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落日の記憶 13 

鋭利なガラス片のたちこんだ足は、結局、何針も縫う事になってしまった。
医者はいずれにしても傷は残るだろうが、傷を目立たなくするために現に戻って入院するようにと勧めたが、既に世間を知った基尋は肯かなかった。
自分はもう逃げ場の無い籠の鳥になったと、基尋は理解していた。

*****

それから程なく、傷の癒えた基尋は、浅黄と二人改めて花菱楼楼主と対面した。
楼主は雪華花魁に話を聞いて居たらしく、基尋に同情的だった。

「若さま。難儀なことでございましたな。わたしがあなたにご用立てし、本郷の宮様にお渡しした金子は、壱万円でした。その半金を本郷の宮様は着服したことになります。けれども、確かにここに柏宮さまの御捺印なさった証文が有る以上、売買契約は柏宮様と、この花菱楼の間でなされたことに成ります。おわかりですか?」

「はい。重々分かっております……。父上はいつもお相手をすぐに信用なさって、余り証文をご覧になったりはしなかったので、持ちこまれた契約書も偽造されたものとは思わなかったのだと思います。」

「では、柏宮基尋様。改めてこれが証文です。借金、金壱萬円。返済期間は10年間という事でよろしいですね。」

「は……あい。お世話になりんす。此度はお医者さまの費用も、お持ちいただきありがとうござりんした。」

「おや。いつの間にやら、上手く廓詞も話せるようになったんだね。」

「あい。雪華兄さんに教えていただきんした。」

養生の合間に、基尋は雪華花魁から少しずつ廓詞やほかの事を習い覚え、新しい名前も貰っていた。

*****

「いいかえ。花菱楼では、皆花魁にちなんだ名前を付けるんでありんす。わっちの名前は雪華で、わっちの代役も務めるすぐ下の弟分、振袖花魁は天華(てんか)花魁、初雪花魁。禿は六花(りっか)、六辺香(ろっか)と名乗っておりんす……そうさね、お前の名前は何が良いかねぇ。」

「淡雪じゃ儚くなってしまいそうだし、薄雪は哀しい。小さくてかわいらしい若さまに似合いのお名前は……」

雪華花魁はしばらく考えて、ぽんと手を打った。

「そうだ、細雪(ささめゆき)。ささめと呼ぼうよ。今日からお前の名前は禿のささめだ。どうだえ?」

「それで結構です……で、ありんす。どうぞよろしゅう……雪華兄さん。」

「あの、ぼくも若さまのお傍に居たいです。どうか一緒に置いてください。お願いします。」

横合いから思い詰めた顔の浅黄が、頭を下げた。
楼主と雪華花魁は顔を見交わした。

「おや、新しい禿が二人もできちまったよ。お前にはちょうど六花(りっか)という名前が空いているから、それをあげようよ。廓で覚えることは、たんとあるがしばらくは花菱楼の中を見ておいで。花魁という字には花という字が入っているだろう。見事に咲くも虚しく散るもお前たち次第ということだよ。しっかりお励みなんし。」

「あいっ。」

「ふふっ……ここでは、そんな風に声を張るんじゃないよ。優しく溶けるように、喉の奥で声を丸くしてご覧。」

「あい。」

「そうそう、可愛い声だ。それを覚えておくんだよ。ささめ、もう足は痛まないかぇ?」

「あい。お行儀はよくありませんが、まだ正座はできません……できんせんが、もう痛くはあり……んせん。」

禿というのはいずれは花魁になる予定の、見目良い子供がなる。
禿が習い覚えることは多い。ただ、基尋と小姓の浅黄……ささめと六花は共に、当時では最上級の教育を受けていた。
天子さまの御前で歌を詠んだことさえあった「ささめ」は、母の手ほどきで茶道も嗜み香道にも明るい。





花魁というのは、ある意味教養を身につけた知識人でした。
花魁になれそうな子供は禿のころから色々な勉強をし、最高の女を目指したのです。

(`・ω・´)雪華 「わっちは男でありんす。」

本日もお読みいただきありがとうございます。此花咲耶


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