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Category: 砂漠の赤い糸  1/1

砂漠の赤い糸 1

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大江戸で「油屋の若旦那」と二つ名で呼ばれていた異国の青年は、今、機上の人となりながら水滴の走る窓に額を付けた。もう二度とこの国に降り立つことはないだろう。愛する人を残して一人国許に帰る、それだけのことが今はたまらなく悲しい。自分の心中を察した天が、共に泣いている気がしていた。「雪華……」誰にも祝福されることの無い、報われぬ恋が終わりを告げる。プライベートジェットのゆったりとした皮張りの椅子に、人払い...

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砂漠の赤い糸 2

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コンクリートの街の地下に、夢のような世界が広がっていて、蝶のような羽を持った美しい不思議な生き物が棲んでいるという話は、子供のサクルが大好きな話だった。病気がちだった息子のために、父が語った話に、彼は夢中だった。「それから?お父さま。そんなに高い履物を履いて、大江戸のオイランはどうやって歩くの?」「八の字という歩き方をする。ゆっくりと転ばぬように優雅に、滑るようにな。」「こうだ。」父は二本の指で、...

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砂漠の赤い糸 3

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そこでは、二十歳そこそこの寡黙な美しい男たちが、花魁、振袖新造と呼ばれ紅い着物を着た幼い禿を連れて宴席に侍っていた。サクルは誘われて、大江戸の大通りで生まれて初めて花魁道中というものを見た。「サクルさま。あれがこの大江戸で一番の花菱楼の雪華太夫です。」「……雪華……」両袖を広げると蝶の形になる不思議なキモノを着て、父王の言うとおり優美な歩き方をしていた。真っ直ぐに前を向いて八の字で歩く、美貌の雪華花魁...

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砂漠の赤い糸 4

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日めくりというカレンダーをめくって、ため息を吐く。小姓が言いにくそうに告げた。「サクルさま。そろそろ、国許へお帰りになりませんと……。既に二週間がたっております。」「そうか、時のたつのは早い。大江戸はわたしにはつれない場所だったな。諦めて帰国の支度をするとしよう。」立ち上がったサクルは、ふと窓際に置かれた一鉢の青い胡蝶蘭を認めた。「珍しい花の色だな……これは?」「一輪だけ花をつけたそうです。サクルさま...

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砂漠の赤い糸 5

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これ以上、雪華花魁が酷い目に遭わないようにしてやってくれないか……と、切りだしたサクルに雪華花魁を抱えている花菱楼の楼主が告げた。「御心配には及びません。大事な商品なのですから、傷付けないよう十分配慮しております。」「だが、雪華花魁は泣いたではないか。わたしの名を呼んで気を失ったと聞いて、どれほどの目に遭ったのだろうと思うと、哀れでならなかった。」「サクルさまにお教えしたら怒るかもしれませんが……雪華...

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砂漠の赤い糸 6

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降り立った故国の空は青く澄んでいた。昨日までのことが全て、眩い夢の世界で起きたことのようだ。変わらぬ強い陽光さえ、出かけた朝とまるで同じに見えた。機内で民族衣装に着替えたサクルは、つかの間の自由な身分を脱ぎ捨てて、今は王位継承権を持つ不自由な皇太子となった。「おかえりなさいませ。」「おかえりなさいませ、サクルさま。」宮殿の入り口に、召使いがずらりと並ぶ。「父上に帰国の目通りをする。」「陛下は、後宮...

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砂漠の赤い糸 7

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抗ったせいで、衣服は破れ髪も乱れていた。サクルはそっと自ら着衣を直してやり、血のにじんだ手の甲の傷が深くないのを確かめると安心したように、良かったとため息を吐いた。優しく労わるサクルを、雪華は見つめていた。「言っておくが、この国に嫁ぐ気はない。後宮にはあなた一人の為の美姫や美少年が大勢いるそうだから、伽の相手にはことかかないだろう?ぼくにはやりたいことが有るんだ。」「だれがこんな目に遭わせたのかは...

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砂漠の赤い糸 8 【最終話】

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「ラクダに乗った王子さま。ぼくの本名は樋渡由綺哉(ひわたりゆきや)というんだ。雪華の名前は大江戸において来たんだよ。今のぼくは、誰もが欲しがる大江戸一の花魁じゃない。大金持ちの油屋の若旦那が欲しかった華やかな花菱楼の雪華花魁は、どこにもいないんだ。ここに居るのは何も持たない樋渡由綺哉だけど、あなたはそれでも欲しいの?。」サクルは回した腕に力を込めた、異国の美しい蝶が何処にも羽ばたいてゆかないように...

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砂漠の赤い糸 ・おまけ 【文の秘密】とあとがき

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腕の中に居る恋人の髪を、優しく指で梳きながらサクルは口にした。「君に聞きたいことが有ったんだ。由綺哉。」疲れ切って朦朧とした由綺哉は、ゆっくりと視線を巡らせた。「ぅん……?」髪は短くなってしまったが、小さな顔も疲れて青ざめたまぶたも、あの日のままだった。緩慢な動きで、サクルの胸に預けていた頭を上げた。「何……?」「いつか、君に貰った箸についていた文の意味が知りたい。愛し合った日の翌日に、花のお礼だと言...

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