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終(つい)の花 東京編 17 

微かに漂う甘い脂粉の香りが、鼻をくすぐるのが悲しい。

「すまぬ、一衛……」

直正は早くまともな職を得て、一衛と共に住む家を借りようと思っていた。
気持ちは急いてたが、職探しはままならない。
嬌声の聞こえる女郎屋の奥ではゆっくり養生も出来ないだろうと、心から一衛の身を案じていた。それほど思いながら、一衛の地獄を想像することもなかった。
全て手遅れだった。

直正が出かけた後、一衛の身が日向の手によって誰かに手渡され、嵐の中の木の葉のように翻弄されていたと知った。
強張った身体が強引に拓かれる痛みに、一衛は声を殺し心の内で直正の名を呼んで啼いただろう。
抱えた箱枕が、しとどな露に濡れたことなど、色ごとに疎い直正には想像さえもできなかった。
肌を這う太い指に怖気ながら、一衛は脳裏で懸命に直正の物と思って耐えたと、口にした。
何もかも打ち明けられて、直正は一衛を折れるほど抱きしめ慟哭した。
事実に打ちのめされていた。

「職を手に入れても、一衛がいなくなっては意味がない。二人で共に手を取り合って、国許を出たのに……こんな目に遭わせていたとは……」
「直さま。一衛も直さまがいらっしゃるから、ここにいます。直さまのいないこの世には、きっと一衛の居場所はありません。一衛は……いつも直さまのお傍にいたかったのです。共に会津を出たことを、悔いたことはありません。」
「今でも不幸ではないと……?」
「こうして直さまに抱かれている一衛が、どうして不幸なのですか?」

懐の一衛が直正を見上げた。
化粧師に薄く水おしろいを塗られ紅を引いた一衛は、違う生き物のようだった。

直正は一衛の頤をついと持ち上げて、初めて口を吸った……。

「あっ、直さま……。いけません……病が……」

逃げる一衛を抱きすくめた。

いっそ、一衛の病魔をすべて自分のものにしたかった。

*****

行燈の明かりが、溶けた影を襖に映した。

厚い羽二重の布団の上で、細い帯を解いた一衛は、無言のまま直正の腕を取った。
互いにこうなることを、ずっと待っていた気がする。
いとおしむように、そっと指を絡めて腕を抱いた。
まるで散る寸前の桜花のように、いじらしく儚げな一衛の熱ましくなった頬に、ふと手を添えた。
直正はその涼しげな瞳が、悟りきったかのように穏やかに澄んでいると気が付く。

「一衛。肺病の熱は、人肌が恋しくなると聞いたことがある。おまえもそうなのか?」
「あい。だから……きっと、一衛は直さまが恋しくて欲しくて狂おしいのです。」
「おまえを愛しいと思う気持ちは、何があっても変わらぬ。」
「うれし……」

胸にもたれた一衛の髪が肩で揃えられているのに、やっと気が付いて、直正は先ほどまでの日向に対する憤りを忘れて、つい含み笑いを浮かべて撫でてしまった。

「島原屋にいる禿のようだ。」
「……やっぱり、ざん切り頭は似合いませんか……いやだなぁ。日向さんにお上のお役人を相手にするのだから御定法は守ってくれといわれて、仕方なく短く切ったのですけれど。」

断髪脱刀令が出て、男は皆髪を短く切った。
一衛は恥ずかしそうに目を伏せた。

「いや……ずいぶん可愛らしくなってしまったと思っただけだ。こんな一衛は見たことがない。」
「幼いころは、みんなこんな頭でしたよ。ご存知じゃありませんか。」
「違いない。」

一衛はくす……と笑った。




本日もお読みいただきありがとうございます。(´・ω・`)
なんだか切ない展開です。  此花咲耶

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