世良兄弟仇討譚 長月の夢喰い(獏)・3
獏(ばく):体は熊、鼻は象、目は犀、尾は牛、脚は虎にそれぞれ似ているとされるが、その昔に神が動物を創造した際に、余った半端物を用いて獏を創造したためと言われている。
人の悪夢を喰う。
冷ややかな坂崎の視線に屈する事無く、まだ前髪の少年は、ひたと正面から幼い弟達を護るように前に座り決意を陳べた。
目元の赤いのは、おそらく懸命に零れ落ちるものを堪えているのに相違なかった。
「城代さま。我等が父上は心弱い所もありましたが、決して卑怯者ではありませぬ。ですからもう一度、仔細をお調べいただいて、お吟味後は、嫡男であるこの弥一郎が、お家を継ぎとうございます」
「ほう……そちがのう」
「労苦をいとわず身命を賭して、必ずや藩のお役に立ってご覧に入れまする。何とぞ寛大なご処置を賜りますように、よろしくお願いいたします」
「話は分かった。評定所で吟味する故、沙汰を待て」
「は……」
瀬良弥一郎は、心陰流の道場でも、「小天狗」とあだ名されるほどの抜きん出た剣の素質を持っていた。
藩校でも一目置かれるほどの利発さで、ゆくゆくは藩中枢に躍り出るだろうと言われていた。
だが結局、城代家老、坂崎采女(うねめ)は、必死のその声を握りつぶし瀬良家を断絶させたのだ。
使者が「上意である」と血も涙もない沙汰を告げたとき、かしこまっていながら俯いたその頬は、流れる涙でしとどに濡れていたと聞く。
一縷の望みが絶たれた今、泣き喚くでもなく罵るでもなく、小さな侍は御下知を頂戴し、健気に頭を下げた。
だが、その小さな肩は余りの非情さに打ちのめされて、細かに震えていたという。
坂崎は、そんな弥一郎の様子を詳しく聞いた。
凡庸として人が良く、無駄な正義感だけが強かった勘定吟味役の瀬良が、もう少し話の分かる輩であったならと、今も思う。
「許せ」と心で呟いた。
今更「どうにもならぬ」……
坂崎は生真面目な瀬良を始末したが、決して瀬良と言う男を憎く思っていたわけではなかった。
むしろ、素直で曲がったことの嫌いな優しい男を、坂崎は今も心のどこかで慈しみ愛していた。
腹黒い自分に無いものを欲するように、日輪の如く快活に笑う瀬良を眩しいと思っていた。
坂崎は思いを振り切るように、酒を煽った。
「のう、相模屋、小倅に家を継がしたところで、あの堅物が生きておるのと同じことじゃ。あの小童は、父親と同じ澄んだ目をしておった。真面目で真摯な生き方など、この時代には似合わぬ。面白おかしく金を使うて浮世の春を楽しまねばのう」
「まこと、城代さまのおっしゃるとおり。おかげさまでこの相模屋の金蔵は、溢れる千両箱の積み場所に困っております」
「戯言を申すな。そなた、先日新しい蔵を立てると申していたではないか」
「左様でございましたな」
相模屋は、腹を揺らして愉快そうに笑った。
「あの世とやらに参ってしまった忠義な瀬良様には、この相模屋も、いずれ向こうで詫びを入れると致しましょう」
彼等は夜毎、見目の良い男女を侍らし、忘れようとするように色に溺れ、遊興に耽った。
遊び女が幇間(ほうかん)の太鼓に合わせて、しどけなく舞う。
「瀬良に似合いの妻女が、このように豊かな乳房を差し出してくれば聞いてやらないでもなかったが、身持ちが堅すぎて話にもならぬ。髪を下ろしたしまったそうな」
「では城代さま。世良の遺児はいかがでございます?中々の美童だと聞いておりますよ」
「あのような育ちきらぬ童では忠行の代わりにはならぬ。見目良いが幼すぎる。そうだ、いっそあの哀れな幼子三人、相模屋に下げ渡してゆっくり稚児遊びをさせるのも一興かな。のう……そなたは良い女子じゃ」
「あれ……ご城代さま……」
遊び女を引き寄せ、たわわな胸元に手を滑らせた。
嬌声をあげて、女が坂崎にしなだれかかる。
「それ、稚児のよさも分からぬ城代さまが、女子をお望みじゃ、赤貝も蛤も剥き身を広げて、たんと召し上がっていただくのじゃ」
生きながらに畜生道に落ちた悪党が、ぴちゃ……と音を立てて赤い臓物を貪った。
