青い小さな人魚 (漆喰の王国) 9 【最終話】
スルタンとヤークートの蜜月は唐突に終わりを告げた。
ひゅん!と、洋弓がうなり、大広間の天上から下がったシャンデリアを打ち抜いた。
物音に気付いた王宮護衛の衛士がすぐに銅鑼を鳴らし、危険を伝えた。
「敵襲―――っ!!」
高窓から海辺を見やれば、砂浜には覆い尽くさんばかりの西の国旗がはためき、祝賀ムードで油断しきっていた兵士たちは、蜘蛛の子を散らしたような騒ぎになっている。
城郭には、すでに忍び込んだ兵士たちが、跳ね橋を下ろす歯車に取りついていた。
あちこちで、火の手が上がり瞬く間に後宮が炎に包まれてゆく。
「どういう事だ……一体……。海辺の兵は何をしている。」
「マハンメド。それよりも早く小さなスルタンを!」
スルタンは呆然と、波際から火の海に包まれてゆく白い城を眺めていたが、ヤークートの言葉にうなずいて、有事の際の抜け道へ妃と赤子を送った。屈強な親衛隊が警護に当たり、母子は安全に城外へと落ちた。
煙の充満する後宮の廊下を、スルタンは駆けた。
青い小さな人魚は、震えて小部屋で待っているだろう。スルタンは、白煙に咳き込みながら必死に人魚の部屋を目ざした。
どんと洋弓の重い矢が、スルタンをめがけて一時に飛んでくる。
「ぐっ……っ!」
一本の矢がスルタンを打ち抜き、胴着が紅に染まっていた。
傷口を押さえ、這うようにしてやっと部屋にたどり着いたスルタンを認め、人魚は悲鳴をあげた。
「マハンメドッ!いったい何が起きているのです?この白煙は……?火事になったのですか?」
「何者かが、西の国の兵士を引きこんだらしい。さ、行こう、ヤークート……おまえの国へ……。急がねば……。」
「マハンメド……、しっかり。」
よろめいたスルタンを支えた人魚は、その手に温いぬめりを感じた。胴着から大量の血が溢れ付着していた。海の中で自在に泳げる人魚の足は、陸に上がれば身体の重ささえ支えかねるほど、心許ない華奢な足だった。煙にまかれ咽ながら、マハンメドとヤークートは後宮の外れの塔の螺旋階段を腕を取り合って昇った。
下に広がるのは北の海に続く大海原だった。
兵士たちが切り結び、戦うのが小さく見える。今や、スルタンの軍は盛り返して西の国の軍を追い詰めていた。
「良かった。何とか我軍隊が盛り返したようだな。あちらに叔父上の軍旗が見える。妃たちは……あの子は、無事に脱出したらしい。」
傷ついた身体を引きずるようにして、スルタンはやっと海を望む窓枠へと縋った。今生での命が尽きようとしているのを感じていた。
「行こう、ヤークート。お前の王国へ。」
「マハンメド……あの子の側に、残りたくはないの?」
「お前と共に、海の藻屑となるまで、波に搖られるとしよう。」
「ああ……うれしい。」
「急ごう、ヤークート。」
ついに愛するスルタンと、海へと身を投げる時が来たとヤークートは思った。スルタンは深手を負い、意識を失いかけていた。人の世を捨て、海神に魚の尾を貰って幸せに暮らすはずだった。
しかし残酷な運命は、二人の取り合う手を無情にも引き離した。
「スルタン、マハンメド!お前は一人でそこから飛び降りて死ぬが良い!」
物陰に潜んでいた男が、皓皓たる月光に姿を晒した。
「……宰相……?良かった、無事だったのか。」
返事をすることなく、宰相はシャムシール(刀)を煌めかせ、スルタンに切りかかった。既に手負いのスルタンは、人魚を庇い肩口に刃を受けた。
「どういう事だ……?常に……国と民を思い、わたしを支えてくれたお前が……裏切ったと言うのか?」
「そうとも。地平線まで威光輝くスルタン、マハンメドと領地を広げ全世界にその名を響かせるのがわたしの夢だった。生きがいだったのだ。だが、もういい。わたしの愛するマハンメドは死んだ。わたしを裏切り、小魚を選んだことを、海の底で悔いると良い!」
「や、やめろっ!ヤークートーーーッ……逃げろっ!」
宰相は窓にスルタンを押し付け、必死に人魚は止めようとしたが、簡単に振り払われた。毒矢と出血で朦朧としていたスルタンは、がくりと首を落とすと力尽き、まっさかさまに海面へと落ちて行った。
