淡雪となりて 3
本来ならば馬に乗り戦うはずの騎兵が、馬から降りて歩兵として決死隊に参加する。騎兵といいながら二人は馬を下り、砲兵、歩兵としてコサック兵とも戦った経験があった。
満州の騎兵隊から志願してこの地で決死隊に合流した二人は、寒さに強い北海道旭川の精鋭部隊(15000人)に参加を許されていた。矢玉に限りのある決死隊は、夜陰に紛れ奇襲攻撃に打って出ることになる。騎兵の使う銃は、簡単に分解出来て携帯するのに都合が良かった。ただ、この決死隊には先見の明が欠けていた。
繰り返す戦術の単純さに、これから行う夜襲が敵に筒抜けになっているとは、参謀以下、指揮を執る誰もが思わなかった。
「総員、整列!」
「はっ!」
夜陰に兵士の軍靴の音が響く。
味方と敵を間違わないために、決死隊はそれぞれ白い襷をきりりと掛けていた。決して退却することの無いようにと師団長から檄が飛ばされる。死を覚悟したものは、誰も異を唱える者など無い。是道と詩音は、自決用の弾丸を一発入れた小銃を首からぶら下げると、倒れた敵兵から手に入れた手りゅう弾を懐に入れ、自らを肉弾と化す戦場へと向かう隊列に加わった。
この地を落とさなければ、東洋の小さな国は滅亡すると夜襲に参加する下級兵士の隅々までが理解していた。意思は一つになった。
だが、決死隊の士気を高めるはずの白襷(だすき)は夜目に目立つ。それがかえって敵の目を引くことになった。覚悟の白襷は格好の的になり、敵は有り余る弾丸を白い襷に向けて、雨あられと降らせた。
「詩音、頭を下げろ。上から敵の機銃砲が狙っている。どうやら、白襷は味方の区別はつくが敵の目にも目立つようだ。いい思い付きだと思ったが、これは失敗だったな。」
「上から狙うのですから、面白い様に当たりますね。若さま、夜明けまで塹壕からは出ない方が良さそうです。」
「ああ。例え死ぬ沙汰にしても敵兵の一人や二人は道連れにしないと……。だが、味方の小隊は、今どこだろう……。応戦の気配がない。」
露西亜軍による照灯照射によって、白い襷は反射し機銃掃射の標的となり決死隊は大損害を受けた。ばたばたと倒れた者は、すぐに凍り付いて木偶のようになった。しかも敵堡塁(ほうるい)間近の壕まで、あと少しの所で埋められた地雷が爆発、死傷者の余りの多さに白(しろ)襷隊(だすきたい)は敢え無く退却するしかなかった。十分の一もない兵力の差はどんな戦術をもってしても如何ともしがたい。現場からの弾薬の催促を、司令部はほぞをかみながら切り捨てた。
決死隊は弾薬も尽き、仕方なくその辺の石つぶてで応戦するありさまだった。
かつて錦絵のような主従とまで言われた美しい二人も、今や見る影もなかった。
這いまわっている内、煤と埃と汚泥にまみれ、両手の爪は剥げ、氷点下20度の極寒で詩音の細い指は凍傷になった。
「凍傷は大丈夫か、詩音。ほら、足に油紙を巻いてやるから、こちらへ伸ばせ。」
「わ……若さま。詩音は……、もう手も足も指先が利かなくなりました。小用を足したいのですが、叶いません……。申し訳ありません、敵兵から奪った手りゅう弾の安全弁を抜いて詩音の腹に入れてください。ここで、お暇(いとま)いただきます。」
厳しい寒さが体力を奪い、線の細い詩音は話すのもやっとなほど体力を削られていた。全身がかたかたと瘧(おこり)のように震えている。
「馬鹿を言え。共に逝くと言っておきながら、ここまで来て、ぼくを置いて勝手に自死などは許さん。小用なら手を貸してやるからこちらを向け。」
「いやです。若さまに、その様なことをさせては、詩音の立場がありません。おやめください。そんなことさせる位なら、今すぐ舌を噛んで死んだ方がましです。」
「いいから。ほら……。面倒な奴だな。出物腫物、ところ構わずというじゃないか。それに、今更何も知らない仲ではないだろう。」