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人の悪夢を喰う。
冷ややかな坂崎の視線に屈する事無く、まだ前髪の少年は、ひたと正面から幼い弟達を護るように前に座り決意を陳べた。
目元の赤いのは、おそらく懸命に零れ落ちるものを堪えているのに相違なかった。
「城代さま。我等が父上は心弱い所もありましたが、決して卑怯者ではありませぬ。ですからもう一度、仔細をお調べいただいて、お吟味後は、嫡男であるこの弥一郎が、お家を継ぎとうございます」
「ほう……そちがのう」
「労苦をいとわず身命を賭して、必ずや藩のお役に立ってご覧に入れまする。何とぞ寛大なご処置を賜りますように、よろしくお願いいたします」
「話は分かった。評定所で吟味する故、沙汰を待て」
「は……」
瀬良弥一郎は、心陰流の道場でも、「小天狗」とあだ名されるほどの抜きん出た剣の素質を持っていた。
藩校でも一目置かれるほどの利発さで、ゆくゆくは藩中枢に躍り出るだろうと言われていた。
だが結局、城代家老、坂崎采女(うねめ)は、必死のその声を握りつぶし瀬良家を断絶させたのだ。
使者が「上意である」と血も涙もない沙汰を告げたとき、かしこまっていながら俯いたその頬は、流れる涙でしとどに濡れていたと聞く。
一縷の望みが絶たれた今、泣き喚くでもなく罵るでもなく、小さな侍は御下知を頂戴し、健気に頭を下げた。
だが、その小さな肩は余りの非情さに打ちのめされて、細かに震えていたという。
坂崎は、そんな弥一郎の様子を詳しく聞いた。
凡庸として人が良く、無駄な正義感だけが強かった勘定吟味役の瀬良が、もう少し話の分かる輩であったならと、今も思う。
「許せ」と心で呟いた。
今更「どうにもならぬ」……
坂崎は生真面目な瀬良を始末したが、決して瀬良と言う男を憎く思っていたわけではなかった。
むしろ、素直で曲がったことの嫌いな優しい男を、坂崎は今も心のどこかで慈しみ愛していた。
腹黒い自分に無いものを欲するように、日輪の如く快活に笑う瀬良を眩しいと思っていた。
坂崎は思いを振り切るように、酒を煽った。
「のう、相模屋、小倅に家を継がしたところで、あの堅物が生きておるのと同じことじゃ。あの小童は、父親と同じ澄んだ目をしておった。真面目で真摯な生き方など、この時代には似合わぬ。面白おかしく金を使うて浮世の春を楽しまねばのう」
「まこと、城代さまのおっしゃるとおり。おかげさまでこの相模屋の金蔵は、溢れる千両箱の積み場所に困っております」
「戯言を申すな。そなた、先日新しい蔵を立てると申していたではないか」
「左様でございましたな」
相模屋は、腹を揺らして愉快そうに笑った。
「あの世とやらに参ってしまった忠義な瀬良様には、この相模屋も、いずれ向こうで詫びを入れると致しましょう」
彼等は夜毎、見目の良い男女を侍らし、忘れようとするように色に溺れ、遊興に耽った。
遊び女が幇間(ほうかん)の太鼓に合わせて、しどけなく舞う。
「瀬良に似合いの妻女が、このように豊かな乳房を差し出してくれば聞いてやらないでもなかったが、身持ちが堅すぎて話にもならぬ。髪を下ろしたしまったそうな」
「では城代さま。世良の遺児はいかがでございます?中々の美童だと聞いておりますよ」
「あのような育ちきらぬ童では忠行の代わりにはならぬ。見目良いが幼すぎる。そうだ、いっそあの哀れな幼子三人、相模屋に下げ渡してゆっくり稚児遊びをさせるのも一興かな。のう……そなたは良い女子じゃ」
「あれ……ご城代さま……」
遊び女を引き寄せ、たわわな胸元に手を滑らせた。
嬌声をあげて、女が坂崎にしなだれかかる。
「それ、稚児のよさも分からぬ城代さまが、女子をお望みじゃ、赤貝も蛤も剥き身を広げて、たんと召し上がっていただくのじゃ」
生きながらに畜生道に落ちた悪党が、ぴちゃ……と音を立てて赤い臓物を貪った。
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