「いやああぁーーーーーっ!マハンメドーーーーーッ!……」
「父王さまーーっ!父王さま!お願いです。マハンメドをお助け下さい!」
「わたしの愛するマハンメドが、誓いの鱗を持ってお傍に参ります!」
人魚の悲鳴が海原に響き、静かに寄せていた波が、ごうごうと音を立て白く泡立ち始めた。押し寄せてくる高波は高い城壁を這い上る海の兵士達の姿になった。次々に押し寄せる波に乗ってくる人魚たちは、優しい手でスルタンを受け止めると海の王国へと連れ去った。
様子を伺っていた奴隷商人が、背後から人魚に近付くと麻袋を被せ、共に海へ身を投げようとした人魚を捕えた。
「あーーーっ……。」
「逃がしはしないぞ、小魚。奇跡の虹色真珠をもらおう。」
もがく人魚は枷に縛められ、言葉を発することもできなくなって、あっと言う間に内陸へと連れ去られた。
海の王国の兵士は、次々と波に乗り漆喰の王国の中を探したが、6番目の王子を見つけることはできなかった。
海は嘆き、三日三晩休みなく荒れた。
東の大国が海中に沈み、スルタンの行方も知れなくなったと、旅人はあちこちで伝えた。
*****
伝承を歌う吟遊詩人は、夜会でリュートを弾く。
『海の底で待つあなたに届くのならば 嘆きではなく微笑みを
いつか逢える珊瑚の回廊に あなたの姿が見えるなら
離れていても悲しくはない
海の底に咲く花は、散らずに揺れているでしょう
わたしの髪に優しく触れて
いつかスルタン、わたしの元に……』
波一つない海原に、吟遊詩人の歌が流れてゆく。
人魚のこぼした伝説の虹色真珠が、太守の物語を真実だと語る。
スルタンと青い小さな人魚の再会の物語の序章が始まる。
ぱしゃん……。
琥珀の瞳の青年人魚が、跳ねた。
青い小さな人魚 (漆喰の王国)―完―
幸せな二人の思い出の一枚……(´;ω;`)
大団円の最終章へと続きます。此花咲耶
本日もお読みいただきありがとうございます。
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ひゅん!と、洋弓がうなり、大広間の天上から下がったシャンデリアを打ち抜いた。
物音に気付いた王宮護衛の衛士がすぐに銅鑼を鳴らし、危険を伝えた。
「敵襲―――っ!!」
高窓から海辺を見やれば、砂浜には覆い尽くさんばかりの西の国旗がはためき、祝賀ムードで油断しきっていた兵士たちは、蜘蛛の子を散らしたような騒ぎになっている。
城郭には、すでに忍び込んだ兵士たちが、跳ね橋を下ろす歯車に取りついていた。
あちこちで、火の手が上がり瞬く間に後宮が炎に包まれてゆく。
「どういう事だ……一体……。海辺の兵は何をしている。」
「マハンメド。それよりも早く小さなスルタンを!」
スルタンは呆然と、波際から火の海に包まれてゆく白い城を眺めていたが、ヤークートの言葉にうなずいて、有事の際の抜け道へ妃と赤子を送った。屈強な親衛隊が警護に当たり、母子は安全に城外へと落ちた。
煙の充満する後宮の廊下を、スルタンは駆けた。
青い小さな人魚は、震えて小部屋で待っているだろう。スルタンは、白煙に咳き込みながら必死に人魚の部屋を目ざした。
どんと洋弓の重い矢が、スルタンをめがけて一時に飛んでくる。
「ぐっ……っ!」
一本の矢がスルタンを打ち抜き、胴着が紅に染まっていた。
傷口を押さえ、這うようにしてやっと部屋にたどり着いたスルタンを認め、人魚は悲鳴をあげた。
「マハンメドッ!いったい何が起きているのです?この白煙は……?火事になったのですか?」
「何者かが、西の国の兵士を引きこんだらしい。さ、行こう、ヤークート……おまえの国へ……。急がねば……。」
「マハンメド……、しっかり。」
よろめいたスルタンを支えた人魚は、その手に温いぬめりを感じた。胴着から大量の血が溢れ付着していた。海の中で自在に泳げる人魚の足は、陸に上がれば身体の重ささえ支えかねるほど、心許ない華奢な足だった。煙にまかれ咽ながら、マハンメドとヤークートは後宮の外れの塔の螺旋階段を腕を取り合って昇った。
