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隼と周二 番外編 青になれ!3【最終話】 

薄闇の中、必死に逃れようとあがいた。
「うーーーっ!!」
淳也は、無茶苦茶に暴れて、やっと自分を押さえつけていた先輩を振り切った。
枷が取れて、加勢しなければと思ったら、ぱたりと横合いに泡を吹いた先輩が倒れこんできた。
「これは、こいつの名誉毀損の分だ。で、俺の分は誰がもらってくれる?」
「なっ!こっちのほうが、人数多いんだ。やっちまえっ!」
誰かが出した陳腐な号令に、卑怯なやつらはいっせいに飛び掛った。
だが、驚くほど俊敏に仙道と呼ばれた彼は、すべての繰り出された腕をことごとくかいくぐり、的確に一発ずつで相手を沈めてゆく。
小気味のいい、さすがの動体視力。
ボクシング部は伊達じゃない。

「すごい……」

淳也は目を見張っていた。
「大人気ないまねは、やめようぜ。みっともない。お前らも、こいつの努力認めて応援してやれよ。一応先輩なんだろ?」
息も切らさず瞬く間に仕留めて、彼は初めて微笑んだ。
「うっ、うっ……」
「おい、大丈夫か?どこか、やられた?」
人前で泣くのは、物心ついてから初めてのような気がする。
淳也の濡れた顔を覗き込んで、心配そうに彼が聞いた。
「だ、だいじょ……ぶ……です。ちょっと、気が抜けただけ、です」
囚われのお姫さまみたいに、助けられて悔しかった。
精一杯我を張って、涙がこぼれないように上を向いた。
「おまえの走りさ、伸びた足が綺麗だよなあ。俺、いつも感心して眺めてたんだ、ほら。アフリカの草食動物だっけ?……ガゼルとかインパラとかみたいに、走る姿勢がすっげぇ綺麗なんだよな。あ~。肉食獣に食われそうになるところまで、そっくりだったな」
「助けていただいて、あ……りがとうございました」

やっと止まりかけた涙に、そっと指が伸びて滴を払った。
這いつくばった先輩が、よろよろと立ち上がる。
「ただじゃすまさねぇ。覚えてろよ、てめぇら、絶対吠え面かかせてやる」
「自分たちのやったことを、胸に手を当てて考えてみろ。俺には恥ずべきことはないね」

だが……
信じられないことに、数日後、処分を受けたのは助けてくれた「仙道直人」の方だった。
何で、そういうことになるんだ。
「うそだ」
掲示板の前で、淳也は呆然としていた。

『右の者を三日間の謹慎処分とする』

掲示板に張り出された処分を見て、淳也は「そんな馬鹿なことがあるか」と叫び、教員室へ抗議に向かった。
陸上部の先輩には何の咎めもなく、助けてくれた人が処分を受けるなんて、ありえない!
「先生っ!悪いのは、陸上部の先輩で、仙道さんじゃありませんっ!」
必死に伝えようとする淳也を、顧問が教員室から引きずり出した。
「沢木。まあ、落ち着けって」
「だって、先生。仙道さんは助けてくれただけなんです。本当です!悪いのは」
「俺だろ」
必死の声に応じるように、低い仙道直人の声がかぶった。
「先生。こいつ預かります。こっちで説明しますんで」
「頼むな、仙道」
どこか安心したような顔を浮かべ、陸上部顧問は仙道直人に後輩を預けた。

「何で、何も言わないんですか?悪いのはあいつらで、仙道さんはぼくを助けてくれただけじゃないですか。こんなこと、おかしいっ!」
いい年をして泣きじゃくるなんてと思ったが、激昂してしまって気持ちが治まらなかった。
仙道先輩は、どんどん淳也の手を引いて校舎を離れ、人気のない裏庭へと誘った。
「涙、止まったか?」
「……はい」
「おまえの名前、まだ聞いてなかった」
「沢木淳也です」
「淳也。あのな、空手の有段者が喧嘩をしない理由って知ってる?」
「知っています。でも、それと今回の謹慎と何の関係が……あっ」

ボクサーの拳は凶器になる。
まして、国体で優勝候補といわれている選手なら直のことだ。
淳也はその場で、あまりの申し訳なさに泣き出してしまった。
自分でも、信じられなかった。
「うっえっ……ぼくのせいだ……ぼくのせ……あぁっ……」
子どものように泣きじゃくるのは恥ずかしかったが、もうどうにも止まらなかった。
まるで堰を切ったように、熱い涙が零れて落ちた。

「泣くな、淳也。雲が見てるぞ」

仙道の制服が、淳也のあふれる涙で濡れた。

いつかと同じように仙道が淳也の顔を覗き込むと、頬にある涙の滴を指でぴっと払った。
ふっとやわらかい笑みが近づき、まぶたの上にそっと触れるように唇が落ちた。
何の言葉も、出てこなかった。
「淳也は自分のためには泣かないくせに、人のために泣くんだな。これで何度目かな。しょっちゅう、俺のために泣いてる」
決して泣き虫ではないはずなのに、この人と一緒に居ると、どうしてこんなに涙もろいんだろう。
子供の頃から、親元を離れて暮らしていても、寂しくて泣いたことなどなかったのに。

「なぁ。この先も、ちゃんと俺を見てろよ、淳也。俺の行くのは世界なんだ。ほら、見てみろよ。あの軌跡の向こうに、俺は行くんだ」
涙の向こうに、どこまでも青い空があり、その中心に白い飛行機雲がまっすぐに伸びていた。
「飛行機雲……」
「お前の夢は、何?」
少し考えて、素直に答えた。
「仙道さんの行く先に一緒に行きたい」
くしゃくしゃの笑顔を向けて、仙道がばかだなぁとくすぐったそうに笑った。
「よし。俺がチャンプになったら、淳也に一番にサインしてやるからもう泣くな」
「はい」
「淳也は良いなぁ。素直で真っ直ぐで、熱い正義感の塊だ。おまわりさんとか、向いてそうだ」
「おまわり、さん?」
子供みたいだと言われているようで、少しむっとした顔を向けたら「褒めてるんだ」と言われた。
「今のそのままで、大人になれよ。淳也。正しいものをちゃんと正しいと言える大人になれ」
「はい」
仙道は泣き虫の後輩を、宥めただけなのかもしれない。
淳也は長い間、仙道直人の胸に抱き寄せられていた。



高く澄み切った空に飛行機雲を見つけたとき、沢木淳也は今でも仙道の姿を見るたびに、とんと跳ねた高校時代の胸の鼓動を思い出す。
「沢木さん」
呼ばれて、はっと我に返った。
空に滲んでゆく飛行機雲を見つけて、ついぼんやりと眺めていたようだ.
「おう。ヤサを、やっと見つけたんだ。死んでも逃がすなよ」
「俺、脚に自信ないんで当てにしてますから」
「馬鹿野郎、おじさんをこき使うな」
「今でも俺らより、はるかに足速いじゃないですか」
沢木は、ふっと笑った。
正しいものを正しいと言える大人になるために、沢木淳也は警察官への道を選んだ。

仙道直人は、今はタイにいる。
世界チャンプにはなれなかったが、日本ではタイトルを取った。
「磨けば光りそうな、いい選手を見つけたんだ」
たまに電話で聞く声は、昔と全然変わらない。

とんと跳ねた鼓動。
あの感情に名前を付けるとするなら、きっと「恋」だった。






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