遠山の銀(しろがね)と銅(あかがね) 「冬が来る前に」
大怪我をした小さな山猫の銅(あかがね)を助けるために、銀は命の次に大切な尻尾を二本、神様に渡し命を救った。
その代わりに妖力を失って、銀の見た目はケモノの耳の付いた人型の化け物狐になってしまったけれど、それでも山猫の銅と二人(匹)幸せだった。
直ぐ側に銀にすがる、小さな愛おしい山猫がいたから。
甘えん坊の山猫、かわいい銅(あかがね)は、銀が少しでも見えなくなると夜も昼もなく、後を追い銀を探した。
「しろがね。しろがね」
夜になると、しっぽを探して啼いた。
「おしっぽ、ない。しろがね、ふさふさおしっぽ、ない……ない……え~ん……」
寂しげに見上げて、にゃあとしっぽを求めて泣く、小さな山猫の子供を銀は懐に抱いて眠った。
おさない山猫は、しっぽを失う前、銀のふさふさのしっぽに包まれて眠るのが好きだった。
「ないねぇ、おしっぽ。又、いつか生えてくるからね。待っててね、銅(あかがね)」
「にゃあ……」
銀のほっぺたを、ざらざらとした舌で舐めた山猫の成長は早い。
銅はあっと言う間に成長し、いつしか、銀の背を越え強い力で、ぐいと銀を引っ張った。
「銀。あっち、あっち。あっちの山陰に、山猫の俺に似たのがいるんだ」
少し戻ってきた妖力で、銀は時々山猫を自分と同じ人型に変えた。
そうすれば、会話が出来るから。
「ちちんぷいぷい」
人型になった山猫が、どんどん銀の手を引いて山奥に分け入った。
そこにいたのは、銅と同じ種類の山猫の・・・仲間だった。
遠くの山猫は、銅に気が付くと恋の季節の合図を送った。
「もう帰るよ、銅」
「待って。あの岩山にいるあの子が、俺と話をしたいといっている気がするんだ、銀。どうしてかな?」
銀は何も言わずに、銅の手を引いて元の場所へと必死で駆けた。
「待って。銀。どうして、あの子と話をしてはいけないの。どうして怒っているの?」
「うるさい。うるさい。うるさいっ」
うつむいてしまった銀に、銅は一生懸命話をした。
「ほら、聞いて、銀。俺の胸の奥のほうで、何かが「どきどき」言ってるのがわかる?なぜかは分からないけど、この胸の声を、きちんと聞かなくてはいけない気がするんだ。」
銀には分かっていた。
獣には獣の恋の季節がある。
気持ちじゃなくて胸の奥で本能が騒いで、大きくなった銅は同種の雌を求めていたのだ。
今はお使い狐の銀も、昔は悩ましい胸の声を聞いたことがあった。
種を残し連綿と続いてゆく、自然の理に銀が太刀打ちできるはずも無い。
どんなに大切にしても、呪文で人型になっても、銅はどこまでいっても、自然に生きる奥山の野生の山猫だった。
少しの妖力で、銀の側にいる間人型になっても、銅の人型は所詮、銀の作ったつかの間の幻に過ぎなかった。
「わかってるさ……」
小さくため息をつくと、銀はさっさと呪文を唱え、人型の山猫をただの獣に戻した。
そうすれば、銅は野生の血の赴くままに恋をして子供を作るだろう。
元々、一人ぼっちだったんだ、夢が覚めただけのこと。
藪をかき分けて、山奥に戻ってゆく山猫の銅を銀は笑顔で見送った。
「きっと、元気で暮らすんだよ。もう、ここへは戻ってきてはいけないよ」
「にゃあ」
戻って擦り寄ろうとした山猫に、銀は厳しく引導を渡した。
「おまえがいると、俺の修行の邪魔になるんだ。いいな。二度とここへは戻ってくるな!」
いつも優しい銀の厳しい声に、山猫はしょんぼりと涙ぐみ、背中を向けて藪に分け入った。
「おまえが元いた場所に、疾く、疾く、去(い)んでしまえっ!」
怒声に、山猫は小さく名残惜しそうに「にゃあ」と鳴いたが、銀は背中を向けたきり二度と振り返りもしなかった。
振り向けるはずなどなかった。
背を向けた銀の頬は溢れる涙で濡れ、足元には涙の溜りができた。
どれほどの時間がたっただろう。
「うっ、うえっ……あか……がねっ。あかがねーぇっ……」
化け物狐の銀は、声を殺して銅を求めて泣いていた。
長い間、神さま以外に話をすることもなく、ずっと一人ぼっちだった。
ずっと願をかけていた。
『一人ぼっちじゃなくなりますように』
願いが叶った一人ぼっちの銀ぎつねは、紅葉の舞い散る奥山で、親とはぐれたちっぽけな山猫の子どもを拾った。
拾った山猫は育って恋をして、やがて銀の元を巣立ってゆく。
