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波濤を越えて 1 

殆ど訪れる者のない午後の美術館だった。
退屈な静かな時間に、「ふわぁ……」と出てくるあくびをかみ殺す。
相良正樹はその時、短期のバイトで美術館にいた。
本当は学芸員として美術館に入りたかったのだが、空きがなく、派遣職員として働いている。
政界にも顔のきく叔父のコネを使えば、おそらく容易に就職できただろうが、そうしたくはなかった。資格を取っても学芸員として働くのは何年先になるかもしれないが、いつかは好きなことを仕事にしたいと思っていた。

県立美術館では、現在焼き物の特別展示が開催されていた。新進気鋭の陶芸家の、登竜門となる日本工芸賞の入選作品が、展示されるのを正樹自身も毎年楽しみにしている。
閉館後にゆっくりと眺めていて、職員に終業時間を告げられた。

「相良君、お疲れさま。もう時間だよ」
「はい」

パイプ椅子を壁際に片付け始めて、足元に長い影が伸びてきたのに、正樹は気づいた。
ちらりと時計を見る。
まもなく閉館時間だったから、きっと違う職員が知らせに来てくれたのだろう。

「お疲れさまです……あ」

そこにいたのは大きなデイパックを背にした長身の外国人だった。
互いの存在に息をのんで、しばらく見つめあった。

「……マルス……」

正樹は素描で使う石膏のマルス像に似ていると思った。
金褐色の柔らかな巻き毛がそう思わせたのかもしれなかった。
男も正樹を見て同じように何かつぶやいたようだったが、正樹には聞こえなかった。

「あの、ここはもうすぐ閉まってしまいます……ぼくの言葉はわかりますか?」
「はい。日本語わかります。少し……?ですけど」
「良かった」

学芸員になるには、外国語も必要だった。英語と中国語を勉強してきたが、相手は日本語を理解できるようだった。
長く滞在しているか、日本語を勉強しているのだろう。最近は日本ブームとかで、日本語を話せる外国人も増えた。
少しと言いながら、男の言葉は十分流ちょうだった。

「どちらからいらっしゃったんですか?」
「ドイツです。日本の焼き物に興味があって、あちこち旅しています」
「ああ、それでここにお越しになったんですね。折角いらしたのに、時間がなくて残念でした。素敵な作品が数々あるので、是非見てほしかったです」

男は肩をすくめて、軽くうなずいた。

「時間はあります。また明日来ようと思います。あなたは明日もここにいますか?」
「ええ。10時の開館時間にはここに来ています」
「良かった。では、また明日来ます」

さようならと、笑顔で手を振って、男は出口へと向かった。
旅慣れている様子だから、近くにホテルでも取っているのだろう。
話しやすい人だと思いながら、他には何も深く考えずに、正樹も、またと声をかけた。
これが、正樹の人生最後の最愛の人となる、フリッツとの出会いだった。




本日もお読みいただきありがとうございます。
新しいお話です。すべて出来上がっているわけではないのですが、必死こいて頑張ります。(`・ω・´)
よろしくお願いします。


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