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Category: 花菱楼の緋桜  1/1

花菱楼の緋桜 1

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まだ風も冷たい春先だというのに、十にもならない安曇(あづみ)は下帯ひとつで冷たい雪解け水の中に居た。ざぶりと潜り、水中で目を開くと眼前を川魚がついと通り過ぎる。水の中で逃げるなと叫んだら、どっと泡になった。安曇は、身重の母の為に魚を取ろうと必死なのだった。魚はするすると銛をかいくぐり、不慣れな安曇は息が続かなくなる。水面に浮かび上がると大きく息を求めた。「ぷはっ……!」薄日で温もった岩場に上がろうと...

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花菱楼の緋桜 2

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安曇が枕辺に座ったとき、母は難産で苦しみ抜いていた。子などいらぬと、産婆に向かって喚いていた。「母さま、どうぞお気を確かに。きっとまもなく遠くの父上もいらっしゃいますよ。しっかりなさって!」年の割に利発な安曇は、周囲の大人の噂を聞いて父が帰ってこない理由は、母にもあるのだろうと知っていた。炊事も洗濯も掃除も、妻らしいことの何もできない女は、今や主君という名の過去の遺物から下された無用の品物にすぎな...

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花菱楼の緋桜 3

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そっと裏口から外へ走り出ると、安曇は闇雲に走り出した。いつも赤子のむつきを洗う洗い場まで来ると、喰いしばった口からひゅっと嗚咽が漏れた。誰もいない所と、磯良の前でしか安曇は泣いたことがない。武家の子は、決して人前では泣かぬものと幼い頃より自然に身についていた。「父上……。どうして、わたしをお連れ下さらなかったのです。」「どうして安曇を一人、母さまの元に置いてゆかれたのです……。安曇は……もう、どうしてい...

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花菱楼の緋桜 4

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やがて安曇は、女衒の銀二に手を曳かれ、生まれ故郷を出た。帝都に着いて見上げた花菱楼の建物は、桟瓦葺の見たこともない黒漆塗りの二階建てで、安曇は張見世の華やかな紅の格子に目を瞠った。夕暮れになると雪洞を模した街灯がつけられ、あたりはまるで昼間のようになるという。「さあ。ぼんやり眺めていないで、お前はこっちから入るんだよ。」禿の見習いとして雇い入れられた安曇は、楼閣主の前で行儀よく手をつき挨拶を済ませ...

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花菱楼の緋桜 5

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「おや、できたのかい?可愛らしいこしらえだね。市松人形のようだ。」「あい。髪結いさんに綺麗にしていただきんした。」「赤い着物は初めてかい?」「……あい。紅もお振袖も初めてでありんす……。」「その大振袖は、兄さんが禿の時に来ていた物だよ。緋桜の方が色が白いから良く似合う。」緋桜は嬉しげに頬を染めた。素直に清潔な下着や着物がうれしかった。*****男が身売りをすると言えば、誰でも役者の卵が勤める陰間を思い...

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花菱楼の緋桜 6

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ぐいと引き寄せられると、浅木の膝の上に乗せられた格好になった。「あっ……あの……、一人で大丈夫です。洗えますから。」湯の中では身体は浮いて自由にならない。狼狽した緋桜は必死に身を捩った。確かめるように無言の浅木が全身を、あちこち撫でさすってゆく。逃れようとしても、緋桜の身体は抱え込まれたままだった。「は、なして下さい……っ!浅木兄……さん。ん~っ!」湯船で容易く体の向きを変えられ、口を吸われた。唇を割って...

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花菱楼の緋桜 7

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「……緋桜も……我慢しんす。早く、一人前にしてくんなまし。」「よし。いい料簡(りょうけん)だ。」下肢では、サボンの力を借りて滑る指が、狭い入口でずっと抜き差しされていた。緋桜は、浅木の話を聞いて、自分が借金の片に売られてきたことを思い出したらしい。一人前になるため必死に首を振って耐えていたが、やがて我慢できずに嗚咽が漏れた。緋桜の後孔は、指を受け入れても無垢な幼姿の皮かむりは身じろぎもせず、股間でただ細...

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花菱楼の緋桜 8

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青海花魁は、静かに禿を見つめていた。湯屋で辛い身体検めを受けても、覚悟を決めた緋桜はきちんと前を向いていた。涙の筋は残っていたが、面倒を見てくれる「兄さん」の前できちんとお行儀よく挨拶をし、運命を受け入れていた。強い子だと、青海花魁は思った。内心、ほっと安堵する。「青海兄さん。番頭新造の浅木兄さんに、ようく身体を洗っていただきんした。」「そうでありんしたか。わっちからもよくお礼を言っておきんしょう...

