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金銀童話・王の金糸雀(かなりあ) 4 

バロックオペラなどに多く見られる女性役、天使役、少年役は、過去にはすべてカストラートと呼ばれる男性の去勢歌手が歌っている。
絶大な人気と、超絶技法で、当時教皇さえ動かすほどの、人気を集めたカストラートになるしかなかった王子と、敵国の王の物語。
歴史の仇花として大輪の華を咲かせた、カストラートの名を継ぐ者は、今や人道的な見地からもこの地上に存在しない。


湖の王は自分の立場と、口にしてしまった暴言に、やっと気が付いたのだ。

「この国のあぜ道の雑草一本までが、これからはわたしのものだ。その確認をするために、戦の間を縫ってはるばる緑の森の城から来たのだ。」

前領主は、自分の不遜な態度に気が付き両手を高々と組み合わせて、跪いた。

「慈悲深い王よ。わたしをお許し下さい。」
「これからはわたしの持ち物全てと、忠誠心をあなたに捧げます。」
「さあ・・・。そなたの忠誠心などに何の価値もないと思うが・・・。」
「許しを与えるべきかどうかは、わたしの忠実な司令官に相談をしてみよう。」

王は笑うと片方の頬に深い笑窪が出来て、ずいぶん若く見える。
しかし、今やその笑みは奥方が青ざめるほど、酷薄とも思えるような怜悧な表情に変わっていたのだった。

「ここから見える小麦畑の真ん中に、白いカササギの止まる処刑台が見えます。」
と、司令官が告げた。

「愚かな独裁者を縛り首にするには、最適の場所です。」

忠節を誓えない家臣は持つべきではないと、あなたが言ったではないかと直も続けると、前領主は見苦しいまでに取り乱し、恥知らずにも命乞いを始めた。

気の毒な奥方は気を失いぱたりと倒れ、ボビンレースの豪奢なハンケチを取り上げて、女官が顔を仰いだ。
先ほどまで、教会の赤いマントを羽織っていた少年が、王さまの側に跪くと、王さまの目をじっと見つめて小さな声で囁くように、木陰の歌を歌い始めた。

Ombra mai fùdi vegetabile,
cara ed amabile,
soave più

『こんな木陰は 今まで決してなかった緑の木陰
親しく、そして愛らしい、よりやさしい木陰は・・・・』

透明な声は、王さまの胸に染みとおり、銀色の柔らかな髪を持った王子の瞳からは、涙がとめどなく零れてゆく。
王さまは、銀色の王子の手を取ると、優しく立ち上がらせた。

「この無礼な男は、そなたの父王であったな。」
「はい・・・、王さま。」

空の青よりも濃いすみれ色の瞳から静かに溢れる涙をそっと舐め取ると、王は王子に永遠の約束をした。

「そなたの木陰になってやろう。これから先、いつまでも。」
「わたしの庇護の元、いつでも望むときに、傍らでそのセルセのアリアを歌ってくれるなら。」
「・・・いつでも、望むときに・・・?」

それは、いつもお傍にいる約束を交わすことだった。
王子の瞳に、ほんの少し悲しそうな色が浮かびましたが、王さまはわざと気が付かない振りをした。

「名は何と言う?」
「わたくしの名は・・・」

言いかけた王子の口許を指先で制すると、王さまはその名はもう必要ないと告げた。

「これから、そなたは「金糸雀」(カナリア)と名乗るように。」
「銀色の王子よ。これからそなたは、わたしだけの「金糸雀」(カナリア)になるのだ。」

王子は悲しそうな目を向けたまま、何も言わなかった。
運命は、王子の物ではなく既に森の王のものだった。

「そうすれば、そなたの無礼な父王を幽閉するだけで許してやろう。どうするね?」

王子の心臓が、不安で激しく波打っているのにも気が付かず、何と言う寛大な王さまだろうと、前領主が歯の浮いた美辞麗句を並び立て無様な様を見せる。
森の王さまは、やっと気がついた湖のお后さまに聞いた。

「湖の妃よ。ほかに子どもは居るのか?」
「皇女が一人おります。まだ幼く二歳にもなっておりません。」

震える声でお后が告げると、黒髪の王さまは頷いた。

「幼子と共に暮らすのを、許してやろう。」

本来ならば、敗者の国の王は首をはねられるのが、当たり前の時代だった。
領主の血を引く男子などは、後々の復讐などの後顧の憂いを残さぬように、ことごとく幼い子どもまでも、連座で処刑されたのだ。
自分の夫がこれまでにしてきたことを思い、側で名前を与えられた息子の命も、今や風前の灯と、妃は震えた。

少なくとも前領主よりは聡明な妻は、すっかり嫡男を失う覚悟を決めて凍りついた表情で、じっと新しい王を見つめていた。
静かにひざまづく小さな可愛らしい「金糸雀」に、ちらりと視線を送って王は寛大な処置を告げた。

「この領地でこれから先取れる小麦の代金と、この居城を、お前とお前の娘にそのままくれてやろう。」
「ただし、統治はわたしの息のかかった者がいずれ着任することになるだろう。」
「愚かな老王よ。息子に感謝することだな。」

森の王は、王子を引き寄せきっぱりと引導を渡した。

「この可愛らしい金糸雀は、愚かな父王の命の担保として、わたしがこのまま連れてゆく。」

お后さまは、結局、幼い王子との別れを覚悟しなければならなかった。
王子の命を救ったのを、また王のきまぐれだと忠実な司令官は思ったが、彼にとって王は絶対の存在だった。
中空にかかった新月も、王が太陽であるといえば、戦場で何度も命を助けられた彼は、何のためらいもなく太陽だと宣言しただろう。
いくつもの戦争を連戦し、全ての戦いに勝利した王は、これから緑の森の城に凱旋する。

母子は、短い別れの時間を許されて、銀色の王子は湖の王子としての最後の時を過ごした。

「母上、これでお別れです。」
「どこかで金糸雀の声を聞いたら、わたくしを思い出してください。」

小さな腰刀で、素早く自分の髪の毛を一房切り取ると、王子は母に形見としてそっと託した。

「どうかお元気で、お元気で。」
「わたくしの愛する父上、母上、そして年端もいかぬ小さな妹よ。どうぞ健やかにお過ごし下さい。」

幾ら抱き合っても、名残は尽きないので、忠実な司令官はそっと出立の時間を告げた。

「さあ、旅立ちの時刻だ。金糸雀。」

生まれたときに神の祝福と共に付けられた名前を故郷に置いて、こうして湖のある白い城に住む銀色の王子は「金糸雀(カナリア)」という名になった。

揺れる馬上に抱き上げられ、勇ましく鎧を来た王の懐に、厚いマントで包まれて、王子の優しい目は静かに故郷の空を映していた。

別れを告げる出立の号令に、ほんの少し顔をこわばらせた王子は、小さく自分の城に別れを告げた。
小さな薔薇色の頬が涙に濡れる。
気が付いた王がついと、唇を寄せ甘い涙を口にした。
王さまと、王さまの金糸雀の長い物語は、やっと始まったばかりだった。

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