Café アヴェク・トワで恋して 18
松本の目前に置かれた小さな栗のケーキは、どこから手を付けていいのか迷うほど完成された形をしていた。
直の作る素朴なケーキとは違い、一部の隙もない洗練されたケーキは、真っ白の皿の上に置かれた精緻な芸術品のように見える。こちらも上品な細工を施された銀の匙を片手に、どこから手を付けるべきか、松本は逡巡した。
「……お客さま?何か御不審なことでもおありですか?」
「ん?ああ、コーヒーカップの取っ手が華奢だなぁと思って眺めてた。」
「そうでしたか。確かに男の方には、少し小さ目かもしれませんね。」
「綺麗な皿だな。」
「ありがとうございます。ごゆっくり、お過ごしくださいませ。」
ケーキに合わせて皿を用意しておりますと、彼女は誇らしげに語った。
何処か甘い雰囲気の店は、意外にも居心地がよく、松本はぼんやりと考えを巡らせた。
これほど行き届いた店の持ち主が、なぜあんな形で直に執着したのか。
もっと他にもやりようがあっただろうに……。
香りのよい淹れたての珈琲を注ぐ女性に、声をかけた。
「悪いな。もうすぐ閉店なんだろう?」
それには答えず、巻き髪の女性が近づいてきた男に、すっと場所を譲った。
「お客さま。お待たせいたしました。」
松本とあまり年の変わらない男が現れて、黒崎ですと名乗った。
「当店のパティシエでございます。先ほどお声をかけていただいたそうなので、ご挨拶に参りました。」
「ああ……別に用はないんだが、すげぇ細工のケーキを作るもんだなと思ってな。興味本位だ、悪かった。」
「恐れ入ります。向かいに掛けてもよろしいですか?お客様が、この店の最後のお客様なので、少しばかりお話させてください。」
「どうぞ。」
スタッフに自分の分のコーヒーを頼むと、黒崎は穏やかにほほ笑んだ。
直のアパートに押しかけていた以前とは別人のように、受ける印象が違っていた。
直に、ひどい暴力を振るった男には見えない。
もっと酷薄な雰囲気だったと思っていたのに、いざ目の前にしてみると職人らしい長い指が男をどこか頼りなく見せる。
松本の視線をいぶかしく思ったのか、黒崎は首を傾げた。
「初めてお会いしたはずですが……?」
「この店には初めて来た。だが、あんたとは前に会っている。」
「そうですか……?」
「覚えていないか?相良直のアパートで……」
「あっ……螺旋の黒服……。」
その一言で、黒崎は思い出したらしかった。
「この店には、たまたま立ち寄ったんだが、いい店だな。ところで、黒崎さんよ。俺が最後の客とはどういうことだ?」
「考えるところがあって、もう一度フランスで一から修行するつもりなんですよ。納得行くまで何年かかるかわからないので、店も畳むことにしました。逃げ道があると本腰を入れられそうにないので。」
「そうか。ずいぶん思い切りがいいんだな。」
「いえ。退路を断たないと何もできない臆病者ですよ。」
松本は銀のさじで、一切れケーキを掬った。
口に入れると、栗の香ばしさ、豊潤さ、まろやかさが舌の上で解ける。
本日もお読みいただきありがとうございます。
再会した黒崎と、松本。
二人はどんな会話を交わすのでしょうか。
(`・ω・´) 「前に会ってるな。」
Σ( ̄口 ̄*) 「……ゲッ、螺旋の黒服……」
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