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波濤を越えて 8 

今にして思えば、些細な事だった。
美術室で石膏像にふざけてキスをしたのを、上級生に見られただけだ。
最後まで、冗談として押し通すこともできたはずだった。
だが正樹には、できなかった。
その行為の裏に隠された自身の暗い性を、柳瀨に暴かれた気がしていた。
耳朶に囁く様に突き付けられた脅しの言葉は、誰もいない美術室で、正樹がいつかこっそり行った行為だったからだ。
もしかすると、本当にどこかで見られていたのかもしれない……疑い始めると、血が凍り付いた。

***

「う~ん。そこの陰影は、少し抑えた方がいいね。ちょっと目立ちすぎるかな」
「はい」

素描に励む正樹の背後から、美術教師が声をかけた。

「そこは光が当たっているけれど、パンで削ると白くなりすぎる。指の腹で擦ってごらん」
「こうですか?」
「それでいい。相良君。君のマルスはこれまでとても穏やかな顔をしていたんだが、最近何か生活に変化があったかい?」
「……何かおかしいですか……?いつも通りデッサンしているつもりですけど……」
「そうかな。君にしては険しい表情のような気がしたんだが……不思議だね。毎日見ていると、君のデッサンは意外に雄弁なんだと気づくよ」
「自分ではわかりません」
「そんなものかもしれないね。色々な表情のマルスがいて楽しいね」

少し離れて自分のデッサンを眺めてみても、別段変わったところはない。
物言わぬ石膏像にそっと触れた耳に、柳瀨の哄笑が聞こえた気がして思わず身じろいだ。
放課後、旧校舎に来るように言われていたのを、不意に思い出した。

「あの、先生……。生徒会の仕事を手伝う約束をしているので、今日はこれで失礼します。ご指導ありがとうございました」
「そうか。最近、君は忙しいんだね。でも、ここに籠ってキャンバスに向かっているばかりじゃない方がいい。行っておいで」
「はい」

震える指で、静かに木炭を片付ける正樹の横顔を、美術教師は見ていた。
白皙の清らかな少年の憂いを彼は知らない。

「いったい何があったんだろうね。君は知っているかい?マルス」

語らぬマルスだけが、正樹の苦悩を知っていた。




本日もお読みいただきありがとうございます。
絵を描くと、精神状態が絵に現れる……というのは、よく聞く話ですけれど、そんな体験はしたことがありません。
(´・ω・`) 柳瀨に呼び出されたから、これから旧校舎に行くのです……
蛇ににらまれた蛙になった、まあちゃん。がんばれ~(*´▽`*)←


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