露草の記・(弐) 1
全身に酷い火傷を負った少年は、燃え盛る炎の中を逃げ惑っていた。
「……だ、誰か……!」
「誰か生きておるものはお……らぬか……。」
隠れ里の家は焼け、逃げる当てはどこにもなかった。
眸を焼かれ、既にほとんど見えていない。足元もおぼつかず、命の火が消えかかっていた。
それでも、仲間を探して声を絞り、必死に叫んでいた。
仲の良かった「はこべ」の姿も、「なずな」の姿もとうにない。皆、物言わぬ骸(むくろ)に変わってしまった
槍は仲間の死体を重ねて突き刺さり、背骨で折れた。
点在する家々がくすぶり、伊賀の地に息をするものは、自分達だけのようだった。
死肉を喰む烏が、上空から降りてくる。
直ぐ近くで羽音が聞こえる……。きっと、自分が倒れ込むのを待っていると思った。
おびただしい血は小さな川となり、砂地が吸っていく筋もの褐色の帯を作った。人々が長を守って立てこもった小さな小屋には、容赦なく火矢が掛けられ、みな生きながら燃えてしまったようだ。
少年は天を仰ぎ、ぐしゃと、膝から崩れ落ちた。
「……お……おっかぁ……。」
もう、一歩も動けなかった。
*****
数日前に生まれたばかりの弟、「つゆ」を六つの兄に託し、産後の母は一族の長を守るために、鋭いクナイ(小刀)を握った。
「蘇芳っ!つゆと共にお行き。」
弟「つゆ」を丈夫な袋に入れ、母は兄の背に斜めにくくり付けた。
「逃げよ、逃げよ。早う、早うっ!里を離れるんだよ!」
母者も!と叫んで、戸口に向かった足元に、火薬の入った焙烙(ほうろく)玉が転がってきた。
「あっ!」
「蘇芳―――っ!!」
母が咄嗟に投げ返したが、焙烙玉は空中で破裂し、兄は火の粉をかぶった。瞬く間に衣服から出ている手足の皮膚を火ぶくれが覆い、粗末な衣類も焼け焦げた。火矢は直も雨あられと降り注いだ。
「うあーーーーっ!お、おっとうーーーっ、おっかぁ……っ!」
咄嗟に砂地を転げまわり、火は消えたが残された命のともしびは尽きようとしていた。
「あ……あ。つゆ……無事か……。」
目の前で全てが焼き尽くされて、背中で袋に入れられた弟だけが無傷だった。
背中で動く気配だけが、何とか兄を生かしていた。
*****
誰かが砂を踏みしめ、傍に近付いて来るのに気付いた。
「……み……みず……。」
草鞋の足先に縋って指を伸ばし、少年は水をねだった。
既に焦点の合わぬ目に、敵方の武将は映っていない。
「しっかりせよ。傷は浅手ぞ。」
「あなたは、て……敵か?お味方……か?」
膨れた口許に、水の入った竹筒を与えてやりながらその侍は言う。
「案ずるな、わしは味方じゃ。手勢を率いて助けに来た。」
「よ……よかっ……。」
男は、酷い火傷を負った時、水を飲ませるのは、体液が薄まり危険だと知っていた。だが、おそらくこの傷ではとても助かるまいと思う。
哀れに思って、末期となる水を与えた。
忍びの里の生き残りは、ごくごくと喉を鳴らした。
その後、背中の動く荷駄を不信に思った侍は、中を調べて玉の赤子に驚く。
「童。……そちの名は?」
「す……おう。」
「この赤子は、血縁か。」
「お……とと……。名は、つゆ……。」
味方と信じてそれだけを伝えると、腕の中にがくりと息絶えた。
哀れな最期だった。
「……だ、誰か……!」
「誰か生きておるものはお……らぬか……。」
隠れ里の家は焼け、逃げる当てはどこにもなかった。
眸を焼かれ、既にほとんど見えていない。足元もおぼつかず、命の火が消えかかっていた。
それでも、仲間を探して声を絞り、必死に叫んでいた。
仲の良かった「はこべ」の姿も、「なずな」の姿もとうにない。皆、物言わぬ骸(むくろ)に変わってしまった
槍は仲間の死体を重ねて突き刺さり、背骨で折れた。
点在する家々がくすぶり、伊賀の地に息をするものは、自分達だけのようだった。
死肉を喰む烏が、上空から降りてくる。
直ぐ近くで羽音が聞こえる……。きっと、自分が倒れ込むのを待っていると思った。
おびただしい血は小さな川となり、砂地が吸っていく筋もの褐色の帯を作った。人々が長を守って立てこもった小さな小屋には、容赦なく火矢が掛けられ、みな生きながら燃えてしまったようだ。
少年は天を仰ぎ、ぐしゃと、膝から崩れ落ちた。
「……お……おっかぁ……。」
もう、一歩も動けなかった。
*****
数日前に生まれたばかりの弟、「つゆ」を六つの兄に託し、産後の母は一族の長を守るために、鋭いクナイ(小刀)を握った。
「蘇芳っ!つゆと共にお行き。」
弟「つゆ」を丈夫な袋に入れ、母は兄の背に斜めにくくり付けた。
「逃げよ、逃げよ。早う、早うっ!里を離れるんだよ!」
母者も!と叫んで、戸口に向かった足元に、火薬の入った焙烙(ほうろく)玉が転がってきた。
「あっ!」
「蘇芳―――っ!!」
母が咄嗟に投げ返したが、焙烙玉は空中で破裂し、兄は火の粉をかぶった。瞬く間に衣服から出ている手足の皮膚を火ぶくれが覆い、粗末な衣類も焼け焦げた。火矢は直も雨あられと降り注いだ。
「うあーーーーっ!お、おっとうーーーっ、おっかぁ……っ!」
咄嗟に砂地を転げまわり、火は消えたが残された命のともしびは尽きようとしていた。
「あ……あ。つゆ……無事か……。」
目の前で全てが焼き尽くされて、背中で袋に入れられた弟だけが無傷だった。
背中で動く気配だけが、何とか兄を生かしていた。
*****
誰かが砂を踏みしめ、傍に近付いて来るのに気付いた。
「……み……みず……。」
草鞋の足先に縋って指を伸ばし、少年は水をねだった。
既に焦点の合わぬ目に、敵方の武将は映っていない。
「しっかりせよ。傷は浅手ぞ。」
「あなたは、て……敵か?お味方……か?」
膨れた口許に、水の入った竹筒を与えてやりながらその侍は言う。
「案ずるな、わしは味方じゃ。手勢を率いて助けに来た。」
「よ……よかっ……。」
男は、酷い火傷を負った時、水を飲ませるのは、体液が薄まり危険だと知っていた。だが、おそらくこの傷ではとても助かるまいと思う。
哀れに思って、末期となる水を与えた。
忍びの里の生き残りは、ごくごくと喉を鳴らした。
その後、背中の動く荷駄を不信に思った侍は、中を調べて玉の赤子に驚く。
「童。……そちの名は?」
「す……おう。」
「この赤子は、血縁か。」
「お……とと……。名は、つゆ……。」
味方と信じてそれだけを伝えると、腕の中にがくりと息絶えた。
哀れな最期だった。
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