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花菱楼の緋桜 9

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青海花魁は、懐にすっぽりと入るほど小さな緋桜を、抱えなおした。緋桜に覚悟がなければ、いっそ自腹を切って故郷に帰してやろうかとさえ思っていた青海花魁だった。「わっちも、似たような境遇でありんすよ。おまえはどこか、わっちに似ているような気がいたしんす。ねぇ、緋桜や……おや、泣き寝入ってしまったか。」濡れた黒い目が、細く三日月になり青海の胸に縋りついていた。緋桜の覚悟は、ずっと昔に青海花魁が涙したのと同じ...

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花菱楼の緋桜 10

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年明けて、緋桜は一人前の花魁として、花魁道中をすることになった。緋桜の突出し(初めて客を取る日)の支度は、こちらも一流の呉服屋越後屋で仕立てることになっている。突き出しを迎えた振袖新造の最初の馴染客となる者は、寝具一式を贈る定めになっていてそれはもう大名の花嫁支度と同じくらい贅沢な物だ。三枚重ねの敷蒲団と夜着一枚で五十円という最上級の羽二重は、青海花魁とその旦那が用意してくれた。青海花魁は、まるで自...

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花菱楼の緋桜 11

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振袖新造の支度、「突出し」には、驚くほどの金がかかり、花魁と言えども並みの太夫程度では振袖新造を抱えることはできない。青海花魁の馴染みが目を剥くほどの大金を使ったことは、長く廓に籍を置く緋桜は知っていた。楼閣主が言うには、百円で家が建つご時世にぽんと大枚五百円ずつ、青海花魁の馴染みの上客二人が豪気にも出してくれたという話だった。「緋桜はどうすれば青海兄さんの旦那さん方の御恩に報いることができるであ...

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花菱楼の緋桜 12

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酒井磯良と名乗った田舎者は、確かに緋桜に逢いに行くと指切りをしたあの「磯良さん」だった。「そうかい。花菱楼のお客人ってんなら別だ、話はこちらで聞かせてもらいましょうか。廓の若い衆が、乱暴な真似をして悪かったな、兄さん。」「いや。こちらこそしきたりも知らずに、無粋な真似をしてすまなかった。田舎者の不調法と許してもらいたい。」約束を忘れず有り金を懐にここまで来たという純情に、いささか感動しながら緋桜の...

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花菱楼の緋桜 13

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ぱたぱたと走る音がして、襖がからりと開けられた。「磯良さん!」「安曇……っ!」「やっぱり……っ、あの声は磯良さんだった。」花魁道中の後、こしらえのまま走って来た花魁の、豪華絢爛な姿に圧倒された磯良だった。飛びついて、鼈甲の櫛が一枚落ちそうになっているのを、男はそっと直してやった。「磯良さん……っ!磯良さん、会いたかった!」「大きくなったなぁ。安曇……元々可愛らしい童だったが、なんと、綺麗な姿だろう。まるで...

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花菱楼の緋桜 14

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青海花魁は、磯良の手を取ると花菱楼のコの字型の回廊を回り、やがて磯良が見たこともないほどの絢爛とした襖に手を掛けた。しばらく、ここで待っていてくんなまし……と言い置いて中に入った。「ぬしさん。申し訳ございんせん。青海でありんす……」「ああ、青海花魁かい?ちょうど良かった。どうしたんだろうね、緋桜が何やら泣きだしてしまってね。困っていたところなんだよ。構わないから、お入り。」絵襖をそっと引くと、青海は中...

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花菱楼の緋桜 15

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部屋の外に待っていた磯良の姿を見て、緋桜のやっと止まった涙が再び滂沱の滝となった。「い、磯良さんっ!……帰ったのかと……思っ……」「安曇。綺麗なこしらえなのに、そんなに泣いたらお化粧が崩れてしまうよ。」緋桜は小さな安曇となって、幼い時のように磯良の手を取った。あの日とは逆に固く握って磯良の手を曳いた。「磯良さん。青海兄さんのお部屋に行こう。優しい青海兄さんが、部屋を使っていいよっておっしゃったの。」「安...

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花菱楼の緋桜 16

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花魁は「心」の形に結んだ帯を解く。真(まこと)を解(ほど)き、全てを晒す。廓の奥深くで暮らし、陽に当たらないきめ細やかな北国の餅肌は、吸い付くように磯良を煽った。首から下の身体中の毛を剃刀と火打石で落とし、無垢な白い肌に紅色の乳暈と幼さを残した性器が飾りのように目を引いた。廓の化粧師によって、緋桜の目元と同じように滑らかな若い茎も紅で華やかに染められていた。そっと触れたら全身が、掬った川魚のように...

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花菱楼の緋桜 17 【最終話】

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今年も花菱楼の坪庭の八重桜は、爛漫と花をつけた。磯良は国許に帰り山仕事をしながら、いつか緋桜の年季が明けるのを待っている。あれから幾たびかの季節が廻り、青海花魁は落籍(ひか)されて、銀行家の妾になっていた。緋桜花魁の絢爛豪華な花魁道中のあの日から、もう4年の月日が流れている。*****「緋桜、気分はどうだ?」青海花魁は落籍し、自由の身になっても、暇さえあれば裏木戸を抜けて、顔を出した。明るい声で勝...

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