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小説・蜻蛉(とんぼ)の記・3 

その話は、瞬く間に家臣の間に広まった。


「殿は、内心跡目として貴久様をお考えではないのか。」

「いずれ、お家騒動になるのならば、どちらにつくか今から身の処し方を考えておかねば。」


本人の知らぬところで、話は大きくなっていた。

誰がどう見ても、愚鈍にさえ見える長男よりも、資質は貴久の方が優れていた。


お家騒動の火種を作ってはならぬと、お袖の方は急ぎ対面を申し出る。

精一杯の心づくしの品を携え、お袖は下座にかしこまった。



「奥方様には、家臣どもの根も葉もない噂に、翻弄されませぬように。」


「わたくしも、貴久も、心より信貴さまにお仕えする気持ちは終生変わりませぬ。」


微笑むお袖の方が、勝ち誇った余裕の笑みに見えた。

・・・妬みの渦巻く北の方と呼ばれる本妻に、お袖の家を思う真の心は届かない。


「お袖どの。」


退出しようとする側室に、北の方は声をかけた。

笑顔ではあったが、雅な京風の置き眉の下の瞳は、笑っていなかった。


「幼い頃、千利休殿から、じきじきに手ほどきを受けたわたくしの茶を進ぜましょう。」


「ありがたく、頂戴いたしまする。」


側に仕える、大輔の母親はいささかの胸騒ぎを覚える。


奥方の手ずから入れた茶からは、ほのかに甘いありえない匂いがしていた。

「お袖の方様・・・」


軽く制して、お袖の方は茶碗を取り上げ、正室を見つめた。


「二心の無い証に。」


そう言って、お袖の方は毒入りの茶を、一息に煽った。






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