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落日の記憶 11 

やり手が「恨むなよ」と、一人ごちながら湯屋の引き戸をからりと開けると、そこには怒りで唇を震わせる雪華花魁の姿があった。

「ぅあっ。こ……これは花魁。何か御用で?」

「ああ。……何でも新参の男衆が庭でぴいぴい泣いていたのでね、詳しく訳を聞いたんだよ。大事な主人の若さまが、あちらの湯屋で惨い目に遭っているのです、お助け下さいと、可哀想に泣き崩れていたよ。」

男の顔色が変わった。

「こ、これはその……」

「この花菱楼では、余所のお店(おたな)と違って、身元の確かな無垢な子供には惨い(むごい)「検め」なんぞはしないはずだがね。お父さん(楼主)が確かに二年まえの晦日にそう決めたと、わっちにお話下すったんだが、やり手のお前たちは知らなかったかい?」

やり手は思わず、へぇ……と頭を下げた。

「嘘をお言いでないよ。あっ、怪我をしているじゃないか!……お前、この子に一体何をしたんだ?」

雪華花魁は半纏に包まれて蒼白になっている基尋の素足から、ぽたぽたと手拭いを通して鮮血が落ちるのを認めた。奪うように半纏ごと基尋を受け取ると、軽々と胸に抱き上げた。

「木戸をくぐったその日に、子供にこんな大怪我をさせるなんて。事と次第によっちゃ、お前は花菱楼どころか大江戸からも追放だ。お父さんにはわっちからよくよく話をしておくから覚悟を決めて、とっとと荷物をまとめるんだね。」

「そ、そんな……花魁。これは本郷の宮様に頼まれたんだ。俺が仕組んだことじゃありやせん。ちょいと脅してやるつもりが、この子が暴れて硝子管を踏んづけて……。後生だ、どうぞ堪忍しておくんなさい。」

雪華花魁は本郷の宮と聞いて、柳眉をひそめた。
その名に覚えがある。柏宮光尋の出征の祝いの席で、やたらと大声で酒席を回っていた男だ。べたべたと雪華に執着した品の無いカイゼル髭で、斜陽の華族の中であくどく立ち回り、いっぱしの実業家を気取っていた。花菱楼に登ったことはなかったが、大江戸にも出入りしているはずだった。

「まあいい。お前の詮議なんぞは後だ。この子の手当をするから医者を呼んどくれ。」

「へぇ、すぐに。」

「わっちの私室(へや)に運んでおくれ。あ、それと。いいかえ?この子はわっちの大事なお人の弟だよ。わっちの禿にするからいいね。二度と手出しは無用だ。今度同じことをやったら、、おまえの検番の名札を消しちまうからね。」

「そんな。」

ほんの少し不満げな色を浮かべたが、ここで花魁に逆らって現の世界に戻されてはたまらない。
噂では復員しても帰る故郷もない兵隊が、行き場をなくし仕事もなくあぶれているらしい。上野のお山辺りでは、復員してきた場末の男女郎が大勢袖を引いて来ると言う。
今、大江戸から放逐されたら年増となったやり手の自分など、食うものにさえ不自由すると分かり切っていた。

「くわばら、くわばら……」

やり手は一目散に医者を呼びに走った。




(´;ω;`) 「くすん……」

( *`ω´) 雪華「まったく、この男は!とんでもないことをやってくれたもんだね。」

ε=(ノ゚Д゚)ノ 「医者呼んできます~」

本日もお読みいただきありがとうございます。此花咲耶


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