番外編 変わらぬ想い 2
何を思ってそう告げたのか判らぬまま、杏一郎はじっと横顔を見つめた。
「……若さまにお聞きしたかったのです。わたしは何故、お役御免になるのでしょうか。御伽小姓は、若さまの元服の年までお傍に居るはずです。何かお気に召さぬことが有りましたか?」
「登城せずとも、杏一郎は父上の参勤交代に付いて江戸表へ行ってしまう訳でもない。後、二、三年もして役職に就き登城すれば、顔を合わすこともある……鶴は一人でも大丈夫じゃ。だから、婚儀後は登城するに及ばずと、沙汰を出した。」
「鶴千代さま。つれない物言いをなさる。さては藩校で多くの御友人が御出来になって、杏一郎はお邪魔になりましたかな?」
「そうではない。……鶴は、杏一郎に心配をかけまい……と思って居る。それに武家は強くあらねばと言ったのは、杏一郎ではないか。だから鶴は……」
ふっと杏一郎は微笑んだ。
「確かに鶴千代さまは、お強くなりました。馬にもお一人で乗れるようになりましたし、流鏑馬の練習も武芸指南の高坂さまが、筋が良いとおっしゃっておいででした。教授方も若さまが文武両道であらせられると喜んでおいでです。お傍でお仕えしているわたしも大層鼻が高かった……。」
「……」
「鶴千代さまには失礼かと存じますが、わたしには兄弟が居りませんから、もし弟がいたらきっとこんな風に愛おしく可愛いのだろうと思っておりました。鶴千代さまが色々なことが少しずつおできになるのが、お傍に居る杏一郎には毎日楽しく誇らしかったのです。」
「鶴は……杏一郎がいたから、頑張ったのじゃ……もしも、鶴といることで杏一郎が謗(そし)られるようなことが有ったら、側から離されてしまうから……勉強も嫌いな武芸もことさらに精を出した……」
「さようでございましたか。鶴千代君(ぎみ)は昔と変わっておいでにならないのですね。杏一郎は、婚儀後は登城に及ばずと言われ、嫌われたかと思い途方に暮れておりました。安堵いたしました。心の靄(もや)が晴れた心持にございます。」
「鶴は……鶴は……」
くるりと振り向いた鶴千代の顔に夕日が射し、公家の血を引いた母親に似た顔が、くしゃと歪んだ。涙と共にぽろりと本心が漏れた。
「鶴は……杏一郎の嫁になる女子に……杏一郎を取られると思うて、つまらぬ悋気を焼いた。いっそ、鶴が姫であったなら、杏一郎の傍にいつまでも居られたかもしれぬのに……と出来ぬことまで思った。鶴は……山鳩のひなのように、いつまでも杏一郎の懐に居りたかった……」
思わず、杏一郎は小さな弟を宥めるように、懐に鶴千代を引き寄せた。
「そのように、鶴千代さまは縋る目をなさる……」
着物の上から、汗ばんだのがわかるのは、おそらく遠乗りのせいばかりではない。
「若さまが姫なら、きっと杏一郎はお傍に居ることを望めませんでした。こうして、鞍を並べ遠乗りに出かけることも叶いますまい。幼い時から、一途にずっとこの杏一郎の腕だけを求めて来られた若さまを、杏一郎は誰よりも大切に思っております。同輩を差し置いて、御伽小姓(幼君の遊び相手をする小姓)に選ばれた折りも、どれほど誇らしかったか。今も昔も、杏一郎には鶴千代さまが、赤べこを抱いたお可愛らしい若さまに見えておりまする。」
鶴千代はその言葉に励まされるように、杏一郎の背中におずおずと手を回した。
「鶴の……傍に居よ、杏一郎……何が有っても、ずっと傍に……」
「はい。」
杏一郎は主の頬に手を添えると、軽く唇を啄ばんだ。
御伽小姓として傍に居る以上、いつかは衆道の手ほどきもせねばなるまいと密かに思っていた。だが、戦の無い平和な今は、無駄に男色に溺れさせるようなことをしてはならないと思う。
家中の為に、子を成し血を絶やさず家名を存続させることが、いずれ藩主となる鶴千代に求められることだった。
いずれは寡婦となった若い乳母が筆下ろしもするだろう。
それこそ口には出さなかったが、、密かに胸の内で悋気を焼いた杏一郎だった。
「いつかは鶴千代さまも、三国一の花嫁御料をお迎えせねばなりませぬ。ご立派な藩主になられた頃には、この杏一郎も父の跡を継ぎ家老職を拝命しているやもしれませぬ。」
「……うん。」
「鶴千代さまは、桃の花と桜花、どちらがお好きですか?」
「妙なことを問う……花はどれも好きじゃ。懸命に咲いておるものを、いずれも比べようもない。違うか?」
「花に悋気を焼いても始まりますまいと、言いたかったのです。杏一郎はこの命のある限り、例え天地が逆さまになりましても鶴千代さまのお召しのある限り、ずっとお傍に居ります。」
憂いの晴れた鶴千代の頬に、もう光るものはなかった。
若き主従は夕日の中に並び、陽の落ちるのをじっと見つめていた。
*****
主人を思う忠義の心に偽りはなかった。
慕う鶴千代の想いも変わらなかった。
杏一郎が大切に育んできた幼い鶴千代は、数年後、藩主となり類いまれな名君と言われるようになる。
いつも藩主の傍らには、忠義な知恵者の国家老がいた。
「国家老。今年も遠乗りに出かける。付いて参れ。」
「はっ。お供、仕りまする。」
花の季節、鞍を並べて藩内視察に出かけた。
二人だけが知る秘密の場所から眺める里山には、秘め事を知る華やかな桃花が咲き誇っている。
番外編 変わらぬ想い ―(完)―
<あとがき>
本日もお読みいただきありがとうございます。
悋気とはやきもちのことなのです。
どこか変わってゆくお互いに、やきもちを焼いた主従です。
武家の世界では男色は当たり前で、女色に溺れるくらいなら、妊娠の心配もなく行儀の行き届いた若い念弟が良いと、親が勧めた話もあります。
男色もたしなむけれど、きちんとした相手と結婚をして子をなす……のが普通です。
秘密の場所で、杏一郎は鶴千代に男色の手ほどきをしたのでしょうか。うふふ~ (*⌒▽⌒*)♪
明治を境に、こういったことは闇に埋もれてしまいました。
ごく当たり前の出来事だったのに.+:。(*-ω-)(-ω-*)゚.+:。ねー
大津と義高のことに、大津パパが寛容なのも当然と言えば当然だったりします。
それでは、又新しいお話しでお目にかかりたいと思います。
隼ちゃんのホワイトデーの話とか書くつもりだったのですが、時代物に転んでしまいました。(*⌒▽⌒*)♪
またね。 此花咲耶
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