淡雪となりて 6 【最終話】
一個師団の中の小隊を率いた大久保是道の挙げた小さな戦果は、苦戦続きの帝国陸軍にとっては大きなものだった。
屍の山を築いていた日本軍は、ここに一つの糸口をこじあけ、蟻の一穴に28cm榴弾砲と共に肉弾攻撃を注いだ。弾薬も尽き、従軍した兵士の夥しい(おびただしい)肉体を犠牲にして203高地は、やっと陥落した。
「大久保少尉。気が付かれましたか?」
覗き込む下士官の顔が、詩音じゃないのに気が付いて是道は顔をしかめた。
「……詩音は?」
「はっ、あちらに安置してあります。」
意識が戻った是道は、腕の中で息を引き取った詩音の亡骸を荼毘にふす前、きつく胸に抱いた。周囲の目を気にすることもない。
何度も名を呼び、傷だらけで凍傷の酷かった詩音の包帯だらけの手足をさすって、まだ息があるかのように扱い「すっかり冷えてしまったな。」と口にしていた。
自分が率いた小隊の中で、ただ一人無傷で生きて山から下ってきた英雄は、げっそりと幽鬼さながらにやつれ果て、変わり果てた詩音の顔だけを見つめていた。
やがて、203高地の頂上に日章旗がはためき、周囲が歓喜する中でも、是道は野営テントの中で一人、詩音の頬をそっと撫でていた。
戦功をあげたことで許された特別扱いに、周囲は何も言わなかった。
「いつも、傍にいてくれたのにな……。今度ばかりは、ぼくが呼んでも帰って来れないところに行ってしまった。」
首にかかった自決用の小銃を無意識に手にし、こめかみに当てて世話係の下士官に羽交い絞めされた。
「あっ!いけません!少尉殿っ!」
「放せっ!」
「大久保少尉!もう、203高地は落ちました!お味方の勝利です!大久保少尉の戦功多大です。」
「勝利……?」
その言葉に、ふと引き戻される。
「ああ……、ああ。そうだった……。多くの兵を死なせてしまったから、つい、共にと思ってしまった……んだ。悪かった。朦朧としてしまったようだ。。」
「大久保少尉殿……。どうか少し、お休みになってください。」
勝利の後で自決などしては、家名に傷がつく。こうなってもまだ、自分をないがしろにした大久保家に囚われているのがおかしかった。
「大久保少尉殿。お一人で敵要塞を陥落させたこと、味方の斥候が望遠鏡で確認しておりました。あなたは、英雄です。部下として自分は誇らしいです。」
どちらかというと自暴自棄で得た功名なのだが、戦果を挙げたのは確かだ。死亡特進した詩音と共に、是道はこの戦争の後、大尉となった。
*****
国許に帰ると提灯行列が幾重にも並び、戦勝者たちを迎えた。
新聞にも、是道の名前が踊った。
道の両側で大声で響き渡る万歳三唱の声も、打ち振られる領民の日章旗の小旗も、馬の背に揺られる是道の意識には届いていなかった。
誇らしげに迎える家族の前で一礼し、武人らしく大勢の親戚の前で戦勝報告をした。
自分を庇って死んだ詩音を「未来永劫、大切に思う」と詩音の家族に伝え、不自然なほど大仰に泣き咽んで見せた。皆、もらい泣きをするほどの悲嘆ぶりだった。
……すでに、是道の涼やかな双眸が見ているのは、そこにはない。
銃剣のめりこむ弾力のある白い喉元を、指が覚えていた。
恐怖に怯える青い瞳が涙を溜めて、じっと自分を見つめていた。
飛ばされたまま鉄条網に引っかかった味方の手足が、脳裏で風に揺れた。
見渡す限りの山の中腹に、累々と重なって倒れた白襷隊。
詩音の眠る血の大地……なぜ、そこに自分はいないのだろう。荒寥の大地に戻りたかった。
そこにこそ、自分の居場所があるような気がする。
やがて是道は、小さく声を立てて、くくっと高く嗤った。
張り付いた凄絶な美貌が、是道の中に巣食う羅刹の姿を覆い隠していた。
心優しい従者が慕った是道は、もうどこにもいなかった。
儚く消えゆく春先の淡雪となった詩音。
是道は、大地を渡る風の中に、かすかに懐かしい声を聞いた。
『若さま……こちらにいらしたのですか……?』
『詩音は、どこまでもご一緒致します。』
見上げても、標(しるべ)となる陽は見えなかった。
「詩音……」
淡雪となりて―完―
是道が詩音を抱いたピエタのポーズのイメージ は、色々ある中でミケランジェロの彫刻です。
磔刑に処されたのち、十字架から降ろされたイエス・キリストの亡骸を腕に抱く聖母マリアを、華桜陰高校で続編の伏線として使ったつもりでした。
腕の中で儚くなる詩音と是道、幼い二人の笑いあう挿絵を描きたかったのですが、間に合いませんでした。
いつか描きたいです。
長らくお読みいただきありがとうございました。
新しい年に持ち越してしまいました。(´・ω・`)←実は、計算できなかった~
本年も、どうぞよろしくお願いします。(`・ω・´)
