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淡雪となりて 5 

是道は単身、敵の陣近くに駆け上がった。
菩薩と言われる顔に美々しい笑みを浮かべ、見張りの兵に声を掛けた。驚いて訝しげな顔を向けた相手兵に、おもむろに軍刀を放り投げ自分は丸腰だと教える。上着を脱いで振ったら、向こうから手招きをした。
おそらく「ここへ上がって来い」と言っているのだろう。
投降してきた見目良い将校に、露西亜兵が興味を持った……そんな風だった。

*****

明治時代の戦争は、それ以降の世界大戦とは違い、重火器で互いを殺戮しあうだけのものとは少し違っている。
捕虜は国際法にのっとって丁重に扱われたし、戦いの中でも兵士たちの間に、騎士道、武士道といったものが色濃く残っていた。激しい戦闘の間には休戦日があり、その間には互いの武勇を称えあい、衛生兵が敵味方の区別なく手当てをしあったりしていた。後の世界大戦のように、捕虜が辱めを受けたりするようなことはなかった。
手を差し出した敵の砲兵に、優雅に手を差し出した是道は笑顔を向けた。ほんの片言だったが是道の発した母国語に相手の緊張が緩む。

「У всех храбрый воин……」(勇敢なる兵士の皆様)
「Давайте тост……」(乾杯しましょう)

どうやら是道の片言は通じたらしい。少年兵が、ぐいと引き上げ陣地に入れた。
何やら奥へ声を掛けると、わらわらと10人足らずの兵が出てきた。すぐに上官を呼んだらしい。
是道は自分の小さな気付け用のウイスキーを渡し、代わりにウォッカのグラスを得た。その所作はとても優雅なものだった。

「やはり、この程度の小隊か。もう少し多いと思ったのだけれど……。これでは、大した戦果にはならないな。」
臈(ろう)たけた横顔に、既に思い詰めた暗いものが混じるのを彼らは気付かなかった。外国の大男たちの中心で、是道は頼りなくいとけなく見えていた。おそらく、相手も女性のようにたおやかな将校に油断したのだろう。公然と黄色い猿と呼んでいたはずの東洋人にぼうっと見惚れ、勧められるまま素直にグラスを上げ、旧来の友人のように笑みを浮かべて交わした。

ふと見やれば、戦地だと言うのに敵陣のテーブルの上には、兵士の家族写真が飾られている。銀の燭台には細かな細工をされた蝋燭が、宗教画を囲んでいた。そして是道は、味方を粉砕し続けるカノン砲の銃弾が、窓枠の下に山と積まれているのを認めた。
優雅にグラスを飲み干すと、周囲を笑顔で見渡した是道は、慇懃に腰を折り別れの挨拶をした。露西亜兵は不思議な習慣だとでも思って居るのだろう。
投降してきたかと思ったら、この将校は酒を一杯飲んで帰るらしい。こいつは何をしに来たんだとでもいうような、怪訝な顔をしている。

「ぼくから詩音を奪った代償は高くつくぞ。」

懐に手を入れ、そっと引抜式点火装置の位置を確かめると出口で振り向き、要塞内部に二個の手榴弾を投げ込んだ。足元に転がって来た自軍の手榴弾を認めて、逃げ場のない恐怖に眼を見開いたまま兵士たちは恐怖を浮かべ慌てて後ずさった。
暫時、激しい爆音と共に、手りゅう弾は古いべトン(コンクリート)の要塞と兵士を吹き飛ばし瓦礫に変えた。積まれた砲弾に瞬く間に引火し、要塞から滑り降りた是道以外は、人も建物も大打撃を受けた。
是道はただ一人で、小さな戦果を得るのに成功した。もうもうと舞う土埃の中、憤怒の不動明王となった大久保少尉は、ふたたび要塞内部に入り迅速かつ確実に、舞うように傷を負った敵兵を仕留めてゆく。
瓦礫に横たわった、まだ息のある少年兵が首から下げたロケットを握り締め、震える両手を組み合わせて慈悲を乞うた。

「Мама……Мама……」

「……母上を呼んでいるのか?ぼくもそうだった。哀しい時、辛い時、何度も遠い母上を呼んだよ。だが、どれだけ欲しても、ぼくの欲しいものはいつも手に入らないんだ。喜べ。おまえの願いは彼岸で叶う。」

是道は、傍に有った銃剣を拾い上げると、慄く少年兵の喉元をくつろげると、ゆっくりと刃先をめりこませた。息を詰めた青い目が、是道を見据えたまま恐怖に揺れる。白い肌が血を噴いた。
必死に是道の腕にすがるようにし、怯えて震えながら消えてゆく命を、是道はじっと見つめていた。銃剣から伝わって来るかすかな鼓動がやがて静かになり、透明な青い目が虚ろなただのガラス玉になった。
是道は薄く笑みを浮かべてじっと青い瞳を覗き込んでいた。どこか闇から高揚するものがあるのを感じていた。武人としての血のざわめきか、狂気の蠢きか……是道が後年、執着する青い目に出会ったのは、ここが最初だった。
くっと口角が上がり菩薩のような柔和な美貌が、恐ろしい如夜叉へと変貌した。

「У всех храбрый воин……」(勇敢なる兵士の皆様)

「до свидания……ごきげんよう……。」

*****


静寂の中、自分を呼ぶ声がする。

『若さま。御用がお済でしたら、詩音もお供致します……どこまでも、ご一緒に……』

「詩音。」

広がる光芒の梯子を、凍土に斃れた(たおれた)多くの兵士たちの霊が駆け上るのが見える気がする。
凍てついたはずの詩音がふっと微笑んで、腕を伸ばし天上へと是道を誘う。

「行くとも。ぼくを連れて行け。詩音の居る場所が、ぼくの居場所だ。」

もがくように伸ばした詩音の指は血まみれで、変色していた。冬曇天から細かな雪がわずかに降って来る。どっとその場に倒れ込んで静かに舞う灰色の雪を眺めた。哀れな従者を覆い隠すほどの量ではなかった。
既に寒さも血の生臭さも感じなくなっていた。腕の中でこと切れた詩音と、少年兵の揺れる青い目が万華鏡のように瞼(まぶた)の裏で交錯する。

「……夜叉になったぼくを、淡雪となって隠せ、詩音。地獄の亡者に連れて行かれぬように。」

自分の中の何かが崩れ去っていたのを、是道は感じていた。
きっと、自分は詩音と共に死んだのだ。詩音の亡骸を抱え下山しながら、薄れゆく意識の中で、是道は詩音の手を取ったはずだった。

*****

山の中腹で、従者を抱えたままの是道が力尽きて倒れているのを衛生兵が見つけた。

「詩音……逝くな、詩音。」

「共に……詩音……待て。待て。」

是道がうわ言で呼ぶ従者は、とうにこと切れていて軍医はせめて意識が戻ったら別れを告げさせてやれと、詩音の遺体を運ぶのを止めた。

命を捨てに来たはずの大久保是道は、死ねなかった。





本日もお読みいただき、ありがとうございました。
なんかこのままだと、新年早々……余りにくらいぞ。(´・ω・`) ←書いといて。

(ノ´▽`)ノヽ(´▽`ヽ)「詩音~」「若さま~」……な、話もいつか書きたいです。

今年最後の更新になりました。
お読みいただきありがとうございました。
来年も、どうぞよろしくお願いします。(`・ω・´) 此花咲耶


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