世良兄弟仇討譚 月影の鵺 6
鵺(ぬえ):暗い森の中にすみ、夜、ヒーヒョーと笛を吹くような寂しい声で鳴く。
または、伝説上の妖力をもったばけもの。頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎、正体ははっきりとはしない。
夕暮れの町外れは寂しく、既にもう人通りもなかった。
二人連れの影が、往来に長く伸びている。
「月華とやら」と、幼い少年の手を引く勘定奉行が声を掛けた。
「あい。勘定奉行さま」
「そちの兄上は、類希なる上品(じょうぼん)じゃのう」※上品上生(じょうぼんじょうしょう)の略
「じょう、ぼ……?それは、なぁに?」
「良い良い、幼きそなたには、分からなくてもよいのじゃ。そら」
ひょいと身体を救って軽々と抱え上げ、肩車をした勘定奉行に月華はきゃあっと声を上げた。
「お空が近うなった気がいたします。昔、今はない父上に、こうして肩車をしていただきました」
子どもらしく明るく声を上げる月華に、先ほどまで兄に、散々無体を仕掛けていた我が身をふと恥じた。
「明日には……いや、明日が無理でも近い内に、きっと兄上を帰して進ぜる。月華殿は泣かずに待てるかな?」
「あい。月華は兄上がたいそう好きですから、戻られるまでいい子でお待ちします」
「そうか、そうか。愛いの……う……」
言い終わらぬうちに、肩車の影がぐらりとかしいで、月華が肩からぽんと飛び降りた。
どっと、大きな体が声もなく倒れ込んだ。
「……ですから、お奉行さま。早く笹目兄上をお返しくださいね。お約束ですよ。笹目兄さまは、弥一郎兄さまと月華のものなのですから」
にっこりと微笑む月華の小さな手には、夕陽にきらめくものがある。
ぱたぱたと家路を急ぐ月華の後で、人が死んでいると金きり声が上がった。
その声にばらばらと人が集まり、番所に担ぎ込まれる奉行の身体には、何の不審もない。
翌日、上の兄が息も絶え絶えな笹目を引き取りに、奉行所へと訪れた。
「ご雑作をお掛けいたしました。河原者に過分の見舞金を頂戴し、お礼の言葉もございませぬ」
「そのほうは?」
「座付き作家の滝沢弥琴(たきざわやきん)と申します。座頭に言われて、花形役者を引き取りにまいりました。以後、お見知りおきくださいますように」
隙のない佇まいに、元は武士なのだろうと与力は座付き役者を見やった。
「……こちらの調べが、多少荒っぽくなりすぎて、可哀想に目が空ろになって居るようだ。養生所から取り寄せた気付け薬を進ぜるから、しばし待つように」
「お心遣い、ありがとうございます」
有りがたく深々と頭を下げて、是非とも舞台をご覧になってくださいませ、と頭を下げ、座付き作家は引き馬に役者を乗せて家路を急いだ。
「大丈夫か、笹目」
「何のこれしき……と言いたい所だが……此度はいささか、随喜に堪えた。あの、好き者が図に乗りおって……」
意識が朦朧とする笹目に、その場で気付け薬を飲ませた兄は、着物に手を入れ後孔をまさぐった。
散々に、いたぶられたそこは熱を持ち、溜まった精で潤んでいた。
濡れた指先に、強い媚薬の香を認め、弥一郎は眉をひそめた。
「薬を使われたか……笹目、これでは、腰が疼いて正気ではいられまい?鎮めてやろう」
くっ……と、喉の奥で押しつぶした嗚咽が漏れた。
兄は道をはずれ、草陰に馬を寄せた。
抱きかかえた笹目は、鞍から力なく滑り落ちた。
「兄……上……、笹目は、正気でいられませぬ。散々に……使われましてございまする」
「淫具も使われたか?」
「は……」
大きく喘いで、義弟が俯くと、思わぬ涙がはらはらと零れ落ちた。
「このような思いまでして……我が身を虫けらのように地に落としてまで、親の仇を討たねばならぬとは……まこと、武士道とは……救いのない魔道にございます。」
「我らのゆく道は、元より報われぬ残酷なものじゃ。せめて、この兄が清めてやろう……泣くな、笹目」
「あ、あにう……え」
幼い子どものように取りすがって、清冽な美貌が兄の袂を濡らした。
「泣くな、笹目。お前の働きは無駄ではない。月華が、勘定奉行の始末をいたした」
「月華が……それは重畳……」
暗い森の奥で、鵺がヒョーオと笛を吹くような寂しい声で鳴く。
月影に隠れ、廃屋で愛おしい義弟を抱いた、人の世の化け物が呟いた。
「これで、やっと二人」
