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露草の記(弐)11(挿絵付き) 

短い別れの儀式は終わった。

「露草――!!達者で暮らせ!」

薬売りの格好をして任務に就く血のつながらない兄は、何度も振り返り露草に向かって大きく手を振った。
高い杉の木の梢に上り、たった一人の味方を失った露草は、じっと去ってゆく姿を見つめていた。

「さよなら。玄太にぃ……。」

夢のように甘い金平糖を、露草の口に一つ放り込んで兄は去った。

もう、修行が辛くて泣いても、庇ってくれる優しい腕は無い。
その日一晩中、露草は梢の上で泣いた。
今宵限りで、泣かぬと決めた。

*****

唯一の逃げ場を失った露草に、義父はこれまで以上に厳しい訓練を科すと言い渡した。
露草は黙々と励み、年少ながら一族の中では、忍びとして一際抜きん出た腕前になっている。
もう、誰も露草を泣き虫とは言わなくなっていた。

「露草。此度お仕えすることになった、三河の本多さまに会わせて遣わす。着替えて参れ。」

「はっ!」

一人前となった露草は、新しい主人に仕えることになっていた。
その風貌は立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花だと言われた、伊賀の里随一の美しいくノ一陽炎と瓜二つに成長していた。これならば、陽忍として十分な仕事ができるだろうと、義父は頭領として露草の派遣を決めた。

数度にわたり壊滅させられた伊賀の生き残りが、よくここまで育ったと思う。独りよがりな思いと分かっているが、露草を一人前にすることだけが、裏切った里への罪滅ぼしだと思っていた。
過酷な日々に耐えて、ついに露草は一人前の陽忍となり、本多の元へ行く。

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滅んでしまった伊賀は、時の天下人、織田信長と相容れなかった。
覇者の思い通りにならなかった、伊賀の里は、三度、もしくはそれ以上にわたって織田軍の激しい攻撃を受けている。それは後に「天正伊賀の乱」と呼ばれ、今も記録に残る。

伊賀忍者の下忍が仲間を裏切り、織田信長の息子に伊賀の団結力の衰えを報告し、侵略してはどうかと進言したのが始まりだった。
この言葉に軽々と乗った信長の息子、信雄の企みは伊賀の人々に洩れ、先手を打った忍者達の奇襲によって信雄は大敗を喫してしまう。
これが一番最初の伊賀の乱である。

散々に打ちのめされた不甲斐なさに、信長は信雄に激しく憤り、2年後にはおよそ4万の兵を率いて自ら伊賀に攻め込んだ。
これを第二次天正伊賀の乱というが、この時、織田に加担していた甲賀忍者の手引きによりさらに伊賀では体制に不満を抱く離反者が出た。露草を育てた父は、織田方の蒲生氏郷の軍勢の道案内をおこなった裏切り者の中の一人だった。

場所の特定すら困難だった伊賀の里も、道案内を得て難所を潜り抜けさえすれば、多勢に無勢だった。
武勇に優れた蒲生氏郷の攻めにより、伊賀の人々が立て籠もった城は次々と落ち、最後の砦・柏原城が落ちた時点をもって天正伊賀の乱は終わりを迎えた。
織田信長の鬼の所業は、里に住む女子供に至るまで及び、その年の彼岸花は流された血を吸って、見たこともないほど鮮やかな深紅に畦(あぜ)を染めた。

露草の実兄、蘇芳が火ぶくれを負って息絶え絶えであったとき、水を含ませたのは不倶戴天の敵、織田信長の家臣蒲生氏郷であった。戦果の確認に里へ入り、思いがけず赤子を託された。
抱いた赤子を、蒲生は道案内の草に渡した。
何も知らず、一族の敵を主家に持ち、懸命に修行に耐えた露草。
本多の下で陽忍となった露草の働きは、目覚ましかった。





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此花、絵を描きました。(〃゚∇゚〃) 陽忍になったばかりの露草です。
素材を扱うのに、ちょっぴり慣れました。(*⌒▽⌒*)♪
違うバージョンもあるので、最後に上げたいと思います。
長らくお読みいただきました、第二章も後、一話で終わります。
どうぞよろしくお願いします。 此花咲耶


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