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愛し君の頭上に花降る 6 

数日後、笹崎に連れられて目の前に立った細身の青年は、予想通り申し分なく上品な佇まいだった。
荒れた生活にいささかやつれたとはいえ、立ち居振る舞いに卑屈なところは感じられず、おそらく美意識の高い望月の嗜好に合うだろうと、最上家令は確信した。

「お探ししましたよ、結城さん」

「……ぼくに何用ですか……?」

視線が不安げに彷徨った。

「簡単な仕事です。これからあなたには旧華族の集まる夜会に出向いていただいて、望月祥一朗という男性を篭絡していただきます」

「色絡みの仕事ですか……?ぼくには失うものはもう何もありませんけど、そういったことができるとは思いません。もう、若くもありませんし……」

自嘲気味にそう言った青年に、今後の生活をちらつかせると、彼は頭を垂れて涙ぐんだ。
最上家令は青年の落籍(身請け)を請け負った上、月々ある程度の金額を渡す代わりに、恋人のふりをしてくれるように青年に依頼したのだった。

「あなたでないとできない仕事です。万一、望月先生が君に飽きたときは、鳴澤家の使用人として雇い入れるから安心してください。信用出来なければ一筆書いてお渡しします。御母堂の療養も今後は鳴澤家が力になるとお約束します」

「それは、本当でしょうか?結核の薬代はとても高価で……転地療養を勧められても、どうしようもなくて……」

「直ぐに、手配しましょう。その代わりに、手を貸していただきたい。それほどまでに、あなたが適任なのです」

最上家令は、青年に向かって深く頭を下げた。

「……この地獄に、蜘蛛の糸が下りて来るとは思いませんでした。ありがとうございます……お話を聞かせてください」

笹崎が見つけた時、結城の置かれた境遇は悲惨なものだった。
一つ年を取るたび、楼閣から楼閣へと物のように何度も転売され、やっと見つけた時には転げ落ちるように地方の妓楼で春をひさいでいた。
僅かな金は、身内に吸い上げられ、母の薬代にも事欠いていた。
移るたびに環境は粗悪になり、夜ごと性病の罹患に怯えながら、数多の男達に組み敷かれるよりも、一人の相手をした方がどれだけいいでしょうと、哀れな青年は震える声で応じた。

こんな風に、結城秋星という名の美貌の青年と、望月祥一朗の劇的な出会いは、最上家令が秘密裏に仕組んだものだった。
元華族たちが集まる室内オペラ鑑賞会に、たまには気晴らしに出かけてみませんかと最上家令に誘われ、祥一朗は秋星と出逢った。
オペラ椿姫の有名な乾杯の音楽を室内で楽しんだ後、実際にグラスを合わせた紳士淑女たちの中で、秋星はグラスを取り落とし慌てて指に怪我を負ってしまう。
祥一朗は素早く近寄ると、傷付いた手をそっと掬い取った。

「あっ……」

「じっとして」

「あの……」

「安心してください。わたしは医者です。止血をしましょう」

祥一朗は携帯していた、小さな黒い医療鞄を開けた。
細い指を預けた結城秋星の青ざめた横顔、白皙の額にはらりと流れる絹糸のような一筋の漆黒の髪。
祥一朗は最上家令の目論見通り、秋星の美貌に一瞬で目を奪われた。

「ありがとうございます……あの、望月子爵さまですか?」

「ぼくの名を?」

「……ええ。以前、夜会でお見かけしたことがあります。可愛らしい小柄な女性と御一緒でした」

手を取り合った二人は部屋の片隅に移動した。

「ああ、それはきっと妹だ。妹は夜会で知り合った鳴澤男爵と結婚したんだよ。もっとも、華族制度は無くなってしまったから、事業で成功した義弟の方が有名になってしまったね。それよりも君の名を聞いてもいいだろうか?この場にいるということは、君は元華族?それともどこかの資産家のご令息かな?君を見たなら忘れるはずなどないと思うのだが」

「……昔の名など、もうとうに忘れてしまいました。今のぼくはヴィオレッタと同じ身の上ですから……」

「先程の歌劇の主人公の名前かい?」

軽口に思わず、唇がほころんでしまう。
ヴィオレッタはパリ社交界で名を馳せた高級娼婦だった。
眼前の美しい青年と、つながる由もない。





火 木 土曜日更新の予定です。
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