小説・約束・40
耳を押さえても、聞こえてくる声がある。
「いいこと?」
「大久保伯爵様は、おまえなんぞにたくさんのお金を下さるのだから、くれぐれも失礼のないよう御仕えするように。」
「逃げ出したり、大久保様に逆らおうなんてしたら、特高警察に引き渡されてお終いだと思うことね。」
恐ろしい笑顔を寄せると、楽しくてたまらない風にそう言い、義祖母は存命の間、大久保伯爵が来るたびに、有無を言わさず凛斗を節句の日本人形のように綺麗に飾って引き渡した。
「親子でとんだ厄介者だけれど、家の役に立つことが一つだけあって良かったわねぇ。」
凛斗は目を伏せて、揚羽のように綺麗な羽をまとった。
どうせ、すぐむしられると分かっていたけれど・・・
彼女の思惑通り、生来の加虐の本能そのままに、大久保伯爵は凛斗にひたすら耽溺する。
彼は、凛斗の白い肌と青い眼が恐怖に慄くさまが気に入り、家長が病に倒れた後は、大っぴらに続木家を訪れ、夜も昼もなく気の向くままに弄って蹂躙した。
誰も止める者はなく抗えない凛斗は、まるで潮の流れに翻弄される木の葉のようだった。
押し込められた廃屋のような洋館から呼ばれ、屋敷の奥座敷に上がってまともな食事にありつけるのは、彼が来ている時だけだった。
「あらあら。おまえはこんな時でも、お腹がすくのねぇ・・・いやしいこと。」
おずおずと汁椀を持ち上げ、そっと口を寄せる凛斗に向かって、後妻はあからさまに蔑むように高笑いした。
青い眼に滲む、諦めと哀しみ・・・
知らずに、唇が震え頬がぬれる。
本家の二間続きの応接間、陽の射さない奥には凛斗と大久保伯爵ために、豪奢な羽二重の蒲団が持ち込まれた。
用意された華やかな振袖に震える手を通すと、胸が締め付けられるように痛くなる・・・
いっそこのまま、感情のない人形になってしまえたらどんなに良かっただろう・・・
身体中の血が凍るほど、冷たくなってゆく気がする。
鴨居に両腕を吊るされると、自分が雨の中に打ち捨てられた、手足のもげた人形になった気がする。
逃げ惑った挙句、行き場を失って採集された綺麗な揚羽蝶の羽根は、容赦なく嬉々とむしられて足元には絹の山ができた。
捕虫者は凛斗の何度も繰り返される哀願を聞き流し、震える揚羽を押さえつけると、嬉々として酷薄な笑みを張り付かせていた。
展翅板にピンを打つように・・・。
細い腕に、浅く剃刀で傷をつけると傷口に歯を当て血を啜った。
裂かれる痛みに耐え切れず、引きつるような悲鳴が屋敷にもれるが、使用人も近くによることを禁じられていた。
手足を縛められたまま、真白い肌を這う老人の手に、逃げる術を持たない凛斗は怯えた。
気持ちを裏切った薄い桃色の徴(しるし)がゆるりと立ち上がり、切なく揺れる。
「ぃ・・・ぁ・・あ・・・っ・・・」
声を上げるまいと、頭を振り必死に歯を食いしばる凛斗を眺めて、大久保は微かに愉悦の表情を浮かべた。
苦痛に耐え、歪む顔が加虐の興をそそるなど、およびもつかない。
「毛唐の淫蕩の血だな。」
息も絶え絶えな細い悲鳴は、羽二重に吸われ、広い屋敷の閉ざされた襖の奥からは決して漏れることはなかった。
汗と涙と絶望に覆われた青ざめた身体を、支配者は指でなぞり、やがて深く腰を埋めて引き裂いた。
えぐられ擦れた肉の奥が、血を噴いて軋む・・・
「ひっあ・・ぁっ・・・ゆっ、許し・・・」
のけぞった顎が高い悲鳴をあげ、小刻みに震え瘧(おこり)のように冷たい汗が流れた。
思わず許しを請う凛斗を、冷血動物の細い虹彩が見つめる。
「まだ・・・だ。」
生きるのはとても辛く、すぐそこに見える死は甘美な芳香で凛斗を誘っていた。
会いに行くから、待っていてという、父との約束がなかったら、いっそ死んでしまえるのに・・・と何度思ったかもしれない。
明けない闇のような長い苦しい時間を、独り耐えてきた凛斗。
どこに居ても、誰と居ても、ずっと一人だった。
ただいつか、両親と会う約束があったから、生きてきた・・・
待つことだけを夢見ていた4年前のあの日に、ひたすら戻りたかった。
自分を引き裂く相手に、白い喉元を無防備に晒したまま、凛斗は空ろに虚空を見つめていた。
打ち捨てられた哀れな凛斗は、懐かしい父の声を聞いていた。
「生きるんだよ、凛斗・・・」
「とう・・さま・・・も、う・・・」
「いいね・・・何があっても、生きるんだよ。」
死んでしまってはいけませんか・・・?
いなくなってはいけませんか・・・?
