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最後の局長「相馬主計」 

「新撰組だと、誰が好き?」

と、聞かれました。

何処までも誠の武士であろうとした、彼らの総大将は多摩の百姓の出でした。

志の高かった彼らはどこまでも、崩れてゆく体制を守ろうとします。不器用な、けれども熱い生き方は、「新撰組」生き残りの永倉新八翁の手記、島田魁の日記にもかかれています。

最初、司馬遼太郎先生の「燃えよ剣」「新撰組血風録」にはまって、「新撰組」と名のつくものを、手当たり次第読みました。(もう、時間とともに、大分忘れていると思います。悲しいけど。)

中学生の頃は、血を吐く美剣士に持っていかれ、その後ひらめ顔だったという、くだりを読んで目が醒めました。

基本、美しい人に弱いので、土方さんも好きです。

皆様の国営放送の、山本さん演じる土方歳三は、生きていたならきっとこんな感じだったろうな、と思える美しい立ち姿で、配役GJ!でしたね。

残された湿版写真の、少しはにかんだような憂いのある顔は、高校に上がってもずっと好きでした。

興味があったのは、最後の局長「相馬主計」(そうま かずえ)と言う人です。

新撰組の行く末を見届けた後、明治の代になって後自刃しました。

遺言は

「一切他言無用」

何が正しくて、正しくないのかは時間を経ても分からないことも多いです。知られている新撰組の史実以外に、埋没している惹かれるものが沢山あります。(こまるんだけど・・・)

雨に打たれて散華の桜。

最後の局長としての責任を、一人被って終身流罪の刑・・・・

一説によると、土方さんの敵討ちに失敗(黒田清隆の暗殺に失敗)したせいで、割腹自殺(切腹)したらしいんだけど・・・
生き方を求めて迷走する、かつての部下達が引きずっていた「新撰組」に、引導を渡す為に散った気もします。

(本人に、聞いてみたいところです。)

誠の武士の本分を貫いた生き様は、見事でした。

武家の体制を最後まで守ろうとしたのが、実は心から武士に焦がれた人達だったのです。

明治は遠くなりにけり。

忠義なんて言葉は、とうに死語になってしまったけれど、真心を尽くし誰かのために果てても適わないと思えるほどの相手に出会えたのは、少しでも幸せだったのでしょうか。

根底に、武士道を持って、来年も生きてゆきたいものです。


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