正樹には、できなかった。その行為の裏に隠された自身の暗い性を、柳瀨に暴かれた気がしていた。耳朶に囁く様に突き付けられた脅しの言葉は、誰もいない美術室で、正樹がいつかこっそり行った行為だったからだ。もしかすると、本当にどこかで見られていたのかもしれな...

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波濤を越えて 9

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柳瀨の行為自体は稚拙なもので、正樹の身体が傷つけられるようなことはなかった。後にして思えば柳瀨もまだ未熟な少年で、大人びた言動ほど成熟していなかったということなのだろう。女性との性行為を経験していても、男性と身体をつなぐ方法を知らなかったのかもしれない。だが、柳瀨は新しい玩具に執拗に夢中になる子供と同じで、なかなか正樹を手放そうとしなかった。柳瀨は苦痛に歪む正樹を、微笑みながら言葉で苛んだ。正樹の...

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波濤を越えて 10

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柳瀨は意地悪く言葉を重ねた。「この間、君が倒れた時の田神の慌てようったらなかったね。ちゃんと食べないから、貧血で倒れたりするんだって怒ってた。彼はいつもあんな風に、君の心配をするの?」「倒れたの……初めてじゃないから……それに、田神の家は近所だし……」「本気で心配していたね。君も田神の事を好きなの?」「友達です……」「あの後、自転車の荷台に乗って、田神の腰に手を回していただろう?」「な……に?」「俺が見てい...

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波濤を越えて 11

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正樹は、それからしばらく学校へ来なかった。田神が何度電話をかけても、体調が悪いとだけ話し、それ以上の会話を進展させなかった。焦れた田神は、とうとう様子を見に訪れた。正樹の母は、朝早くに事務の仕事に出てゆく。田神は少し遅い時間に、玄関チャイムを鳴らした。「正樹!俺!いるんだろ」「……田神……うるさい」ぽってりと腫れぼったい目をして、パジャマのまま玄関に現れた正樹を見て、田神は絶句した。「どうしたんだ、正...

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波濤を越えて 12

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もう聞く必要はなかったが、あえて田神は口にした。「会長を好きなのか?」「……あんなやつ、好きじゃない」正樹は必死にかぶりを振った。「だったら、好きでもない奴にキスをされて、落ち込んでいると思ってもいいんだな」「誰でもキスくらいしてるって、言われたよ……本当なの?」「質問の答えになってないよ、正樹。だけど、確かに大げさだけど、嘘でもないと思うよ。外国へ行けば挨拶みたいなものなんだから、そんな風に悩まなく...

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波濤を越えて 13

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とうとう正樹は白状した。ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。「……僕といるときのあいつはまるで人が変わったみたいに、僕を扱うんだ。何もわかっていないって何度も蔑むように言われたけど……僕は、きっと何も知りたくなかったんだと思う」「無理やり知ろうとしなくても、個人差はあっても自然に知るときは来るよ。姉ちゃんの部屋の女性誌の内容なんて、すごいぞ。彼に好かれるキスとベッドテクニックとか見出しがついててさ。タイトルだけ...

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波濤を越えて 14

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初心な正樹は、同じキスでも相手によっては嫌じゃないということに、今更のように気が付いたらしい。田神に何度もキスをねだり、見つめては確認しているようだった。とうに始業時間を過ぎていたが、二人ともすっかり忘れて抱き合っていた。「田神……もう一度、キスして……」「何かもう、正樹となら最後までやってもいいか~って気持ちになる……やばいな」何度目かのキスを交わし、二人は見つめ合っていた。はだけたパジャマからのぞく...

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波濤を越えて 15

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それから半年後、宣言通り正樹に寄り付かなくなった柳瀨は卒業してゆき、正樹は美術室の住人に戻った。周囲はどう思っていたかは知らないが、田神との関係は友人のまま進展することはなかった。やがて希望通り、正樹は美術大学に入学し、卒業してからは学芸員補として美術館で働いているのが現実だ。*** 「田神。携帯が鳴ってるよ」「誰だ、こんな時間に……学校から?ちょっと待ってて」田神は携帯を手に、居酒屋の外へ出たが、...

