明けない夜の向こう側 第二章 5
出立の朝、櫂は大きなトランクを手にしていた。
「少しの間の辛抱だ。休みには帰ってくる」
背も伸び少し大人びた櫂を、見送る陸は眩しそうに見つめた。
寝る間も惜しんで努力を形にした、自慢の兄だった。
「元気でね、にいちゃ……あの、手紙書く」
「おれも書く。じゃな。風邪ひくなよ」
櫂は巻いていた襟巻を、陸の首に巻いてやった。櫂のぬくもりに、ふわりと包まれて陸は泣きそうになる。
以前から、櫂は家を離れて進学する意を、陸に伝えていた。
「父の跡を継いで、医者になりたいっていうのもあるけど、お世話になった鳴澤のお父さんに早く恩返しがしたいんだ。今なら施設にいた時、夢だって馬鹿にされた理由もわかる。金もたくさんかかるし、あのまま施設にいたら到底かなわなかった夢だったと思う。万一かなったとしても、遠回りして相当時間がかかっていただろう。鳴澤のお父さんには、感謝してもしきれない」
「にいちゃなら、いつかお金を返そうとするだろうなって、思ってた」
「うん。そのつもりだ」
櫂は、医者として独り立ちできるようになったら、かかった学費を養父に返済するつもりでいた。養子として、鳴澤の家に入ったが、実子である陸とは立場が違うと理解している。
「それに、医者になったら郁人も診てやれると思うんだ。まだ、医学生にもなっていないけど、いつかはね。きっと鳴澤のお父さんも喜んでくれるだろう」
「うん、大事にしてるから。あの、にいちゃ……郁人って……誰にも言っていないんだけど……元気そうに見えるけど、時々だるそうにしているんだ。郁人は何ともないって言うし、黙っててねって言うから、おれ秘密にしてるんだ。望月先生は、検査結果は異状ないって言ってるけど、おれは時々、怖くなる。ほら、郁人の顔って真っ白だろ?どう思う?」
「詳しいことはよくわからないけど……おれは、あの動きにくそうな着物も、なるべく郁人の動きを制約させているんだろうなって思っていたよ。それにしても、陸はすっかりいい兄ちゃんだな」
「ふふっ、傍に良いお兄ちゃんのお手本がいるからね」
病弱だという郁人は、櫂の目には一見元気に見えていたが、傍に居る陸には変化が分かっていたようだ。潜む病は足元へ少しずつ忍び寄っていた。
突然、亡くなった姉と同じように……
「どこにいても、おれは陸のにいちゃだからな」
いつかのように笑ってそう言って、櫂は鳴澤の家を出た。
年が離れているせいか、郁人と櫂はじゃれあうようなことはない。陸の方に懐いていた。
時間が許す限り、郁人は櫂の後ろを鳥の雛のようについて回っていた。
「あ、お父さまのお車だ!お父さま~!」
二階の陸の部屋で、物憂げに窓の外を眺めていた郁人は、腰かけていた窓枠から身を乗り出して手を振っていた。
「こら郁人、身を乗り出すと危ないぞ」
「……あ……」
振り袖がひらりと舞って、その場で郁人はいきなり意識を失った。
陸が駆け寄るのと同時に、昏倒した郁人の手が掴んでいた窓枠からするりと滑り、乗り出していた体が自然に外へと投げ出されそうになった。
「郁人っ!」
二人して身体が外へ流れそうになるのを、陸は体を入れ替えて精一杯の力で、郁人を部屋の中へ押しやった。
間一髪、辛うじて間に合って、郁人は滑り落ちなかったが、陸はそのまま一気に郁人の振り袖の片方を引きちぎったまま窓の外へと滑り落ちた。
本日もお読みいただきありがとうございます。
(; ・`д・´) 「陸っ!?」
火・木・土曜日更新です。
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「少しの間の辛抱だ。休みには帰ってくる」
背も伸び少し大人びた櫂を、見送る陸は眩しそうに見つめた。
寝る間も惜しんで努力を形にした、自慢の兄だった。
「元気でね、にいちゃ……あの、手紙書く」
「おれも書く。じゃな。風邪ひくなよ」
櫂は巻いていた襟巻を、陸の首に巻いてやった。櫂のぬくもりに、ふわりと包まれて陸は泣きそうになる。
以前から、櫂は家を離れて進学する意を、陸に伝えていた。
「父の跡を継いで、医者になりたいっていうのもあるけど、お世話になった鳴澤のお父さんに早く恩返しがしたいんだ。今なら施設にいた時、夢だって馬鹿にされた理由もわかる。金もたくさんかかるし、あのまま施設にいたら到底かなわなかった夢だったと思う。万一かなったとしても、遠回りして相当時間がかかっていただろう。鳴澤のお父さんには、感謝してもしきれない」
「にいちゃなら、いつかお金を返そうとするだろうなって、思ってた」
「うん。そのつもりだ」
櫂は、医者として独り立ちできるようになったら、かかった学費を養父に返済するつもりでいた。養子として、鳴澤の家に入ったが、実子である陸とは立場が違うと理解している。
「それに、医者になったら郁人も診てやれると思うんだ。まだ、医学生にもなっていないけど、いつかはね。きっと鳴澤のお父さんも喜んでくれるだろう」
「うん、大事にしてるから。あの、にいちゃ……郁人って……誰にも言っていないんだけど……元気そうに見えるけど、時々だるそうにしているんだ。郁人は何ともないって言うし、黙っててねって言うから、おれ秘密にしてるんだ。望月先生は、検査結果は異状ないって言ってるけど、おれは時々、怖くなる。ほら、郁人の顔って真っ白だろ?どう思う?」
「詳しいことはよくわからないけど……おれは、あの動きにくそうな着物も、なるべく郁人の動きを制約させているんだろうなって思っていたよ。それにしても、陸はすっかりいい兄ちゃんだな」
「ふふっ、傍に良いお兄ちゃんのお手本がいるからね」
病弱だという郁人は、櫂の目には一見元気に見えていたが、傍に居る陸には変化が分かっていたようだ。潜む病は足元へ少しずつ忍び寄っていた。
突然、亡くなった姉と同じように……
「どこにいても、おれは陸のにいちゃだからな」
いつかのように笑ってそう言って、櫂は鳴澤の家を出た。
年が離れているせいか、郁人と櫂はじゃれあうようなことはない。陸の方に懐いていた。
時間が許す限り、郁人は櫂の後ろを鳥の雛のようについて回っていた。
「あ、お父さまのお車だ!お父さま~!」
二階の陸の部屋で、物憂げに窓の外を眺めていた郁人は、腰かけていた窓枠から身を乗り出して手を振っていた。
「こら郁人、身を乗り出すと危ないぞ」
「……あ……」
振り袖がひらりと舞って、その場で郁人はいきなり意識を失った。
陸が駆け寄るのと同時に、昏倒した郁人の手が掴んでいた窓枠からするりと滑り、乗り出していた体が自然に外へと投げ出されそうになった。
「郁人っ!」
二人して身体が外へ流れそうになるのを、陸は体を入れ替えて精一杯の力で、郁人を部屋の中へ押しやった。
間一髪、辛うじて間に合って、郁人は滑り落ちなかったが、陸はそのまま一気に郁人の振り袖の片方を引きちぎったまま窓の外へと滑り落ちた。
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