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終(つい)の花 東京編 10 


直正が帰ってくると、いつも一衛は話を聞きたがった。
今日はどこでどんな話をしたとか、誰に会ったとか、他愛もない話を目を輝かせて嬉しげに聞いた。
だが、最近は気分がすぐれず、部屋に籠って休んでいる日が多い。

「起きているか、一衛。」
「……あい。」
「今日は栃餅を買って来た。懐かしいだろう?」
「お帰りなさい、直さま。」
「飯はちゃんと食ったのか?日向さんが、具合が悪くなったと言っていたが?」
「大丈夫です。直さまがお帰りになるころには起きようと思っていたのですが、眠ってしまいました。」
「疲れが抜けていないのだろうな。食うか?」
「……あまり食欲がありません。直さまがお召し上がりください。」
「好きな栃餅も喉を通らないとは……いつもと様子が違うな。医者を呼んでもらうか?」
「いえ……」

一衛は静かにかぶりを振った。
額に手を当てて覗き込み、直正は一衛の熱を確かめた。
胸の病は静かに進行し、続く微熱がゆっくりと一衛を弱らせていた。だが、一衛が胸に抱えているのはそんなものではない。

数日前、足抜けを試みた染華花魁の仕置きを、襖越しに散々聞かされた。
耳を抑えて聞くまいとしたが、日向は許さなかった。大勢の牛太郎が寄ってたかって染華を嬲る声と呻き声、染華花魁の悲鳴が次第に甘く色を帯びてゆくのを、一衛は蒼白になって聞いた。
その場から逃げようとする一衛を背後から懐に抱きこんで、日向は放さなかった。

「いい子にしてお聞きなさい。一衛さまの幼い心と体を大人にして差し上げるのですよ。」
「いやだ、放せっ。」

日向は冷静に告げたが、それどころではなかった。
体の変調に、一衛は狼狽していた。
染華花魁の悲鳴と嬌声を長々と聞かせられている間に、自分の幼容がぴしりと頭をもたげようとする。驚いて抑えようとしたが、ままならない。
泣きそうな一衛の染まった頬を撫でて、日向は満足したようだ。
着物の上から固くなったものを、あやすようにぽんぽんと軽くたたいた。

「今のままではお怪我をさせてしまいそうで、案じて居ったのですよ。ようございました。目途が立ちました。」

何がいいのか日向の言っている意味がわからないまま、許された一衛は老婆に布団を敷いてもらい横になった。
熱を持った下肢をどう鎮めていいかわからない。
じんじんと若茎の脈が打つのを、布団の中で一衛はぎゅっと前を押さえて途方に暮れていた。

「あぁ……直さま……」

*****

日々職を求めて帝都を走り回っている直正は、日向の手の内に落ちた一衛の変化に気付かなかった。
何も知らない直正の労りの言葉に、ふと涙が滲みそうになる。

「医者が胸の病には滋養が一番だと言っていた。本当はこんなものではなく、牛鍋でも食わせてやればいいのだが、すまぬ。」
「牛の肉など口にすれば、額に角が生えると、子供が歌を歌っていました。」
「そうなると、往来が賑やかになるだろうな。牛鍋屋は人であふれているそうだよ。」
「四足よりも、一衛はこちらの方が好きです……母上を思い出します。」
「そうだな。叔母上は名人だったから、親戚中が寄って来てたくさん作ったな。そういえば、栃の実を拾いに行ったとき、一衛の袋に穴が開いて……」

直正は、思い出してふっと笑った。

「いつも一生懸命だったな。」




本日もお読みいただきありがとうございます。(`・ω・´)

何も知らない直正と、秘密を抱えてしまった一衛。
この二人のこれから先は、どうなるのでしょう。……(´・ω・`)←いじめっ子。


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