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波濤を越えて 16

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過去を知るものでも、おそらく誰か気づかないだろう。「驚かせたようだな」「……いえ。お久し振りです」「俺の事は、耳に入っているか?」「噂は聞きました」「そうか。見る影もなくなったんで驚いただろう?これが、時代の寵児と呼ばれた男の成れの果てだよ」どう言えばいいかわからなくなった正樹は、自販機でコーヒーを買うと、柳瀨に手渡した。「どうぞ」「悪いな……ああ、うまい。コーヒーなんて何か月ぶりかで飲んだよ」「そこ...

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波濤を越えて 17

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昼間の熱を吸った、むっとする草いきれが、鼻腔に広がった。「やめてくださいっ」「もう何も知らない子供じゃないんだろう?相良、一度だけで良いから……」「何を言ってるんです」「相良……頼むから」「嫌です。放してくださいっ」二人はバタバタと揉みあっていた。突然、覆いかぶさっていた柳瀨の体が軽くなり、視界から姿が消えた。ふわりと浮遊した柳瀨が、どっと傍らに放り出されたのを、正樹はわけもわからず眺めていた。「大丈...

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波濤を越えて 18

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柳瀨を見送った正樹は、見えなくなった男を探した。いつの間にか姿が消えていた。「どこに行ってしまったんだろう……あっ、いた!あの……っ!待ってください」夕闇の中、去ってゆこうとする大きな背中に追いついて、頭を下げた。「助けてくださってありがとうございました」「どういたしまして。でも、わたしは余計なことをしたのではないですか?別れるとき、とても仲のいい友人に見えました」「彼は今、事業に失敗して、とても苦し...

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波濤を越えて 19

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必死に言葉を重ねてきた。「わたしは褒めたつもりだったのです。でも、あなたに不愉快な思いをさせたのなら、謝ります」「あ、僕の方こそ……助けてもらったのに、責めるようなことを言ってすみません。僕はこの容姿のせいで、嫌な目に何度も遭ったことがあります。だからつい過敏に反応してしまいました。決してあなたのせいではありません……」「嫌な目?」「……先程のようなことです。僕も護身術を習っておけば良かったですね。貴方...

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波濤を越えて 20

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見ず知らずの外国人を、どうして家に上げようと思ったのか自分でも不思議だった。これまで正樹は、ごく少数の限られた人としか付き合いがない。おそらく、数少ない友人の田神などは唖然とした後、考えがないと言って怒り出すかもしれない。それでも正樹は扉を開け、自分の領域に初めて誘った。自分をゴッホの描くアイリスに例えた大きな男。その横顔は、正樹の恋したマルスの石膏像に似ていた。「わたしの顔に何かついていますか?...

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波濤を越えて 21

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それは正樹が高校時代から、折に触れ手を入れ続けた素描の束だった。「素晴らしいです。本格的に習ってきたんですね」「技術的にはまだまだですけど、自分と向き合う時間はとても好きです。誕生日プレゼントに石膏像をねだったくらい、デッサンに嵌っていました」「それはすごい」「そこの隅に、埃除けの布をかけて置いています。家を出るとき、荷物はあまり持って出なかったのですが、マルスだけはどうしても手元に置いておきたか...

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波濤を越えて 22

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母親は、正樹の膝に縋りつき、謝りなさいと泣いていた。「正樹……正樹、早くお父さんに謝りなさい。」「……何を謝るの……?わからないよ……」「正樹はこんな本、興味本位で持っていただけよね。そうね?お母さんが騒いだのがいけなかったのね?そうだ、田神君に借りたのを忘れていたんじゃないの?」「違うよ……その本は僕がネットで買ったんだよ。僕は……」「ぅわーーーーっ!わぁーーーっ!」突然、半狂乱になって地団太を踏み、わめき...