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または、伝説上の妖力をもったばけもの。頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎、正体ははっきりとはしない。
夕暮れの町外れは寂しく、既にもう人通りもなかった。
二人連れの影が、往来に長く伸びている。
「月華とやら」と、幼い少年の手を引く勘定奉行が声を掛けた。
「あい。勘定奉行さま」
「そちの兄上は、類希なる上品(じょうぼん)じゃのう」※上品上生(じょうぼんじょうしょう)の略
「じょう、ぼ……?それは、なぁに?」
「良い良い、幼きそなたには、分からなくてもよいのじゃ。そら」
ひょいと身体を救って軽々と抱え上げ、肩車をした勘定奉行に月華はきゃあっと声を上げた。
「お空が近うなった気がいたします。昔、今はない父上に、こうして肩車をしていただきました」
子どもらしく明るく声を上げる月華に、先ほどまで兄に、散々無体を仕掛けていた我が身をふと恥じた。
「明日には……いや、明日が無理でも近い内に、きっと兄上を帰して進ぜる。月華殿は泣かずに待てるかな?」
「あい。月華は兄上がたいそう好きですから、戻られるまでいい子でお待ちします」
「そうか、そうか。愛いの……う……」
言い終わらぬうちに、肩車の影がぐらりとかしいで、月華が肩からぽんと飛び降りた。
どっと、大きな体が声もなく倒れ込んだ。
「……ですから、お奉行さま。早く笹目兄上をお返しくださいね。お約束ですよ。笹目兄さまは、弥一郎兄さまと月華のものなのですから」
にっこりと微笑む月華の小さな手には、夕陽にきらめくものがある。
ぱたぱたと家路を急ぐ月華の後で、人が死んでいると金きり声が上がった。
その声にばらばらと人が集まり、番所に担ぎ込まれる奉行の身体には、何の不審もない。
翌日、上の兄が息も絶え絶えな笹目を引き取りに、奉行所へと訪れた。
「ご雑作をお掛けいたしました。河原者に過分の見舞金を頂戴し、お礼の言葉もございませぬ」
「そのほうは?」
「座付き作家の滝沢弥琴(たきざわやきん)と申します。座頭に言われて、花形役者を引き取りにまいりました。以後、お見知りおきくださいますように」
隙のない佇まいに、元は武士なのだろうと与力は座付き役者を見やった。
「……こちらの調べが、多少荒っぽくなりすぎて、可哀想に目が空ろになって居るようだ。養生所から取り寄せた気付け薬を進ぜるから、しばし待つように」
「お心遣い、ありがとうございます」
有りがたく深々と頭を下げて、是非とも舞台をご覧になってくださいませ、と頭を下げ、座付き作家は引き馬に役者を乗せて家路を急いだ。
「大丈夫か、笹目」
「何のこれしき……と言いたい所だが……此度はいささか、随喜に堪えた。あの、好き者が図に乗りおって……」
意識が朦朧とする笹目に、その場で気付け薬を飲ませた兄は、着物に手を入れ後孔をまさぐった。
散々に、いたぶられたそこは熱を持ち、溜まった精で潤んでいた。
濡れた指先に、強い媚薬の香を認め、弥一郎は眉をひそめた。
「薬を使われたか……笹目、これでは、腰が疼いて正気ではいられまい?鎮めてやろう」
くっ……と、喉の奥で押しつぶした嗚咽が漏れた。
兄は道をはずれ、草陰に馬を寄せた。
抱きかかえた笹目は、鞍から力なく滑り落ちた。
「兄……上……、笹目は、正気でいられませぬ。散々に……使われましてございまする」
「淫具も使われたか?」
「は……」
大きく喘いで、義弟が俯くと、思わぬ涙がはらはらと零れ落ちた。
「このような思いまでして……我が身を虫けらのように地に落としてまで、親の仇を討たねばならぬとは……まこと、武士道とは……救いのない魔道にございます。」
「我らのゆく道は、元より報われぬ残酷なものじゃ。せめて、この兄が清めてやろう……泣くな、笹目」
「あ、あにう……え」
幼い子どものように取りすがって、清冽な美貌が兄の袂を濡らした。
「泣くな、笹目。お前の働きは無駄ではない。月華が、勘定奉行の始末をいたした」
「月華が……それは重畳……」
暗い森の奥で、鵺がヒョーオと笛を吹くような寂しい声で鳴く。
月影に隠れ、廃屋で愛おしい義弟を抱いた、人の世の化け物が呟いた。
「これで、やっと二人」
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