愛し君の頭上に花降る 5
その夜から、祥一郎はぷつりと男漁りをやめた。
甥の郁人の体調が急激に悪化して、目が離せない危機的状態に陥ったことも一因だった。
さすがに郁人が心配で、過去のカルテを引っ張り出したりして、祥一朗なりにできることを懸命に探った。
気に入らない浮浪児兄弟の片割れに頭を下げて、教えを請い、最新治療の勉強もした。
透析治療に生命を救われた郁人の様子に、ほっと安堵しながら、祥一朗は自分の持つ医術は稚拙で古く、郁人の役に立たないと思い知らされていた。
医師とは名ばかりで、自分には甥を救う術がないと知り、足元から音を立てて崩れ落ちる自尊心に、祥一朗は荒れた。
父のワイナリーから鳴澤に届けられた葡萄酒をあおりながら、居場所を失うかもしれない心細さに耐えていた祥一朗は、ふと庭の手入れをする子供を認めた。
窓から見つめる祥一朗に気づいた庭師の息子は、ひょこと頭を下げて、にっこりと笑った。
先日、上野駅で別れたばかりの少年を思い出して、部屋に呼び込んだ祥一朗は、考えもなくその子をいきなり抱きしめてしまう。
酩酊状態だった祥一朗は、何もわからぬ少年が、恐怖に身を捩って叫んで逃げてゆくのを呆然と見送り、顔を覆った。
「……違ったか……」
上野駅で別れた、あの子であるはずなどなかったのに……。
この後、少年は父親の庭師の胸に飛び込み、祥一朗の行状を泣きながら報告し、鳴澤家筆頭執事の最上家令の知ることになった。
ただ抱きしめただけであったのだが、抗った際にシャツの釦が飛んでしまい、父親はその姿に乱暴されたと誤解し激怒した。
「あっしが旦那さまにお世話になっていると言っても、倅とあの方とは何の関係もありません。どうか、最上さまから旦那さまにお話してください」
「決して悪いようにはしないから、此度の件は、わたしに任せてくれないだろうか?望月先生は郁人さまのご病状が心配で最近良く眠っていなかった上に、酒を相当に飲んだせいで錯乱されたのではないかと思う。わたしから厳重注意しておくから、旦那さまのお耳に入れるのは、しばらく待ってくれないだろうか」
頭を下げた最上家令の態度に、庭師も折れるしかなかった。
新しいシャツを買うようにと、渡された金もかなりの金額だった。
正直、鳴澤家で貰う給金は、どこよりも破格だったから失うわけにはいかない。
渋々納得した庭師に、胸をなでおろした最上家令だった。
鳴澤家に長年奉公してきた最上家令は、主人の義兄でもある祥一朗の処遇に頭を悩ませていた。
追い出すのは簡単だったが、体面もある。
しかも、望月は自己中心的なだけではなく神経質な面もあり、厄介な存在だった。
人一倍、自意識が高く、自尊心が旺盛な祥一朗に、使用人達も主人への遠慮があって手を焼いていた。
華族制度が瓦解した今、自死を選ばれても後始末は厄介で、居場所を奪って下手に逆恨みされても面倒なことになる。
その後の煩わしさを思うと、放逐するのも踏み切れない。
だが、最上家令は人を見る目に長けていた。
祥一朗の心の奥底にあるのが、成長しきれなかった幼さが求める寂しさだと気づいていた。
最上家令は思案の末、ある青年を探すように秘密裏に配下の笹崎に命じた。
「これは、どういう方なのですか?」
笹崎は、最上家令から一葉の写真を渡された。
「元華族だ。名は結城秋星と言う。一家離散しているそうだが、家族の住む長屋に時々為替を送ってくるらしい。どうやら贅沢な両親を食わせるために、人に言えない苦労をしているようだ。望月先生のお相手には最適だと思う」
「わかりました。すぐにお探し致します」
「急いでくれ」
笹崎は、直ぐに事情を把握した。
没落華族の行き先など、簡単に調べがつく。
ハイエナのように華族に付け込む香具師の元締めを探し、彼らが巧妙に仕組んだ罠に落とした青年を見つけ出すのは、簡単な話だった。
火 木 土曜日更新の予定です。
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