波濤を越えて 19
必死に言葉を重ねてきた。
「わたしは褒めたつもりだったのです。でも、あなたに不愉快な思いをさせたのなら、謝ります」
「あ、僕の方こそ……助けてもらったのに、責めるようなことを言ってすみません。僕はこの容姿のせいで、嫌な目に何度も遭ったことがあります。だからつい過敏に反応してしまいました。決してあなたのせいではありません……」
「嫌な目?」
「……先程のようなことです。僕も護身術を習っておけば良かったですね。貴方のように大きくて、そして柔道の技が使えたら、誰も僕をからかったりしなかったでしょうから」
「どうか気を悪くしないでください。あなたを女性的だと思ったわけではありません。美術館で作品を眺めていたとき、凛とした佇まいを美しいと思いました。……花で例えるなら、そう、清々しいアイリスのようです」
「アイリス……?僕はフィンセント・ファン・ゴッホのアイリスはとても好きですよ」
「わたしも好きです。ひまわりもいいけれど、アイリスもとてもいい。アルルで耳を切ったのち療養所に入って、一番最初に描かれた絵が、アイリスだそうです。ゴッホのアイリスは力強くてとても繊細です」
「ゴッホが浮世絵に影響を受けていたという話を知っていますか?アイリスも輪郭線のはっきりしているところが、葛飾北斎の版画、「あやめ」の特徴ではないかと言われてるんです」
「おお、さすがに詳しい」
「絵が好きなので……でも、残念ながら本物を見たことはないんです。画集でみただけなので、いつかは本物を見てみたいと思っています」
正樹が油彩ではないが、どちらも模写したこともあるというと、男は嬉しそうだった。
「モネの睡蓮と、ゴッホのアイリスはロサンゼルスの同じ美術館にあります。わたしは、いろいろな国の美術館を巡るのが趣味なのですが、それほど知識はありません。誰かが絵について説明してくれたら、きっともっと素晴らしい時間を過ごせるでしょう」
「僕の知識は、美術館や画集から仕入れたものばかりです。大したことはありません。ただ国内の美術館には、時々有名な美術館から美術品が貸し出しされることもあるので、そんな時は必ず出向いて鑑賞しています。ゴッホは近くの美術館にも巡回展が来たので、ほかの作品は観たことがあります。そういえば、モネの水連も岡山の美術館にありますよ。モネの処に出向いて、直談判して譲り受けた作品だそうです」
「興味深い話ですね……あの?」
いつか歩を止めた正樹に並んで、男も足を止めていた。
「僕のアパートは近くなんです。……着いてしまいました……」
「そうですか……」
二人はしばらく何も言わずに、見つめあっていた。
あなたともう少し、一緒にいたいと口にすれば、相手は頷いてくれるだろうか。
静寂の中に互いの想いが交錯する。
「「できるなら……」」
同時に口にする。
促されて、男は打ち明けた。
「もう少し、あなたと話がしたいです。僅かでもいいので、わたしにあなたの時間をいただけませんか?」
「僕もそう思っていました。誰かと、こんな風に話が弾む経験は初めてです。とても狭い部屋なのですが、荷物を下ろして休むくらいのことはできます。お風呂も小さいけれど、ありますから……もしよかったら」
慎重な正樹にとって、それはとても大胆な提案だった。
本日もお読みいただきありがとうございます。
|д゚) お?正樹が大胆……?
「わたしは褒めたつもりだったのです。でも、あなたに不愉快な思いをさせたのなら、謝ります」
「あ、僕の方こそ……助けてもらったのに、責めるようなことを言ってすみません。僕はこの容姿のせいで、嫌な目に何度も遭ったことがあります。だからつい過敏に反応してしまいました。決してあなたのせいではありません……」
「嫌な目?」
「……先程のようなことです。僕も護身術を習っておけば良かったですね。貴方のように大きくて、そして柔道の技が使えたら、誰も僕をからかったりしなかったでしょうから」
「どうか気を悪くしないでください。あなたを女性的だと思ったわけではありません。美術館で作品を眺めていたとき、凛とした佇まいを美しいと思いました。……花で例えるなら、そう、清々しいアイリスのようです」
「アイリス……?僕はフィンセント・ファン・ゴッホのアイリスはとても好きですよ」
「わたしも好きです。ひまわりもいいけれど、アイリスもとてもいい。アルルで耳を切ったのち療養所に入って、一番最初に描かれた絵が、アイリスだそうです。ゴッホのアイリスは力強くてとても繊細です」
「ゴッホが浮世絵に影響を受けていたという話を知っていますか?アイリスも輪郭線のはっきりしているところが、葛飾北斎の版画、「あやめ」の特徴ではないかと言われてるんです」
「おお、さすがに詳しい」
「絵が好きなので……でも、残念ながら本物を見たことはないんです。画集でみただけなので、いつかは本物を見てみたいと思っています」
正樹が油彩ではないが、どちらも模写したこともあるというと、男は嬉しそうだった。
「モネの睡蓮と、ゴッホのアイリスはロサンゼルスの同じ美術館にあります。わたしは、いろいろな国の美術館を巡るのが趣味なのですが、それほど知識はありません。誰かが絵について説明してくれたら、きっともっと素晴らしい時間を過ごせるでしょう」
「僕の知識は、美術館や画集から仕入れたものばかりです。大したことはありません。ただ国内の美術館には、時々有名な美術館から美術品が貸し出しされることもあるので、そんな時は必ず出向いて鑑賞しています。ゴッホは近くの美術館にも巡回展が来たので、ほかの作品は観たことがあります。そういえば、モネの水連も岡山の美術館にありますよ。モネの処に出向いて、直談判して譲り受けた作品だそうです」
「興味深い話ですね……あの?」
いつか歩を止めた正樹に並んで、男も足を止めていた。
「僕のアパートは近くなんです。……着いてしまいました……」
「そうですか……」
二人はしばらく何も言わずに、見つめあっていた。
あなたともう少し、一緒にいたいと口にすれば、相手は頷いてくれるだろうか。
静寂の中に互いの想いが交錯する。
「「できるなら……」」
同時に口にする。
促されて、男は打ち明けた。
「もう少し、あなたと話がしたいです。僅かでもいいので、わたしにあなたの時間をいただけませんか?」
「僕もそう思っていました。誰かと、こんな風に話が弾む経験は初めてです。とても狭い部屋なのですが、荷物を下ろして休むくらいのことはできます。お風呂も小さいけれど、ありますから……もしよかったら」
慎重な正樹にとって、それはとても大胆な提案だった。
本日もお読みいただきありがとうございます。
|д゚) お?正樹が大胆……?
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