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隼と周二 恋人たちの一番長い夜 4 

強い西日は、遮光カーテンで薄日になっていた。
ベッドの傍らで、長い指を組んで沢木はじっと最愛の息子の顔を見ていた。
浅く息をするだけの青白い横顔に、遠い過去の痛ましい姿がかぶる。

まだ学校に上がる前、自分に対する妄執を受けて隼は誘拐された。
精神的に追い詰められた誘拐犯が、幼い隼に一体何をしたか……それは、隼の傍に居る周二にはまだ話せずにいた。

長い病院暮らしの記憶は、昨日のことのように鮮明だった。
リハビリが嫌だと泣く幼い隼を、宥めたりすかしたりしながら親子で何とか乗り切った。
傷付いた肛門に、一日に何十回となく入れられる医療機器の冷たさに、怯える息子の姿に、沢木は隠れて本気で泣いた。
いっそ代わってやりたいと何度も空しい願をかけ、それでも毎朝息子には笑顔を向けた。
獣のような声が怖くて、時々大声や怒声に反応して軽く意識を失ったりすることは、退院した後もこれまで何回か有った。
沢木は忘れない。
それどころか、油断すると記憶の底に引き込まれ、悪いほうにしか考えられなくなるのは、隼ではなく自分の方だ。
最愛の息子を、こんな目に遭わせた犯人を心底憎んだ。

隼が誘拐されて3日目に、監禁された場所をやっと見つけて飛び込んだとき、隼は血の海の中で瀕死の状態だった。
意識が戻るまでの何ヶ月もの間、ずっとベッドで抱いて過ごした小さな隼は、長い間今のような状態だった。

カタ……とドアが細く開く。
振り返らずに入ってくれと告げた。
「隼の様子は?まだ、気が付かないんっすか、沢木さん」
「……ああ」
はっと浅く息をつき、ベッドの上の隼は、物音に緩く視線をめぐらせた。
「隼……」
意識はまだ戻っていない。
視線の先に周二を認めて何か物言いたげな風だが、そのまま又固く瞼を閉じてしまう。
時折長く細い悲鳴をあげ、助けを求めるように腕を伸ばす。
手を握りしめてやるとほんの少し柔らかな表情になって、軽い眠りに入るその繰り返しだった。
「可哀想に。守ってやれなくて、ごめんな……」
汗に浮いた額の髪の毛を、そっと払ってやった。
いつも潤んだ瞳を向けて、うれしげに「周二くん」と名前を呼ぶ恋人は、固いベッドに身を預けて身じろぎもしない。
長いまつげが、薄青い瞼に影を落としていた。

「……時々、目を開けるのは、探しているんだろうと思うんだ」
「沢木さん?」
「夢の中でも4代目を探してる風なんだ。じっと見ていると分かる」
そこにいるのは、子連れ大魔神と恐れられるマル暴の刑事ではなく、病気の子どもを心配する一人の父親の姿だった。
ベッドの脇に肘を付き、視線はじっと見守るように息子に向けられたままだ。
痛いほどの愛情を見やりながら、周二は思い切って訊ねた。
「俺に、何か用があったんですか?」
「どうした?」
「……できれば、隼が気が付く前に、急ぎで済ませたい用件があるんです」
その一言に、想像のついた沢木の視線が険しくなった。
「まあ、掛けろ。話があるから呼んだんだ」
周二に向かって、恐るべき話を沢木は語った。
それは、周二が初めて知る話だった。

「以前、少しだけ話したことがあったろ?こいつが昔、誘拐されたって話」
「はい。沢木さんの仕事上の逆恨みとかって聞いてます」
「あれな、本当のことを言うとな、犯人は俺に付きまとっていたストーカーだ」
「ストーカー……」
沢木を付けねらうなんざ、豪気な野郎だぜと思ったのが、どうやら顔に出たらしい。
一発ごんと、目から火花の散る拳骨を頭にくれて、沢木はふっと笑った。
実際、沢木は部類で言うなら整った方なのだろうと思う。
必要以上に、むさくるしくしている(としか思えない)無頓着な恰好と、中途半端な無精ひげを何とかすれば、かなりいい男なのかもしれなかった。
それにしても、何故ストーカーは幼い隼に理不尽に乱暴したのだろう。
「そいつ……受験に失敗して、荒れまくってたガキだったんだ。繁華街でチーマー相手に喧嘩を売って、袋にされていたのを助けた。俺も刑事になったばかりで、正義を振りかざして入れ込みすぎたんだよなぁ。相手にも感情があるってことを、その頃の俺は失念していた」
「そいつがストーカーになったんすか……?」
「俺が良かれと思って一生懸命励ましたのを、自分に向けられた恋心だと勘違いしたんだよ。自分に応えてくれないのは、周囲に邪魔をするヤツがいるからだ、と犯人はストーカー心理で都合よく思いついたらしいんだ。沢木刑事が自分に冷たいのは、ガキが恋路を邪魔しているからだとな。邪魔な隼が俺の側からいなくなれば、自分と俺が上手くいくと思ったんだろうな。」
以前の話と、どこかつじつまが合わない気がした。
「前に聞いた話だと、犯人を掴まえたとき女とやってる最中だったって」
「最中と言うかさ、実際連れ込んで散々やってたよ。あまりの変態っぷりに、女も嫌気がさしてうんざりしてたらしいんだよ。そりゃあそうだよな、他のやつが好きだって言う男に抱かれるなんて、女にしたってたまったもんじゃない。しかも相手は男で、俺だぞ」
周二は沢木を見つめていた。
「犯人の調書によると、疑うことを知らないまま誘拐された隼は、ただただ獣のような男女の絡みが怖くて、耳を押さえて縮み上がっていたらしい。で、女になじられたそいつは、自分が掻っ攫ってきた憎いガキでしかない隼を眺めたわけだ」
ガタと、椅子を蹴立てて思わず周二が立ち上がった。
「さすがに女が必死になって止めたらしいが、一度おかしくなったやつにはもう燃え盛った火に油を注ぐような状態だったんだろうなあ。隼が邪魔をするなら、自分が罰してやろうと思ったんだな。無茶苦茶な理屈だけど」
周二は、握りこぶしが白くなるほど力を込めた。
「それって……まさか……?」
「ああ……。俺が見つけたときは、隼は失血死寸前だった。内も外も肛門括約筋がずたずたで、俺は目を疑ったよ。手術をする医者も余りの酷さに絶句するほど……隼は壊されてた」
「隼……」
蒼白の顔の周二は、怒りで震える拳を押さえながら、寝台で眠り続ける恋人を眺めていた。
顔色を変えない沢木が、どこか不気味なほど穏やかに語った。
「俺も犯人を殺してやりたかった。だがな、血みどろで柘榴のようになった隼が、気を失う前に言ったんだ」
「隼は……何て言ったんすか?」
幼い昔の隼は、怖いよといって泣いたのか、それとも痛いよ、パパと告げたのか。
考えただけで、錐を突き立てたように、つきんつきんと胸が疼いた。
この胸の痛みは、きっと隼が受けた痛みだ。
声が上ずって、どこか違う気管が発声しているような気がする。

沢木は周二の目の奥に燃える火に向かって、語りかけた。
「うん。あのな……『パパ、おじさんは泣きながらぼくを食べたの。だから、おなかのすいたおじさんに、ご飯をあげてちょうだい。』……って言ったんだ」



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