軽口をたたく是道に促されるまま、詩音は守るべき主に寒さに縮こまった一物を預け、泣きながら用を足した。ちょろちょろと力なく腹から出た温い小便は、湯気を立て是道の手を濡らした。
「……う、ううっ……。」
「はは……詩音。ほら、お前の温い小便でぼくの指先が自由に動くようになった。一息入れたら、クロパトキン(敵の大将)の首でも狙うか。どうやら、二人ここに取り残されたらしい。……いや、もしかすると味方は皆死んだのか。何の音もしないな。」
「若さま……。恐らく全軍弾薬が尽きたのです。詩音がここで足手まといにならなければ、下山してお味方と合流できましたのに……。」
「馬鹿。はぐれる位何でもない。これまで一度も礼を言ったこともなかったんだ。ぼくが詩音の役に立ったのは初めてだ、かえって嬉しいよ。」
「若さま。……勿体無い。」
「泣くな。貌(かお)が凍る。」
是道は詩音の涙を吸ってやり、ふと詩音の震える肩の細さに気が付いた。
自分の方が遥かに華奢だと思って居たが、いつしか肩幅も背も詩音を越している。守られているばかりだった自分が、知らず逆転した体格差に思わず凍える従者をそっと懐に抱き寄せた。
もう、詩音は寒さにすっかり弱ってこの場から動けそうになかった。
「こうして抱きあっていても別段、暖を取れたりはしないが……まあ、気休めだな。押しくらまんじゅうのようなものだ。」
「いえ……。温かいです、若さま……。」
瞬間、辺りが明るくなり照灯照射弾が打ち上げられたと知る。互いの顔が、白昼のように照らされた。ばりばりと鼓膜が裂けそうな音を立てて機銃掃射が、塹壕の小石を跳ね上げた。
壕の真上に、露兵の白い顔が覗く。何やら叫んだのは、ここに日本兵がいるぞと叫んだのだろう。機銃の先が向けられた。
「あっ!!」
Σ( ̄口 ̄*) 是道:「詩音、伏せろっ!」(*/□\*) 詩音:「あっ!若さまっ~」
今日もお読みいただきありがとうございます。
お風邪などひかないように、お気をつけください。 此花咲耶
満州の騎兵隊から志願してこの地で決死隊に合流した二人は、寒さに強い北海道旭川の精鋭部隊(15000人)に参加を許されていた。矢玉に限りのある決死隊は、夜陰に紛れ奇襲攻撃に打って出ることになる。騎兵の使う銃は、簡単に分解出来て携帯するのに都合が良かった。ただ、この決死隊には先見の明が欠けていた。
繰り返す戦術の単純さに、これから行う夜襲が敵に筒抜けになっているとは、参謀以下、指揮を執る誰もが思わなかった。
「総員、整列!」
「はっ!」
夜陰に兵士の軍靴の音が響く。
味方と敵を間違わないために、決死隊はそれぞれ白い襷をきりりと掛けていた。決して退却することの無いようにと師団長から檄が飛ばされる。死を覚悟したものは、誰も異を唱える者など無い。是道と詩音は、自決用の弾丸を一発入れた小銃を首からぶら下げると、倒れた敵兵から手に入れた手りゅう弾を懐に入れ、自らを肉弾と化す戦場へと向かう隊列に加わった。
この地を落とさなければ、東洋の小さな国は滅亡すると夜襲に参加する下級兵士の隅々までが理解していた。意思は一つになった。
だが、決死隊の士気を高めるはずの白襷(だすき)は夜目に目立つ。それがかえって敵の目を引くことになった。覚悟の白襷は格好の的になり、敵は有り余る弾丸を白い襷に向けて、雨あられと降らせた。
「詩音、頭を下げろ。上から敵の機銃砲が狙っている。どうやら、白襷は味方の区別はつくが敵の目にも目立つようだ。いい思い付きだと思ったが、これは失敗だったな。」
「上から狙うのですから、面白い様に当たりますね。若さま、夜明けまで塹壕からは出ない方が良さそうです。」
「ああ。例え死ぬ沙汰にしても敵兵の一人や二人は道連れにしないと……。だが、味方の小隊は、今どこだろう……。応戦の気配がない。」
