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愛し君の頭上に花降る 12 

祥一朗は、そんな秋星の思惑を感じ取ったらしい。

「戦前、ぼくの母は、夜会に行くとき、菫色のタフタで誂えたドレスを着ていたんだ。胸には、伊太利亜の公使から贈られたカメオのブローチを付けてね……広間でワルツを踊る姿を見て、子供心にもなんて美しいんだろうと思ったよ。自慢の母だった」

「今もご息災でいらっしゃるのですか?」

「いや……数年前に亡くなって、甲府で眠っている。父が、自分の葡萄園が見渡せる場所に、墓を建てたんだ」

「幸せですね……」

「そう?」

「ええ、とても。美しい思い出を持って眠っていらっしゃるのでしょう?ぼくの両親は、大戦以来、すっかり変わってしまった生活に上手く馴染めなくて、市井に落ちた身を未だに受け入れられないでいます。運命を呪って嘆くばかりの姿を見るのはとても辛かったです……」

「華族制度が無くなってから、ご苦労をされた方々は多いね」

「……まるで、底なし沼に足を取られたようでした。どれだけもがいても、岸に這い上がることも叶わず……ああ、すみません。こんな悲惨な話をするつもりではなかったのに」

「いいんだよ。素直に話をしてくれてうれしいよ。ああ、秋星、この店だ」

足を止めたそこは、新しい煉瓦を使った戦前と同じような店構えで、秋星にも店名に覚えがあった。
幼いころに、誂えの制服を作ってくれた腕のいい店主は今も健在だろうか。

「予約した望月です」

「いつもありがとうございます。望月様、お待ちしておりました。こちらの方ですか?では、早速ですが失礼して、シャツの採寸を……っ」

店員が小さく息を呑んだ。
来ているものは粗末でも、秋星の顔立ちは誰が見ても臈たけて美しかった。
泥中に咲く蓮のごとく、汚れても直、清らかで、初めて秋星を目の当たりにしたものは皆同じ反応をする。
寸法を測り、デザインを決めたところで、祥一朗は小箱の中からカメオを取り出した。

「これは……ずいぶん手の込んだものですね。骨董品ですか?」

「父が戦前、伊太利亜公使に貰ったものなんだ。小ぶりだから、秋星のポーラー・タイにならないかと思ってね」

「えっ?駄目です。そんな大事なものを下さっては……それは、もしかすると、先ほどお話していらした母上のものではないのですか」

「そうだよ。でも、譲るべき妹はとうに亡くなってしまったし、ぼくには似合わない。骨董品なんて貰っても誰も喜ばないだろう?」

「そんなことは……」

固辞する秋星と祥一朗の間に、まるで助け船を出すように店主が割って入った。

「こちらは菫色のシャツに、とても似合うと思います。略礼服に使うものですから、普段使いにされてもよろしいかと。それに、削ったりしないで、このまま使うのですから、元に戻せます」

「……そうですか」

「納得したね。では、仮縫いの時に、また来よう」

「はい。ご連絡いたします」

結局、全て祥一朗の思い通りにするしかなく、秋星は言われるままに何着かの背広を新調して貰った。

「疲れた?」

「ええ……少し。祥一朗さんに、ずいぶん散財させてしまいました」

腕に縋って見上げた顔色は、確かに青ざめて見えた。

「頬が冷たい……貧血気味なのかな。脳貧血でも起こしたら大変だ。どこかで少し休んでいこうか」

「お屋敷に帰りたいです」

「そう?……帰ってから、断りの電話を入れるか」

困った顔で、祥一朗が呟く。
実は色々、秋星のために予定を立てていた。少しでも喜ばせてやろうというつもりだったのだが、秋星は余り嬉しそうではなかった。
身の丈に合わない贅沢をしてしまったと、負担に感じたのかもしれない。

「ここで待っておいで。車を頼んで来よう」

「……ええ」




火 木 土曜日更新の予定です。
どうぞよろしくお願いします。

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