終(つい)の花 53
一衛は、やつれた青い頬に無精ひげの浮いた直正の顔を見つめた。
家中にも京の戦で亡くなった者、不具になった者が多いと聞く。
直正は何ともないだろうか。
「直さま……、お身体は大丈夫なのですか?」
「ああ、大事ない。こんなみすぼらしい身なりだがな。」
「良かった。」
立ち上がった一衛は直正の少ない荷物を持ち、膝を払った。
「早く帰りましょう、直さま。叔母上が首を長くしてお待ちです。」
「そうだな。」
「何日も前から、こづゆを作るのだとおしゃっていましたよ。」
「こづゆか……懐かしいな。何年振りだろう。」
話したいこと、聞きたいことは山ほどあったが、それきり二人は寡黙だった。
静かに玄関をくぐった直正は、先に仏間に入ると手を合わせ、先祖に無事を告げた。
勝手口に回り、母親に声をかける。
「母上。ただいま帰りました。申し訳ありませんが、急ぎの用があるので、このまま隣に参ります。」
母は、食事の支度をしていたが、外へ出て行こうとする息子に声を掛けた。
「直正、せめて湯を使って身なりを整えなさい。例え親戚でも、汚れた衣服くらいは改めて行くものですよ。」
「はい。でも、急ぎ伝えたいことがあるので、このまま濱田の家に行ってまいります。父上は間もなくお帰りでしょうから、お支度をお願いします。」
「そう。父上は御無事なのですね。直正……?」
直正は、父の無事だけを告げると、着替えもせずに一衛の家に向かった。
思い詰めた息子の顔に、母はそれ以上問いかけるのを止めた。
*****
隣家の仏間で、叔父の最期の様子を伝えた直正は、ほっと小さく息を吐いた。
傍らに正座する一衛も、涙を見せず気丈に直正の話を聞いている。
「叔母上、どうぞお力落としの無きように。叔父上の御遺言ゆえ、これからは何でもお申し付けください。一衛が濱田の家を継ぎ独り立ちするまで、直正が必ず力になります。」
「直さま。ありがとう存じます。」
「これを、預かってまいりました。」
「それは……」
「叔父上に渡してくれと頼まれました。」
赤黒い染みの付いた袖に包まれた京都土産の柘植の櫛と、一房の遺髪を押し頂くと、妻はそっと胸に抱いた。
残された家族の心中を思うと、やるせなかった。
「旦那さま。お帰りなさいませ……。長のお務めご苦労様でした。今宵はお好きな酒(ささ)もご用意いたしておりますよ。ゆるりとお過ごしになってくださいませね。」
そこに夫が帰って来たように、妻は明るくふるまっていた。
「さあ。大したものはありませんけれど、直さまもご一献どうぞ。」
「は……頂戴いたします。」
夫を迎えるために新しい着物に着替えていた叔母は、直正に向かって深々と頭を下げた。
「お義姉さまが御待ちでしょうに、旦那さまの最期の様子を、早々にお聞かせくださってありがとうございました。」
「いえ、叔母上。直正は傍に居ながら力及ばず、お役にたてず申し訳ございませんでした。……すまなかった、一衛。敵陣に単身斬り込む叔父上を、わたしは御止めできなかったのだ。」
「直さま。父上は武士の本懐をお遂げになったのです。父上が亡くなったのは、直さまのせいではありませぬ。」
「うん。だがな……口惜しくてな。」
新兵器の銃口を前に、叔父は無謀な突進をしたのだとは口に出来なかった。
一衛は顔を上げると、きっぱりと言い切った。
「直さま。父上の仇は、一衛が討ちます。」
「一衛……?」
「父上の代わりに、一衛は薩長から会津を守ります。……直さまが御一緒なら、一衛は何も怖くありません……この手で……父上の仇を討ち、ご無念を晴らします。」
声が震えていた。
「一人でずっと、鍛錬してきたのだな。」
「……あい。直さま。」
「固い竹刀だこを見ればわかる。叔父上のような立派な武士の手だ。叔父上がご存命ならどれほどお喜びであっただろう。良く頑張ったな、一衛。さすがは会津一と言われた叔父上の嫡男だ。」
「直さ……ま……っ……」
我慢しきれずに、ぱたぱたと涙が頬を伝う。
叔母も袂でそっと涙をぬぐった。
にじり寄って肩を抱く直正の袴が、一衛の温かい涙でぬれた。
直正は父の仇を討つという、まだ前髪の一衛がいじらしくてならなかった。
幼い一衛が、どれほど会えない父を想い恋うていたか、直正には痛いほどわかっていた。
「この先、何が有ろうと一衛はわたしが守ります。叔父上とも約束いたしましたから……必ず。」
仏前に誓って、深く頭を下げた。
本日もお読みいただきありがとうございます。(´・ω・`)
叔父の最後を残された家族に告げた直正。どれほどの家族が、悲しい思いをしたか……
(。´・ω`)ノ(つд・`。)・゚「父上の敵を討ちます……」「よく頑張ったな、一衛。」
明日もよろしくお付き合いください。(`・ω・´) 此花咲耶