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波濤を越えて 23

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居場所を失った日を思い出すだけで、胸が痛み苦しくなる。自分を慈しみ育ててくれた両親を、奈落の底にたたきつけるようにして深く傷つけてしまった過去は、どうやっても消せない。申し訳なさに苛まれ、いっそ死んでしまえばすべてが終わると、何度も思ったができなかった。これ以上の苦しみを二人に課すだけだと思い直した。すべてを知る友人、田神が傍に居てくれたことも、大きかったのかもしれない。フリッツの問いかけに、締め...

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波濤を越えて 24

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備え付けの風呂を見せると、想像通りフリッツは大喜びした。「おお、ドワーフ(小人)の浴槽!」「……成人男子が入る湯船です」「あまりに可愛らしくて。でも、これに二人で入るのも楽しそうです。正樹は僕の膝の上に乗ってください。」「つつしんでお断りします。どうぞ、ひとりで使ってください。シャンプーや石鹸は、隅に置いてありますから」「え~……」タオルを受け取ったフリッツは、露骨に失望の色を浮かべた。「正樹は……不思議...

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波濤を越えて 25

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初めて好ましいと思った男に、気持ちが通じた刹那の喜びに、正樹は高揚していた。思い切って飛び込んだ胸は厚く、注がれる視線はどこまでも甘かった。フリッツを見上げた正樹は打ち明けた。「……あなたは僕の初恋の人にとても良く似ています。初めてあなたを見た時、そう思いました。」「正樹の初恋の男は、どういう人だったの?」「そこの部屋の片隅に……僕は人形に恋するピュグマリオーンだったんです」「ん?……これ?ああ、キプロ...

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波濤を越えて 26

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悪戯なフリッツが、怖気づいたのに気が付いて覗き込んでくる。「どうしました?可愛い正樹」「な……んでもないです」「どきどきしてる?正樹の心臓はとても正直だね。部屋の空気が震えている」背後から抱きしめてきたフリッツに、薄いパジャマのズボンの上から、持ち上がった容を軽く撫でられて、正樹はひどく狼狽し取り乱した。「あの……もう、眠りましょう。僕も明日は仕事ですし、あなたも疲れているでしょう?薄い布団しかありま...

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波濤を越えて 27

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カーテンの隙間から、細く日が差して来て、正樹は眩しさに目覚めた。傍らに眠るフリッツの顔は、幼く見えて、正樹はふっと微笑んだ。西洋人らしい高い鼻梁が、頬に影を落とし、少し疲れているようにも見える昨夜の大胆な自分を思い出して、正樹は一人頬を染めた。薄紫から橙に色を変える空のどこかで、目覚めた小鳥が朝を告げた。「食べるもの、何かあったかな」小さくごちると、フリッツの金色の睫毛が瞬いて陽を弾いた。ゆっくり...

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波濤を越えて 28

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美術館の中は、相変わらず閑散としていた。人が来はじめるのは、もう少ししてからですと正樹が教えた。昨日から楽しみにしていた日本工芸賞の作品を、フリッツは一つ一つ丁寧にゆっくり見て回った。「わからないことがあったら質問してください。できる範囲で答えます」「ありがとう。……これは何という焼き物?」「それは砥部焼というんです。日常に使われる陶器が多いようです」厚めの白磁に流麗な筆致が躍る。呉須を使って描いた...

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波濤を越えて 29

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夕刻、いつもの居酒屋に呼び出された田神は、グラスを重ねる正樹を心配していた。こんな風に飲む正樹を見たのは初めてだった。「で?そのままその外国人は帰ってこなかったの?」「そうだよ」「柳瀨さんから助けてもらったとはいえ、正樹は行きずりの男と寝たってこと?」「だから、そうだって言ってるじゃないか」珍しく正樹は、いらついていた。「連絡先は?」「聞いてない」「メアドは?」「知らない」「はぁ……?」田神は呆れた...

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