下に広がるのは北の海に続く大海原だった。
兵士たちが切り結び、戦うのが小さく見える。今や、スルタンの軍は盛り返して西の国の軍を追い詰めていた。
「良かった。何とか我軍隊が盛り返したようだな。あちらに叔父上の軍旗が見える。妃たちは……あの子は、無事に脱出したらしい。」
傷ついた身体を引きずるようにして、スルタンはやっと海を望む窓枠へと縋った。今生での命が尽きようとしているのを感じていた。
「行こう、ヤークート。お前の王国へ。」
「マハンメド……あの子の側に、残りたくはないの?」
「お前と共に、海の藻屑となるまで、波に搖られるとしよう。」
「ああ……うれしい。」
「急ごう、ヤークート。」
ついに愛するスルタンと、海へと身を投げる時が来たとヤークートは思った。スルタンは深手を負い、意識を失いかけていた。人の世を捨て、海神に魚の尾を貰って幸せに暮らすはずだった。
しかし残酷な運命は、二人の取り合う手を無情にも引き離した。
「スルタン、マハンメド!お前は一人でそこから飛び降りて死ぬが良い!」
物陰に潜んでいた男が、皓皓たる月光に姿を晒した。
「……宰相……?良かった、無事だったのか。」
返事をすることなく、宰相はシャムシール(刀)を煌めかせ、スルタンに切りかかった。既に手負いのスルタンは、人魚を庇い肩口に刃を受けた。
「どういう事だ……?常に……国と民を思い、わたしを支えてくれたお前が……裏切ったと言うのか?」
「そうとも。地平線まで威光輝くスルタン、マハンメドと領地を広げ全世界にその名を響かせるのがわたしの夢だった。生きがいだったのだ。だが、もういい。わたしの愛するマハンメドは死んだ。わたしを裏切り、小魚を選んだことを、海の底で悔いると良い!」
「や、やめろっ!ヤークートーーーッ……逃げろっ!」
宰相は窓にスルタンを押し付け、必死に人魚は止めようとしたが、簡単に振り払われた。毒矢と出血で朦朧としていたスルタンは、がくりと首を落とすと力尽き、まっさかさまに海面へと落ちて行った。
「いやああぁーーーーーっ!マハンメドーーーーーッ!……」
「父王さまーーっ!父王さま!お願いです。マハンメドをお助け下さい!」
「わたしの愛するマハンメドが、誓いの鱗を持ってお傍に参ります!」
人魚の悲鳴が海原に響き、静かに寄せていた波が、ごうごうと音を立て白く泡立ち始めた。押し寄せてくる高波は高い城壁を這い上る海の兵士達の姿になった。次々に押し寄せる波に乗ってくる人魚たちは、優しい手でスルタンを受け止めると海の王国へと連れ去った。
様子を伺っていた奴隷商人が、背後から人魚に近付くと麻袋を被せ、共に海へ身を投げようとした人魚を捕えた。
「あーーーっ……。」
「逃がしはしないぞ、小魚。奇跡の虹色真珠をもらおう。」
もがく人魚は枷に縛められ、言葉を発することもできなくなって、あっと言う間に内陸へと連れ去られた。
海の王国の兵士は、次々と波に乗り漆喰の王国の中を探したが、6番目の王子を見つけることはできなかった。
海は嘆き、三日三晩休みなく荒れた。
東の大国が海中に沈み、スルタンの行方も知れなくなったと、旅人はあちこちで伝えた。
*****
伝承を歌う吟遊詩人は、夜会でリュートを弾く。
『海の底で待つあなたに届くのならば 嘆きではなく微笑みを
いつか逢える珊瑚の回廊に あなたの姿が見えるなら
離れていても悲しくはない
海の底に咲く花は、散らずに揺れているでしょう
わたしの髪に優しく触れて
いつかスルタン、わたしの元に……』
波一つない海原に、吟遊詩人の歌が流れてゆく。
人魚のこぼした伝説の虹色真珠が、太守の物語を真実だと語る。
スルタンと青い小さな人魚の再会の物語の序章が始まる。
ぱしゃん……。
琥珀の瞳の青年人魚が、跳ねた。
青い小さな人魚 (漆喰の王国)―完―
幸せな二人の思い出の一枚……(´;ω;`)
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