こうして生きるのは、辛いです・・・。
「・・とう・・さま・・・」
・・・凛斗は、とても辛いです・・・
闇の中で、声にならない嗚咽をかみ締めて、凛斗は父の幻に問うた。耳元に支配者の、湿気た指が寄せられる。
「まだまだ、たっぷり可愛がってやるぞ、毛唐。」
小さな顔を強引に、自分のほうに向けると、大久保伯爵は顎に手をかけ深く舌を差し入れ凛斗の逃げる舌を吸い上げた。
まだ許されないのだと知って、固く閉じた眦に一筋の涙が滴り、意識が闇に溶けた。
「いいこと?」
「大久保伯爵様は、おまえなんぞにたくさんのお金を下さるのだから、くれぐれも失礼のないよう御仕えするように。」
「逃げ出したり、大久保様に逆らおうなんてしたら、特高警察に引き渡されてお終いだと思うことね。」
恐ろしい笑顔を寄せると、楽しくてたまらない風にそう言い、義祖母は存命の間、大久保伯爵が来るたびに、有無を言わさず凛斗を節句の日本人形のように綺麗に飾って引き渡した。
「親子でとんだ厄介者だけれど、家の役に立つことが一つだけあって良かったわねぇ。」
凛斗は目を伏せて、揚羽のように綺麗な羽をまとった。
どうせ、すぐむしられると分かっていたけれど・・・
彼女の思惑通り、生来の加虐の本能そのままに、大久保伯爵は凛斗にひたすら耽溺する。
彼は、凛斗の白い肌と青い眼が恐怖に慄くさまが気に入り、家長が病に倒れた後は、大っぴらに続木家を訪れ、夜も昼もなく気の向くままに弄って蹂躙した。
誰も止める者はなく抗えない凛斗は、まるで潮の流れに翻弄される木の葉のようだった。
押し込められた廃屋のような洋館から呼ばれ、屋敷の奥座敷に上がってまともな食事にありつけるのは、彼が来ている時だけだった。
「あらあら。おまえはこんな時でも、お腹がすくのねぇ・・・いやしいこと。」
おずおずと汁椀を持ち上げ、そっと口を寄せる凛斗に向かって、後妻はあからさまに蔑むように高笑いした。
青い眼に滲む、諦めと哀しみ・・・
知らずに、唇が震え頬がぬれる。
本家の二間続きの応接間、陽の射さない奥には凛斗と大久保伯爵ために、豪奢な羽二重の蒲団が持ち込まれた。
用意された華やかな振袖に震える手を通すと、胸が締め付けられるように痛くなる・・・
いっそこのまま、感情のない人形になってしまえたらどんなに良かっただろう・・・
身体中の血が凍るほど、冷たくなってゆく気がする。
鴨居に両腕を吊るされると、自分が雨の中に打ち捨てられた、手足のもげた人形になった気がする。
逃げ惑った挙句、行き場を失って採集された綺麗な揚羽蝶の羽根は、容赦なく嬉々とむしられて足元には絹の山ができた。
捕虫者は凛斗の何度も繰り返される哀願を聞き流し、震える揚羽を押さえつけると、嬉々として酷薄な笑みを張り付かせていた。
展翅板にピンを打つように・・・。
細い腕に、浅く剃刀で傷をつけると傷口に歯を当て血を啜った。
裂かれる痛みに耐え切れず、引きつるような悲鳴が屋敷にもれるが、使用人も近くによることを禁じられていた。
手足を縛められたまま、真白い肌を這う老人の手に、逃げる術を持たない凛斗は怯えた。
気持ちを裏切った薄い桃色の徴(しるし)がゆるりと立ち上がり、切なく揺れる。
「ぃ・・・ぁ・・あ・・・っ・・・」
声を上げるまいと、頭を振り必死に歯を食いしばる凛斗を眺めて、大久保は微かに愉悦の表情を浮かべた。
苦痛に耐え、歪む顔が加虐の興をそそるなど、およびもつかない。
「毛唐の淫蕩の血だな。」
息も絶え絶えな細い悲鳴は、羽二重に吸われ、広い屋敷の閉ざされた襖の奥からは決して漏れることはなかった。
汗と涙と絶望に覆われた青ざめた身体を、支配者は指でなぞり、やがて深く腰を埋めて引き裂いた。
えぐられ擦れた肉の奥が、血を噴いて軋む・・・
「ひっあ・・ぁっ・・・ゆっ、許し・・・」
のけぞった顎が高い悲鳴をあげ、小刻みに震え瘧(おこり)のように冷たい汗が流れた。
思わず許しを請う凛斗を、冷血動物の細い虹彩が見つめる。
「まだ・・・だ。」
生きるのはとても辛く、すぐそこに見える死は甘美な芳香で凛斗を誘っていた。
会いに行くから、待っていてという、父との約束がなかったら、いっそ死んでしまえるのに・・・と何度思ったかもしれない。
明けない闇のような長い苦しい時間を、独り耐えてきた凛斗。
どこに居ても、誰と居ても、ずっと一人だった。
ただいつか、両親と会う約束があったから、生きてきた・・・
待つことだけを夢見ていた4年前のあの日に、ひたすら戻りたかった。
自分を引き裂く相手に、白い喉元を無防備に晒したまま、凛斗は空ろに虚空を見つめていた。
打ち捨てられた哀れな凛斗は、懐かしい父の声を聞いていた。
「生きるんだよ、凛斗・・・」
「とう・・さま・・・も、う・・・」
「いいね・・・何があっても、生きるんだよ。」
死んでしまってはいけませんか・・・?
いなくなってはいけませんか・・・?
こうして生きるのは、辛いです・・・。
「・・とう・・さま・・・」
・・・凛斗は、とても辛いです・・・
闇の中で、声にならない嗚咽をかみ締めて、凛斗は父の幻に問うた。耳元に支配者の、湿気た指が寄せられる。
「まだまだ、たっぷり可愛がってやるぞ、毛唐。」
小さな顔を強引に、自分のほうに向けると、大久保伯爵は顎に手をかけ深く舌を差し入れ凛斗の逃げる舌を吸い上げた。
まだ許されないのだと知って、固く閉じた眦に一筋の涙が滴り、意識が闇に溶けた。
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