家中にも京の戦で亡くなった者、不具になった者が多いと聞く。
直正は何ともないだろうか。
「直さま……、お身体は大丈夫なのですか?」
「ああ、大事ない。こんなみすぼらしい身なりだがな。」
「良かった。」
立ち上がった一衛は直正の少ない荷物を持ち、膝を払った。
「早く帰りましょう、直さま。叔母上が首を長くしてお待ちです。」
「そうだな。」
「何日も前から、こづゆを作るのだとおしゃっていましたよ。」
「こづゆか……懐かしいな。何年振りだろう。」
話したいこと、聞きたいことは山ほどあったが、それきり二人は寡黙だった。
静かに玄関をくぐった直正は、先に仏間に入ると手を合わせ、先祖に無事を告げた。
勝手口に回り、母親に声をかける。
「母上。ただいま帰りました。申し訳ありませんが、急ぎの用があるので、このまま隣に参ります。」
母は、食事の支度をしていたが、外へ出て行こうとする息子に声を掛けた。
「直正、せめて湯を使って身なりを整えなさい。例え親戚でも、汚れた衣服くらいは改めて行くものですよ。」
「はい。でも、急ぎ伝えたいことがあるので、このまま濱田の家に行ってまいります。父上は間もなくお帰りでしょうから、お支度をお願いします。」
「そう。父上は御無事なのですね。直正……?」
直正は、父の無事だけを告げると、着替えもせずに一衛の家に向かった。
思い詰めた息子の顔に、母はそれ以上問いかけるのを止めた。
*****
隣家の仏間で、叔父の最期の様子を伝えた直正は、ほっと小さく息を吐いた。
傍らに正座する一衛も、涙を見せず気丈に直正の話を聞いている。
「叔母上、どうぞお力落としの無きように。叔父上の御遺言ゆえ、これからは何でもお申し付けください。一衛が濱田の家を継ぎ独り立ちするまで、直正が必ず力になります。」
「直さま。ありがとう存じます。」
「これを、預かってまいりました。」
「それは……」
「叔父上に渡してくれと頼まれました。」
赤黒い染みの付いた袖に包まれた京都土産の柘植の櫛と、一房の遺髪を押し頂くと、妻はそっと胸に抱いた。
残された家族の心中を思うと、やるせなかった。
「旦那さま。お帰りなさいませ……。長のお務めご苦労様でした。今宵はお好きな酒(ささ)もご用意いたしておりますよ。ゆるりとお過ごしになってくださいませね。」
そこに夫が帰って来たように、妻は明るくふるまっていた。
「さあ。大したものはありませんけれど、直さまもご一献どうぞ。」
「は……頂戴いたします。」
夫を迎えるために新しい着物に着替えていた叔母は、直正に向かって深々と頭を下げた。
「お義姉さまが御待ちでしょうに、旦那さまの最期の様子を、早々にお聞かせくださってありがとうございました。」
「いえ、叔母上。直正は傍に居ながら力及ばず、お役にたてず申し訳ございませんでした。……すまなかった、一衛。敵陣に単身斬り込む叔父上を、わたしは御止めできなかったのだ。」
「直さま。父上は武士の本懐をお遂げになったのです。父上が亡くなったのは、直さまのせいではありませぬ。」
「うん。だがな……口惜しくてな。」
新兵器の銃口を前に、叔父は無謀な突進をしたのだとは口に出来なかった。
一衛は顔を上げると、きっぱりと言い切った。
「直さま。父上の仇は、一衛が討ちます。」
「一衛……?」
「父上の代わりに、一衛は薩長から会津を守ります。……直さまが御一緒なら、一衛は何も怖くありません……この手で……父上の仇を討ち、ご無念を晴らします。」
声が震えていた。
「一人でずっと、鍛錬してきたのだな。」
「……あい。直さま。」
「固い竹刀だこを見ればわかる。叔父上のような立派な武士の手だ。叔父上がご存命ならどれほどお喜びであっただろう。良く頑張ったな、一衛。さすがは会津一と言われた叔父上の嫡男だ。」
「直さ……ま……っ……」
我慢しきれずに、ぱたぱたと涙が頬を伝う。
叔母も袂でそっと涙をぬぐった。
にじり寄って肩を抱く直正の袴が、一衛の温かい涙でぬれた。
直正は父の仇を討つという、まだ前髪の一衛がいじらしくてならなかった。
幼い一衛が、どれほど会えない父を想い恋うていたか、直正には痛いほどわかっていた。
「この先、何が有ろうと一衛はわたしが守ります。叔父上とも約束いたしましたから……必ず。」
仏前に誓って、深く頭を下げた。
本日もお読みいただきありがとうございます。(´・ω・`)
叔父の最後を残された家族に告げた直正。どれほどの家族が、悲しい思いをしたか……
(。´・ω`)ノ(つд・`。)・゚「父上の敵を討ちます……」「よく頑張ったな、一衛。」
明日もよろしくお付き合いください。(`・ω・´) 此花咲耶
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