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世良兄弟仇討譚 豺虎の秋月・2 

豺虎 (さいこ・あらあらしく強い悪人をたとえていう語)




数日後、小さな手を行儀よく三角について、末の弟、月華は相模屋の前にぺたりと伏して居た。

「旦那さま。兄上たちがお留守の間、お世話になります。」
腹を揺らして、相模屋は月華を手招きして側に座らせた。
「おお、さすがに幼くともお武家さま。一通りのお行儀作法はお出来になりますな。見目も大層、お可愛らしい」
ほろりと、月華の頬に相模屋が予期せぬ甘い涙が伝う。
「おや、どうしました?」
「いいえ、なんでも……。月華は、初めて兄上方と離れて夜を過ごすので、つい心細くなってしまいました」
「月華さまは一人寝に慣れておいでではないのですな。よいよい、夜はこの相模屋が、お添い寝して差し上げましょう」
「まあ、うれしい……旦那さま。本当ですか?」
「月華!」
「瀬良の家の男子が、そのような泣き言を言うなど、亡き父上にこの兄は顔向けもできぬ」
武士の子が、そのような甘えを言うものでは無いと、弥一郎は弟をきつく叱った。
「まことに」
これではうっかり、留守居もできぬと、笹目も共に語気を強めた。
「情けない。十にもなって夜が心細いなどと、お前はそれでも男か」
二人の兄に交互に叱られて、月華は溢れそうなほど涙を湛え恥じ入り震えた。
「あ、兄上、申し訳ございませぬ。月華は言いつけどおり独りで待っておりますゆえ、どうぞお勤めお励み下さいませ」
「まあ、まあ。幼い弟御が、寂しくて口にしたことですよ。お許しになってあげてください」
くすんと、月華は手の甲で頬をこすり、潤んだ目を相模屋に向けた。
「旦那さま……」
「大丈夫。夜も怖くないように、枕行灯に火を入れてあげましょうね」
「月華は兄上達がいない間、お優しい旦那さまと御一緒にお留守番いたします」
月華は、けなげに相模屋を見つめる。
相模屋はもう、好色な笑みを隠そうともせず、よしよしと月華の手をさすり始めた。

兄、弥一郎が腰の刀をカチャリと差し直し、鯉口を切る。
一瞬殺気が迸ったのを弟が気が付いたが、色と商売にしか興味のない中年男は気付きもしなかった。
「相模屋どの」
月華の仕草に呆けたような視線を送る、たわんだ腹の男は、まだいたのかと言う風な不満げな目を向けた。
「唐突ですが、月華は今、十一歳、元服前の童にございます。父なき今、烏帽子親のなり手も無くこの兄では仮元服も叶いません。もし叶いますれば、相模屋どののような立派な御仁に、いずれ後見していただけたらと思います。」
「月華さまの後見人を、このわたしが?」
笹目も共に頭を下げた。
「もしそうできたら、我等どれほど肩の荷が下りるか知れませぬ。さあ。月華も相模屋どのにきちんと頭を下げて、父親代わりのお願いをなさい。」
「……月華はいやです。」
金も要るし、面倒なことだと、内心思いかけた相模屋は驚いた。
まだ幼い当人に断りを入れられるとは、思っても見なかった。
「おや、月華さまは、烏帽子親が相模屋では不服ですかな?」
ふるふると頭を振って、月華は涙を散らした。
「旦那さまに、そんなお願いはしたくありません。お金がたんと要るのですもの。月華は、元服などしなくてもよろしいのです」
「元服をしない?では月華さまは、どうなさるおつもりで?」
「ご住職さまが置いて下さるとおっしゃいましたから、暦が代われば月華は増万寺へ参ります」
「増万寺!?」
さすがに呻ったきり相模屋の顔が曇る。

増万寺の住職は、色町での相模屋の同好の士だった。
一人の陰間を二人で心ゆくまで嬲ったこともある。
幼いそこに、無下に二輪挿しなどして散々に破瓜し、可哀想に正気ではいられなくなった陰間は大川に身を投げた。
菰(こも)を被せた哀れな仏に、ありがたい経を唱えてやりながら、青紫に色を変えた肉の鞘を爪で弾くような住職だった。
増万寺に、このいとけない武家の子をやってしまえば、末路はみえていた。

