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それは野分のように……後編 

『かわいい。小さなサムライ』

中尉が思わず抱きしめて、少年は懐かしい嗅ぎタバコの匂いをかいだ。

『君が一夜の恋を売る売春婦なら、どんなに良いだろうね。そうしたらずっと側において大切に扱うのに。同じ色の髪と瞳と、失った大切な人に似た面差しで、いつか、わたしを好きになってくれたらどんなに良いだろう。でも、わたしたちは永遠に、愛を語ることはないだろう。本当は、君を食べてしまいたいよ。……ケン……』

背中にぽつりと温かい滴が落ちたような気がして、少年は通訳を振り返った。

「この方は、なんとおっしゃっているんですか?」

通訳は、ちょっと困ったような悲しそうな表情を浮かべた。

「彼は、とても大切な人を亡くしているんだ。米国には442部隊と言う、ぼくのように日系2世だけの勇猛果敢な軍隊があってね、ヨーロッパで一番激しい戦場に送られたんだ。彼らは、アメリカに住む日本人の両親や家族を守るために戦ったんだよ」

少年は静かに話を聞いた。

「ほら。そこのテーブルの上に写真があるだろう?中尉は子供の頃から、ずっとその人と仲良しで戦争が終わったら、シアトルという町で一緒に農場をするつもりだったんだよ。だから、ケンに似た君が困っているのを見捨てたり出来なかったんだ」

写真の中でやわらかく微笑む軍服の兵隊と自分は、言われてみると、どこか似ているかもしれないと、少年は思った。

「中尉はこの人を……ずっと、好きだった?」

中尉は簡単な日本語なら分かるよといって、微笑んだ。

「とてもね。わたしはわたしの命を、出来ることならヨーロッパ戦線にいるケンの下に届けたかった。彼がいなくなるなら、わたしも共に同じ場所に行きたかった」
「ぼくも、お父さんが戦死したときとても悲しかったです。そして、あなたが抱きしめてくれたとき、お父さんの煙草のにおいがしました。とても、懐かしかった」
「そう……?光栄だね。君の父上なら、きっと立派な侍だっただろう」

少年はふっと息をつくと、中尉を見上げゆっくりと告げた。

「ぼくの名前は、謙(ケン)です。秋月 謙といいます。」
「驚いた……君は同じ名前なのか?わたしの、ケンと……」

よくある名前だと、通訳は思ったが黙って見守っていた。

「だから、これはお礼のキスではなく、戦場で散ったあなたの大好きな人からの最後のキスです」

失礼しますといって、少年は頭を下げると背の高い中尉の首にかじり付くようにして、初めての幼い嵐のキスを贈った。
そして、小さく頭を下げると、熟れた柿の実の様に真っ赤になって、退散した。
小さなつむじ風のような、激しいキスだったよと、中尉は切れた唇に滲んだ血を拭いて笑った。

「ぶつかった前歯が、折れるかと思った。まるで荒野を走る情熱的な嵐のキスだ」
「この国では秋の激しい風のことを、「野分け」というんです。」
「そう。美しい言葉だ。この国のすべてが愛おしいね。」

窓下に、ジープに乗り込む少年の姿が小さく見えた。

「あの子が欲しいな、貴志川。手に入れてくれ」

駐留軍の中尉は、真剣に通訳に伝えたが軽くはぐらかされた。

「あいにく、軍の法規で、人身売買は禁じられています」
「ケイン、つまらない冗談だ」

可愛いミーアキャットの行方を追って、中尉はその後大人の贈り物をした。
身重の母親に、無理のない程度の下働きを頼むことにし、十二分な給料を支払った。
ケンには自分で分かる範囲の勉強を教え、ケンも懸命に応えた。

やがて身が二つになり働けなくなった婦人に、甲斐甲斐しく世話を焼く優しい日系人の貴志川が指輪を贈るのに時間はかからなかった。
貴志川ケインがケンの母親に結婚を申し込み、つつましい婦人が承諾するには、それから五年の歳月がかかった。
ある日、君と家族になるんだと、貴志川が満面の笑顔で報告してきたとき、謙は16歳になっていた。
もう直ぐ駐留軍の大方が、本国に帰ることになっているから、妻としてアメリカに同行させたいんだと彼は提案し、謙は少し青ざめた顔で母をよろしくお願いしますと頭を下げた。
だが、ケンの心中には、予期せぬ激しい風が吹いていた。

「帰ってしまう……?アシュリー中尉と、お別れだなんて……」

どうしよう……
忙しなく、結婚式が行われ、アメリカ国籍を得た母親は貴志川の花嫁として、幼い妹を連れて米国に渡ることになっていた。
上官として結婚式に参加したアシュリー中尉が、ケンに声をかけた。

「ケン。君はお母さんがアメリカに行くのを反対しなかったんだって?」
「中尉。ぼくはあれほど幸せそうな母の姿を見たことがありません。きっと幸せになれると思います。みんな、あなたのおかげです。駅の構内で出会ったあの日から、あなたは、ぼくに教育と・・・たくさんの愛情をくださいました……Thank you. I thank you heartily.」(ありがとう。心から、あなたに感謝します。)

そういう、少年の瞳は出会った数年前と同じように濡れていた。

[ケン?何故泣くの……?]
「あなたにキスを……贈りたいです……」

今は身長も伸び、懐にすっぽりと収まるほど幼かった少年も、線は細いが肩を並べていた。
濡れた瞳が綺羅と光る。

「アシュリー。ぼくはまだあなたの小さなミーアキャットですか?」
「ケン……?」

中尉にそっと唇を寄せると、謙はぎこちなくついばむように上下の唇をかわるがわる吸った。
歯をぶつけるようなキスしか出来なかった少年も、少しは成長して見よう見まねで覚えたのかどうか、応える方法を知っているらしい。
拙い大人のキスに驚きながら、涙の味のする頬にゆっくりと何度も、確かめるようにアシュリーはキスを落とした。
小さな口腔を満たし、逃げる舌を追いかけ強引に絡ませた。
空気を求めて慣れない少年が喘いだ。
奥手の少年が自分からキスをしたのは、あれから5年経って二度目だった。
黒い真珠が煌くように、ケンは涙にくれていた。

「どうか……国へ帰ってしまっても、ぼくのことを忘れないでください。ぼくには今はまだ、渡航費用はないけど、いつかお金をためてあなたのところに行きます」
「それは、何故かな?ケン」

ドアの向こうにいたずらっぽくウインクをして、親指を立てた貴志川が気を利かせてドアを閉めた。
一体、この子は何を誤解しているのだろう。
国へ帰るのは貴志川ケインだけで、じぶんにはまだまだGHQの仕事が残っているのにと、アシュリーは不思議そうに謙を見やった。
腕の中で、愛おしい少年がそっと告げた。

「あなたを愛しています、ずっと……はなればなれになっても」

もしかすると、通訳の貴志川と一緒に、上官の自分も本国へ帰ってしまうと思っているのだろうか。
だとしたら、このすばらしい誤解に乾杯しよう。

アシュリーは、捕まえたミーアキャットに、歓喜のキスの嵐を贈った。







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