屍の山を築いていた日本軍は、ここに一つの糸口をこじあけ、蟻の一穴に28cm榴弾砲と共に肉弾攻撃を注いだ。弾薬も尽き、従軍した兵士の夥しい(おびただしい)肉体を犠牲にして203高地は、やっと陥落した。
「大久保少尉。気が付かれましたか?」
覗き込む下士官の顔が、詩音じゃないのに気が付いて是道は顔をしかめた。
「……詩音は?」
「はっ、あちらに安置してあります。」
意識が戻った是道は、腕の中で息を引き取った詩音の亡骸を荼毘にふす前、きつく胸に抱いた。周囲の目を気にすることもない。
何度も名を呼び、傷だらけで凍傷の酷かった詩音の包帯だらけの手足をさすって、まだ息があるかのように扱い「すっかり冷えてしまったな。」と口にしていた。
自分が率いた小隊の中で、ただ一人無傷で生きて山から下ってきた英雄は、げっそりと幽鬼さながらにやつれ果て、変わり果てた詩音の顔だけを見つめていた。
やがて、203高地の頂上に日章旗がはためき、周囲が歓喜する中でも、是道は野営テントの中で一人、詩音の頬をそっと撫でていた。
戦功をあげたことで許された特別扱いに、周囲は何も言わなかった。
「いつも、傍にいてくれたのにな……。今度ばかりは、ぼくが呼んでも帰って来れないところに行ってしまった。」
首にかかった自決用の小銃を無意識に手にし、こめかみに当てて世話係の下士官に羽交い絞めされた。
「あっ!いけません!少尉殿っ!」
「放せっ!」
「大久保少尉!もう、203高地は落ちました!お味方の勝利です!大久保少尉の戦功多大です。」
「勝利……?」
その言葉に、ふと引き戻される。
「ああ……、ああ。そうだった……。多くの兵を死なせてしまったから、つい、共にと思ってしまった……んだ。悪かった。朦朧としてしまったようだ。。」
「大久保少尉殿……。どうか少し、お休みになってください。」
勝利の後で自決などしては、家名に傷がつく。こうなってもまだ、自分をないがしろにした大久保家に囚われているのがおかしかった。
「大久保少尉殿。お一人で敵要塞を陥落させたこと、味方の斥候が望遠鏡で確認しておりました。あなたは、英雄です。部下として自分は誇らしいです。」
どちらかというと自暴自棄で得た功名なのだが、戦果を挙げたのは確かだ。死亡特進した詩音と共に、是道はこの戦争の後、大尉となった。
*****
国許に帰ると提灯行列が幾重にも並び、戦勝者たちを迎えた。
新聞にも、是道の名前が踊った。
道の両側で大声で響き渡る万歳三唱の声も、打ち振られる領民の日章旗の小旗も、馬の背に揺られる是道の意識には届いていなかった。
誇らしげに迎える家族の前で一礼し、武人らしく大勢の親戚の前で戦勝報告をした。
自分を庇って死んだ詩音を「未来永劫、大切に思う」と詩音の家族に伝え、不自然なほど大仰に泣き咽んで見せた。皆、もらい泣きをするほどの悲嘆ぶりだった。
……すでに、是道の涼やかな双眸が見ているのは、そこにはない。
銃剣のめりこむ弾力のある白い喉元を、指が覚えていた。
恐怖に怯える青い瞳が涙を溜めて、じっと自分を見つめていた。
飛ばされたまま鉄条網に引っかかった味方の手足が、脳裏で風に揺れた。
見渡す限りの山の中腹に、累々と重なって倒れた白襷隊。
詩音の眠る血の大地……なぜ、そこに自分はいないのだろう。荒寥の大地に戻りたかった。
そこにこそ、自分の居場所があるような気がする。
やがて是道は、小さく声を立てて、くくっと高く嗤った。
張り付いた凄絶な美貌が、是道の中に巣食う羅刹の姿を覆い隠していた。
心優しい従者が慕った是道は、もうどこにもいなかった。
儚く消えゆく春先の淡雪となった詩音。
是道は、大地を渡る風の中に、かすかに懐かしい声を聞いた。
『若さま……こちらにいらしたのですか……?』
『詩音は、どこまでもご一緒致します。』
見上げても、標(しるべ)となる陽は見えなかった。
「詩音……」
淡雪となりて―完―
是道が詩音を抱いたピエタのポーズのイメージ は、色々ある中でミケランジェロの彫刻です。
磔刑に処されたのち、十字架から降ろされたイエス・キリストの亡骸を腕に抱く聖母マリアを、華桜陰高校で続編の伏線として使ったつもりでした。
腕の中で儚くなる詩音と是道、幼い二人の笑いあう挿絵を描きたかったのですが、間に合いませんでした。
いつか描きたいです。
長らくお読みいただきありがとうございました。
新しい年に持ち越してしまいました。(´・ω・`)←実は、計算できなかった~
本年も、どうぞよろしくお願いします。(`・ω・´)
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