淡雪の如く 41 【最終話】
身体が二つあればと幾度も思う。
無力な自分を幾度となく責め、はらわたを引きちぎられるような気持で、長い手紙を市太郎に書き、詩音に書き、是道に書いた。
良太郎の送った詫び状への返事は、誰からも届くことはなかった。
皆、良太郎の立場を知っていた。
華桜陰高校へ戻るのは困難と、別れの時に重々分かっていた。
家長亡き今、大庄屋、佐藤家の全てが良太郎の肩にかかっていた。
年貢の納付、小作人への貸付、徴兵された家への手当、貴族院議員としての勤め、大庄屋としての仕事は多く世間づきあいに時間を取られた。
そして、やっと数日の時間を得た良太郎は、寮へとひた走ったが、既に美しい主従が華桜陰高校の生徒ではなくなったと知る。
「なぜだ!?なぜ、退学などしたんだ?詩音と大久保はどこへ行ったんだ?」
「教えてくれ。市太郎!」
給金を貰いながら勉学を許された給付生の市太郎は、多くを語ろうとはしなかった。
何とか頼み込むようにして彼等が告げるなと言った行方を聞いた良太郎は、愕然とする。
彼等は、最難関と言われる陸軍士官学校を受け、合格したという。
「華族は、皇室の藩屏か……(華族は、皇室を守る為に存在する)。」
「モンテスキュウ教授が、故国では「ノブレス オブリージュ」(身分高き者は義務を負う)というのだと言っていた。察するに……大久保の家から、そうするようにと言って来たのだと思う。直ぐにも開戦するだろうから、急ぐようにと言われ詩音も共に行ったんだろう。皇族までもが徴兵されているらしいからね。それと……大久保は、父親になった。無事に男(おのこ)が生まれたそうだよ。」
「なっ……!」
良太郎は足元が崩れる想いだった。是道はどんな思いで、その知らせを受け取ったのだろう。
「男子だったのか……嗣子として、自分の役が終わったと思ったのだな。死に場所を求めたのか……大久保は。」
「ああ。おそらく詩音も、そのつもりだと思う。」
手紙で仔細を知らせてあった市太郎は頷いた。
ぼくにはどうすることもできなかった、君さえいればと、声が沈んでいた。
「詩音は、どこまでも大久保に同道する道を選んだのだな。」
「そうだ。」
是道は、愛する娘に、恐ろしい真実を告げたりできなかった。
産後、対面したときも、その腕に抱かれる嬰児を、どうしても抱けなかった。
哀しげに俯く許嫁に、何とか振り絞るようにして、風邪がうつるといけないからねと、ねぎらいの言葉だけを掛けた。
是道に何かあれば、この子が大久保の家を継ぐことになると、何も知らない当主は士官学校に入営する跡継ぎに重々しく告げた。華族として、思う存分働いて来るようにと。
人として生きられないなら、もう獣として生きるしかないと是道は決めた。
童子のような義兄を屠るか、自分を屠るか考えて、是道は自分を葬り去る道を選んだのだろう。
胸の痛くなる選択だった。
大久保家の惣領として立派に務めを果たすよう、ひたすら願う存命中の実母、愛する許婚の事を思うと、真実を告げられず、全てを秘して主従は遠く異国へと従軍する。
同道する詩音だけが、必死に是道を支えた。
*****
やがて、歴史上類を見ない戦死者を出した、戦争が始まった。
大国の銃器に翻弄され、大日本帝国陸軍は累々と異国の地に屍を築いた。
何も生えていない高地には、死人の塚ができていた。
是道が参加した戦争は、第三軍司令官の嫡男、二男すら戦死するほど熾烈を極めていた。
旅順への第三次追加兵士に徴兵され、死を恐れない血染めの美しい若者は、やがて如菩薩と言うとおり名を捨て、如夜叉(夜叉のよう)と呼ばれるようになる。白い襷(たすき)をかけた精鋭部隊もほとんどが死滅した。
山の中腹にある要塞から、敵の銃身が覗くのに気が付いた詩音は、是道の盾になって絶命した。
鬼の形相で一個師団を率いた是道の働きもあって、屍の山を築いていた日本軍は小さな戦果を挙げた。弾薬も尽き、夥しい(おびただしい)肉体を犠牲にして203高地は落ちた。
望み通り是道の腕の中で息を引き取った詩音の亡骸を抱き、山から下ってきた英雄はげっそりと幽鬼さながらにやつれ果て、故国に帰ったのだという。
その姿は、既に常人に非(あら)ず……と、良太郎は噂を聞いた。
軍隊の門前まで会いに行ったが会えなかった。
逢える道理がなかった。
支えになってやれない自分が、側に行って何になるだろう。
是道の側で、微笑む詩音がいてこその『一対』で完全な存在になる二人だった。
せめて密かに、二人を思い泣いてやるしかできなかった。
日々の雑事に忙殺されながら、良太郎は時折あの絵から抜け出たような美貌の主従に思いを馳せた。
自分にも事情があったとはいえ、飢えるように自分を求める友人の手を手放したことは、長く良太郎を悔やませた。手のひらで儚く消え行く淡雪のような細い首の従者が、胸に縋って泣いたのを、懸命に内に沈ませ良太郎は時代に迎合し生きた。
いつか時が是道の深い傷を癒し、過去を笑って話せる日が来るだろうか。
良太郎のそんな希望は空しく、報われることはなかった。
是道は詩音の居ない闇に捕らわれたまま、ついに性格破綻者となる。
是道の頭上に温かい陽光は、二度と射さなかった。
詩音と共に、良太郎の知る是道は逝った。
自分の孫が、いつか是道に関わることなど今は知らないで、青年ははらはら落ちる一片の花弁を手のひらで受けとめた。
劣情に結びつきこそしなかなかったが、二人に抱いた感情は確かに青い恋だったと思う。
『君は、日向の匂いがする』
『佐藤さま……』
良太郎は消えてしまった主従に落涙した。
まぶたの裏で、美貌の主従の輪郭が滲んだ。
姿……淡雪の如く。
青春だった。
― 完 ―
長らくお読みいただきありがとうございました。
数話分を書き直す事態になったのにも関わらず、お付き合いいただけてほっとしました。
暗いお話しでしたが、少しは甘酸っぱい青春の息吹を感じていただければ良いなと思っています。
詩音と是道の主従は、騎兵として日露戦争に従軍しました。
少し時間をおいて、詩音の最期を書きたいと思います。超バドエン……(´・ω・`)
。゚(゚´Д`゚)゚。是道:「詩音~~~!!」
(ノ_・。) 詩音:「若さま……、お別れです。」
|゚∀゚) 此花:「みたいな。」
■━⊂( ・∀・) 彡 ガッ☆`Д´)ノ
- 関連記事
-
- 淡雪の如く 41 【最終話】 (2011/12/14)
- 淡雪の如く 40 (2011/12/13)
- 淡雪の如く 39 (2011/12/12)
- 淡雪の如く 38 (2011/12/11)
- 淡雪の如く 37 (2011/12/10)
- 淡雪の如く 36 (2011/12/09)
- 淡雪の如く 35 (2011/12/08)
- 淡雪の如く 34 (2011/12/07)
- 淡雪の如く 33 (2011/12/06)
- 淡雪の如く 32 (2011/12/05)
- 淡雪の如く 31 (2011/12/04)
- 淡雪の如く 30 (2011/12/03)
- 淡雪の如く 29 (2011/12/02)
- 淡雪の如く 28 (2011/12/01)
- 淡雪の如く 27 (2011/11/30)