露西亜軍による照灯照射によって、白い襷は反射し機銃掃射の標的となり決死隊は大損害を受けた。ばたばたと倒れた者は、すぐに凍り付いて木偶のようになった。しかも敵堡塁(ほうるい)間近の壕まで、あと少しの所で埋められた地雷が爆発、死傷者の余りの多さに白(しろ)襷隊(だすきたい)は敢え無く退却するしかなかった。十分の一もない兵力の差はどんな戦術をもってしても如何ともしがたい。現場からの弾薬の催促を、司令部はほぞをかみながら切り捨てた。
決死隊は弾薬も尽き、仕方なくその辺の石つぶてで応戦するありさまだった。
かつて錦絵のような主従とまで言われた美しい二人も、今や見る影もなかった。
這いまわっている内、煤と埃と汚泥にまみれ、両手の爪は剥げ、氷点下20度の極寒で詩音の細い指は凍傷になった。
「凍傷は大丈夫か、詩音。ほら、足に油紙を巻いてやるから、こちらへ伸ばせ。」
「わ……若さま。詩音は……、もう手も足も指先が利かなくなりました。小用を足したいのですが、叶いません……。申し訳ありません、敵兵から奪った手りゅう弾の安全弁を抜いて詩音の腹に入れてください。ここで、お暇(いとま)いただきます。」
厳しい寒さが体力を奪い、線の細い詩音は話すのもやっとなほど体力を削られていた。全身がかたかたと瘧(おこり)のように震えている。
「馬鹿を言え。共に逝くと言っておきながら、ここまで来て、ぼくを置いて勝手に自死などは許さん。小用なら手を貸してやるからこちらを向け。」
「いやです。若さまに、その様なことをさせては、詩音の立場がありません。おやめください。そんなことさせる位なら、今すぐ舌を噛んで死んだ方がましです。」
「いいから。ほら……。面倒な奴だな。出物腫物、ところ構わずというじゃないか。それに、今更何も知らない仲ではないだろう。」
軽口をたたく是道に促されるまま、詩音は守るべき主に寒さに縮こまった一物を預け、泣きながら用を足した。ちょろちょろと力なく腹から出た温い小便は、湯気を立て是道の手を濡らした。
「……う、ううっ……。」
「はは……詩音。ほら、お前の温い小便でぼくの指先が自由に動くようになった。一息入れたら、クロパトキン(敵の大将)の首でも狙うか。どうやら、二人ここに取り残されたらしい。……いや、もしかすると味方は皆死んだのか。何の音もしないな。」
「若さま……。恐らく全軍弾薬が尽きたのです。詩音がここで足手まといにならなければ、下山してお味方と合流できましたのに……。」
「馬鹿。はぐれる位何でもない。これまで一度も礼を言ったこともなかったんだ。ぼくが詩音の役に立ったのは初めてだ、かえって嬉しいよ。」
「若さま。……勿体無い。」
「泣くな。貌(かお)が凍る。」
是道は詩音の涙を吸ってやり、ふと詩音の震える肩の細さに気が付いた。
自分の方が遥かに華奢だと思って居たが、いつしか肩幅も背も詩音を越している。守られているばかりだった自分が、知らず逆転した体格差に思わず凍える従者をそっと懐に抱き寄せた。
もう、詩音は寒さにすっかり弱ってこの場から動けそうになかった。
「こうして抱きあっていても別段、暖を取れたりはしないが……まあ、気休めだな。押しくらまんじゅうのようなものだ。」
「いえ……。温かいです、若さま……。」
瞬間、辺りが明るくなり照灯照射弾が打ち上げられたと知る。互いの顔が、白昼のように照らされた。ばりばりと鼓膜が裂けそうな音を立てて機銃掃射が、塹壕の小石を跳ね上げた。
壕の真上に、露兵の白い顔が覗く。何やら叫んだのは、ここに日本兵がいるぞと叫んだのだろう。機銃の先が向けられた。
「あっ!!」
Σ( ̄口 ̄*) 是道:「詩音、伏せろっ!」(*/□\*) 詩音:「あっ!若さまっ~」
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お風邪などひかないように、お気をつけください。 此花咲耶
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