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明けない夜の向こう側 第二章 14 

櫂の話を聞き、40半ばの女性はしばらくしてやっと口を開いた。
時間があるなら、このまま店が終ってからゆっくり飲みながら話をしようと、誘ってくれた。
勿論、櫂に異論はない。

「あんたの弟の名前は、吉永陸……というんだね。そうだね。吉永という名の芸妓は、うちではないけど確かに深川の置屋にいたよ」

「そうですか」

思わず櫂は身を乗り出した。

「吉永という苗字は、あたしの知る限り深川じゃ一人しかいなかったから、覚えていたんだ。確かにその坊やのおっかさんじゃないかと思うね。美代吉という名で、座敷に上がっていたけど……空襲で亡くなったはずだよ。防空壕に仲間と一緒にいたそうだから、確かだ。防空壕に入ったものは、焼夷弾で皆蒸し焼きにされちまって、一人も生きていないんだ。遺体はあったが、状態が酷くてどこの誰かは分からずじまいさ」

「そうですか。おそらく生きてはいないと思ったんですが……せめて安否を知りたかったんです。今、おれと弟は、弟の父親に引き取られて暮らしています」

「ちょいとお待ちよ。父親……って言ったかい?」

「はい。元華族だと聞いています。本妻は別の方で、もう大分前に亡くなっています。陸の母親は父親の愛人だったそうで……一緒には住んで居なかったと聞きました」

元置屋の女将は、首を傾げた。

「その話は、ちょいとおかしいね。あたしの知っている美代吉って芸者は、青葉屋の若旦那に岡惚れされて身受け話が決まっていたんだよ。若旦那に赤紙が来ってたんで、青葉屋でも一緒になるのを許したはずだ。出征する前に、家の跡取りができたって大旦那が、大層喜んでいたって話を聞いたことがある。そうだ、写真なんぞはないのかい?顔を見れば美代吉かどうかわかるはずだよ」

「写真なら……」

ここにありますと、櫂が取り出したのはいつか鳴澤の父が、陸を迎えに来たとき見せてくれたものだった。
唯一の母親の写真だからと、陸が貰って引き出しにしまってあったのを、陸にも内緒で持ち出してきたものだ。
櫂は女将の目の前にそっと置いた。

「若い頃の弟の両親と、生まれたばかりの弟だそうです」

セピア色の古びた写真を、女将はまじまじと見つめた。そして、何気なく裏の撮影された日付を見た。

「女の方は間違いない。こいつぁ、確かに美代吉に違いないよ、見覚えがある。美代吉に抱かれている赤ん坊があんたの弟かい?」

「はい。面影があります」

「だが、裏書の通りなら、ここに写っているのは本当の父親じゃない。この子は青葉屋の若旦那の子だよ。あたしゃ、読み書きは苦手だが、そろばんと客の顔は忘れないんだ。……青葉屋の若旦那が出征して、途方に暮れた美代吉を、この旦那が腹の子供ごと落籍(ひか)せたんじゃないのかね。この写真を撮られた日付は、青葉屋と美代吉の話が深川界隈でも噂になって、ちょうど一年くらいだ。二つ身になってから一緒になった。……そう思うのが自然じゃないかい?この若い男は、あんたの父親かい?」

「背格好は同じくらいだと思うのですが……若い頃なので、顔はよくわかりません……」

「美代吉は何を思って、この写真を撮ったんだろうね。これが今生最後の姿になるなんて、誰も思わなかっただろうに」

櫂も、じっくりと写真の男の顔を見るのは初めてだった。これまで、陸と母親の顔しか見てこなかったように思う。
戦争未亡人となった芸妓を、生まれた子供ごと引き取った鳴澤の父。
それとも、腹に子がいるのを知らず身請けしたのか……
真っ直ぐに視線をこちらに向けた意志の強いその瞳に、幼子に向ける慈愛が浮かんでいるかどうかはわからない。
生まれた陸と母親を、鳴澤は本当に愛していたのだろうか……

櫂はじっと写真を見つめていた。
パズルの空白が想像通りに埋まってゆくような気がしていた。

「出会った頃……弟は、母親は深川で芸者をしているんだと言っていました。もし何か事情があって、子供を連れて鳴澤家を出て行ったのなら、生活の為に昔取った杵柄で働こうと考えるのではないかと思いました」

「そうだねぇ、あたしでもそうしただろうよ。大空襲以前に、美代吉が子供を連れて深川に帰って来て、芸者をしていたのは確かだ。軍人は金回りが良かったし、美代吉の馴染も多かったからね。芸者が落籍(ひか)されて出戻った話なぞ、花街には山ほどあるさ。あたしの話は少しはあんたの役に立ったかい?」

「勿論です。お話してくださって、ありがとうございました。弟の母親について、どうしても知りたかったことを教えていただきました。この先、自分がどうすべきなのか決まった気がします。有意義な時間を過ごせました」

「袖振り合うも他生の縁だよ。これからも弟を大事にしておやり。いつか美代吉の子供を連れてきておくれ。大きくなったんだろうね」

「弟とは上野で出会ったんです。母親が深川で芸者をしていたことしか弟は言いませんでした。たった一人で、どうして上野にいたのかも分からないままです。両親から望まれて生まれたことを話してやろうと思います」

櫂は礼を言って立ち上がった。辰三の話をするのも忘れてはいなかった。
気風のいい女将と別れた櫂は、暮れなずむ空を見上げた。

胸の奥では、なすべきことが決まっていた。




本日もお読みいただきありがとうございます。
次回からは新章になります。最終章です。(`・ω・´)


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