野生の動物は、皆間違いなく子別れの儀式をする。
化け物狐になった銀は、少しだけ人に近くなってしまったのだろうか。
本当は自然なことのはずなのに、離れていった山猫が恋しくて恋しくて堪らなかった。
恋を失った人間のように、銀はほろほろと泣いた。
「こんなことなら、山猫なんぞを拾うんじゃなかった。俺の心にびょうびょうと大きな風穴が開いた……いっとう最初よりも、もっと悲しくなってしまった」
静かに泣きながら、たった一本神さまに寒いだろうと貰ったしっぽで、暖を取るように身体に巻きつけた。
山猫がいつもしていたように、太いしっぽを抱いて眠ろうとした。
だが、どんなに向きを変えても寝付けず、思い出すのは山猫のことばかりだった。
「あかがね……」
身体の中心が、じゅんと熱を持ってささやかに立ち上がっていた。
「ああ……」
人型の前足を伸ばして、銀は緩く扱いた。
硬くなった細い茎を空に揺らして、銀はせつなく狐の声で啼いた。
恋をしたのはうんと昔で、自分の身体がこんな風になることもとうに忘れていた。
両手で握り締めた銀のちっぽけな茎が、涙と一緒にほんの少し、あけびのように中身が白く爆ぜた。
求めてももう二度と手に入らない恋をする山猫の声が、どこか遠くの山奥で聞こえたような気がする。
銀の一人寝のさびしさだけは、どうしようもなかった。
草の寝床でいつしか眠ってしまった銀は、ざらついた何かが自分の茎に舌を絡めるのを感じた。
「あんっ……」
ざらついた……?
この舌の感触は……?
「わーーっ!!銅っ!二度とここへは戻ってくるなと、言っただろう」
「にゃあ」
銅は、紅葉の葉っぱを持ってきた。
人型にしてくれと、銀にねだっている。
「……ちちん……ぷいぷい」
人型になった山猫は、いつしか銀の背を越して一人前になっていた。
「何で、戻ってきたんだ。あれほど言ったのに」
「俺は、銀がいないと寂しい。奥山で恋をしても、狩をしていても銀のことばかり思い出すんだ」
「銀の顔ばかり浮かんで、恋にならないんだ。銀は?銀は俺がいなくても平気?寂しくなかった?」
「俺は……」
銀は口ごもってしまった。
「俺は、銀と恋がしたい。銀のここをさっきみたいに舐めたい。銀のふさふさしっぽが欲しい。銀じゃないとダメなんだ、俺。雌の山猫より銀がいいんだ」
「しっぽが欲しいなら、くれてやるよ」
「そのしっぽに、銀もつけてくれる?」
胸にすがって啼きながら眠っていた山猫が、今は広い胸に銀を抱く。
「ばか。なりばっかり大きくなりやがって。俺を泣かせやがって」
ざらついた舌が、銀の濡れた頬を舐めた。
奥山には銀というお使い狐と、お使い猫が仲良く住んでいる。
神さまのお使いの二人には、奥山に住む獣と同じく、恋の季節もやってくるらしい。
耳を澄ませば、聞こえてくる獣たちの声。
「しっぽ、絡めるなーーーーっ!!」
「しろがね。好き。ふさふさしっぽ」
山の秋は深い。
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2 Comments
此花咲耶
nichikaさま
再掲なのに、コメントいただいてしまいました。ありがとうございます。(*´▽`*)
このお話は寂しい狐が、山猫の子供を拾ったところから始まりました。
たぶん、犬が猫を育てる話とかを何処かで見て、話を膨らませた気がします。気に入ってくださって嬉しいです。
前に上げた作品のコメントが消えるのは悲しいので、カテゴリーを外してサイトの奥深くに収納してゆくつもりです。
> いよいよ年末掃除やらで多忙になりそうな ← 掃除苦手...
此花も掃除は嫌いです。まだ何もできていないので、どうしましょう……
明日から頑張ります。
>
> 来る年が此花昨夜様にとって幸多く過ごせますように。
> もちろん、みんなもですね💛
お気遣いありがとうございます。
新しい年が、いい年でありますように。此花も念じておきます。
優しくしてくださって、ありがとうございました。
nichika
嬉しいです!
なぜか儚い生い立ちの銀さんに思いれが多くて。あかがねが戻ったことのホットし幸せに過ごせてほしいと思う読者でした。
いよいよ年末掃除やらで多忙になりそうな ← 掃除苦手...
来る年が此花昨夜様にとって幸多く過ごせますように。
もちろん、みんなもですね💛