「増万寺などへ行ったら、月華さまのように愛らしいお子は、色小姓にされて寺男や住職、果ては大勢の僧兵たちの慰み者ですよ。お武家の流儀は分かりかねますが、元服とやらにはいかほどかかりましょうや」
「新しい装束。銘のある太刀、親戚筋への披露目……お恥ずかしい話だが、どれほどいるか想像もつかぬ」
「さようでございますか。では……とりあえず」

相模屋は切り餅(小判25両)を一つ二つ手箱から取り出すと、ぽんと兄の膝元にほおリなげた。
忝い(かたじけない)と、兄は頭を下げた。

「あの……月華が、なぐ、さみもの……とは?」

何も分からぬ月華が、不思議そうに問うた。
「月華さま。寺の色小姓ともなれば、女子の代わりにお着物を脱いで褥に入り、閨で後の壷を使って伽をするのです。」
「ひぃっ……そんな……いや、いや。月華は、慰み者などにはなりとうない。ああ、兄上、月華の考えが甘うございました。どうぞ、お寺にやらないでください。きっと、いい子になりますから……」
とうとう、お願いと告げたきり、しくしくと長兄の袴に取り縋り泣きはじめた月華の背中をさすってやりながら、相模屋はこの上なく優しい声を弾ませた。
「誰も、月華さまをそんな場所にはやったりしませんよ。さあ、兄上に仮元服のお支度のお金を預けましたからね」
「相模屋の旦那さまぁ……くっすん……」
「ご安心なさい。この相模屋が名に懸けて、ご家紋を入れた美々しい直垂(ひたたれ)も誂えて進ぜましょう。月華様はほんに良いお子じゃ」
「相模屋の旦那さま……」
相模屋の襟元に「すん……」と花の貌をうずめ、月華はいとも簡単に相模屋を篭絡していた。

「では、行って参る」
深夜。兄たちは旅立った。
「兄上さま。旦那さまのお使いで、奥方さまが療養中の寮へ参るのですね」
「そうだ。ご内儀たっての願いと有って、笹目も連れてゆく。役者のような笹目に口を吸ってもらえば、風邪が治る気がするとおっしゃったそうだから」
「後は、月華に任せて、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
短い別れの後、新月を見上げて自嘲気味に笹目が告げた。
「さてさて。近頃の用心棒は、家人の女子どもの守やら、ままごとの相手までする始末。果ては勃たなくなったご主人の男根の代理もする。この大店でもどうやら、わたしの陽根さえ勃てばいいらしいな、兄上」
「拗ねるな、笹目。まあ、我等が留守の間に、月華が相模屋に一仕事するだろう。相模屋の懐に甘える様は、天性の邪淫のようだ」
「可哀想なことをおっしゃいますな。月華はあれで、大好きな兄上の役に立とうと必死なのですよ、可愛いじゃありませんか。事が終れば、褒めておやりなさい」
「必死だからこそ、哀れなのだ。この先の、身の処し方を考えてやらねばな。月華をこのままわたしの進む冥府魔道の修羅の道へ連れて行きたくはない」

可愛いと思うからこそ,関わらせたくはないのだと、弥一郎は言った。
父が不名誉な死を遂げて以来、兄と弟二人、安穏と世間を渡ることも叶わなかった。
日々の生活のため、まるで色小姓のようなことまでして、兄は家族の口を漱いできたのだ。
ただ、父の仇を討ち果たし、母を安堵させるためだけに。

理不尽な仇討と思わぬでもなかったが、親の汚名を雪ぎ家名を護る、それが当時、武家に生まれた嫡男の残酷な生涯の務めだった。
己の意志など関係なかった。
武士として本分を貫けば喝采を受けるが、それも皆本懐を遂げた場合だけだ。
先の見えない仇討に、兄は倦み疲れていた。
この仇討に、明ける日は来るだろうか。







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