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漂泊の青い玻璃 9 

※琉生と闘病中の父親の悲しい別れの描写があります。ご注意ください。

廊下を歩く微かな足音に、琉生の父親は直ぐに気付いた。
紫煙と脂粉の入り混じった妻の香りがする。

「あなた。気分はどう?」
「……ああ、美和さん。お帰りなさい……」
「琉生はぐずらなかった?」
「全然……今日も琉生はいい子だったよ。ずっとお絵かきをしててね……後、琉生が絵本を読んでくれたんだ。この子は賢いね。もう、ひらがながすらすらと読めるんだよ。」
「独りで絵本ばかり見てたから、覚えたのね。また明日来るわ。わたしの事も忘れないでね。」
「ふふっ……忘れるわけないじゃないか。病気になってつくづく思うよ。」
「なぁに?」
「君達が居てくれてよかったって。……時々、どうしようもなく死ぬのが怖くなるんだ。独りじゃないのがありがたいよ。美和さん、家族になってくれてありがとう。琉生を生んでくれてありがとう。」
「じゃあ、わたしもお礼を言わなきゃ。わたしも早くに両親を亡くしたから、あなたが結婚してくださいって言ってくれてとてもうれしかったの。ね……。寂しくなったら、琉生を抱きしめてあげてね。」

妻は、夫のこけた頬に触れた。

「美和さん……君は寂しくないの?仕事は辛くない?平気……?」
「なんでもないわ。わたしは、あなたが抱きしめた琉生を抱きしめて、これから眠るのよ。だからずっと三人、一緒よ。」
「身体に気を付けて……ごめんね。君も丈夫な方じゃないのに。」
「謝らないで。あなたと一緒になって後悔した事なんて一度もないわ。わたし……あなたが大好きよ。」
「僕も……生まれかわっても、きっと君を探すよ……そのドレス、ウエディングドレスみたいだ。」
「似合う?」
「とても。」

月の光の中で、二人はハッピーエンドが約束されたディズニー映画のように、甘いキスをした。
愛する人に明日も命があるように、瞬く星に一縷の望みをかけて……

そんな日は、すぐに終わりを迎える。

*****

親子三人の日々は、夜に掛かる白い虹のように儚かった。
強い痛み止めのモルヒネもだんだんと効かなくなって、父は日毎に細くなりうわごとを言うようになった。
大部屋から、入院費の高い個室に移っても、琉生は変わりなく毎日父の部屋に通った。

看護師たちが同情する中、付添いの琉生は、毎日床に画用紙を広げて絵をかき、絵本を読んだ。
そして健気に、一人で痛みに呻く父の最期をみとった。
母が男にしなだれかかり、酒を飲んでいた頃、母の携帯は仕事場のロッカーで鳴り続けていた。

哀しそうな瞳の父が、僅かな力を振り絞って琉生の頬に触れた。

「お父さん?苦しいの……?ナースコール押すね。」

琉生が繰り返した「イタイノ・イタイノ・トンデユケ」のおまじないも、とうに効かなくなっていた。
看護師や医師が慌ただしく処置をするのを、琉生はじっと見つめていた。

「琉生くん、いらっしゃい。お父さんが呼んでる……」
「お父さん……」

酸素マスクを外された時、声にならない父の唇が、「バイバイ、琉生……ありがと。お母さんを……」と言った気がする。
大きな長い息を一つ吐いて、父は琉生に微かに微笑みかけ、腕を伸ばしてこと切れた。

子どものように小さくなった父の顔にそっと琉生は触れ、悲しみよりも安堵の涙を静かに流した。
身体中の痛みを我慢し、声を押し殺して呻く父が、今は安らかな顔をしているのが救いだった。
父がどんな病気だったのか、琉生には詳しいことは分からない。
ただ魂が消えて、抜け殻になったよそよそしい遺体が、もう二度と消えそうな声で自分を呼ぶ事は無いのだと理解していた。
父の代わりにナースコールを押すことはもうない。

「あなた……っ!」

駆け付けた母の手を強く握りしめて、琉生は言った。

「お父さん……もう、痛くないんだよ……」
「琉生……。琉生も……お母さんも頑張ったのに……もう、あの人はいないのね。」
「お父さんね……ばいばいって言ったよ。琉生にありがと……って。」
「琉生……琉生……遅くなってごめんね……一人にして、ごめんね……いっぱい我慢させて、ごめんね……」
「お母さん……あ~ん……」

幸薄い親子は抱き合って泣いた。

父が亡くなって、琉生と二人きりで生きてゆくのだと泣いた母は、惜しまれながら夜の商売をやめて、昼間の仕事を探した。
どれ程、夜の仕事の方が身入りが良くても、小さな琉生をたった一人でアパートに置いておくわけにはいかなかった。

濃い化粧を落とし、長い髪をひっつめた母は職を探した。




本日もお読みいただきありがとうございます。(´・ω・`) 今日はちょっと悲しいお話しなのでした……

(つд・`。)・゚ 「お父さん、ばいばい……」

父との思い出は、琉生の心に深く刻まれました。


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