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小説・蜻蛉(とんぼ)の記・5 

「信貴殿の母御に、対面する。」


貴久の凛とした声が、響いた。


大輔は、城へお袖の方の供をした母親の、ただならぬ様子にすぐさま控えていた。


「大輔、馬引け!登城する。」


「はっ!」


先日の藩主との対面以来、家臣の中でも力を持つものや藩御用達の商人などが元服の後見を願い出て、にわかに騒々しくなった屋敷内だった。



平和な領内で、貴久の知らぬ火種は少しずつ育っていた。


「貴久さま。急ぎ駕籠の準備を致します。」


「大輔。」


振り向いた、貴久の瞳は濡れていた。

「疾風なら、馬ながら夜目が利く。走りなれた道だから、大丈夫だ。」


「少しでも、馬の方が早い。急ぎ聞かねばならぬことがある。」


「では!では、わたくしもお供仕ります。」


・・・何故、もう一度駕籠を勧めなかったかと、大輔は後に激しく後悔する。


巧妙に何重にも張り巡らされた、いわれの無い嫉妬心によって貴久の命は無残に踏みにじられる寸前だった。

自在に馬を駆る主人の後を、大輔は付いてゆくのに必死だった。


「戦場で馬を思うように扱えねば、狙う大将の首級は挙げられまいぞ。もっと、励め。」


いつもそういって、馬術の苦手な大輔を屈託無く笑う貴久は疾風の背で、小さくなりつつあった。

すっかり意思の通じ合った、疾風と貴久は一路城に向かって翔けて行く。


いつもなら、遅れる大輔を必ず通りに出る前で待っていてくれた。

しかし、今日の貴久は手の届かぬ所まで行ってしまいそうだ。

額の汗が、後へと走る。



「貴久さま!」


薄闇に紛れたものが数名いることに、大輔は気づいた。


貴久は、一目散に走っていて大輔の声に気がつかない。

物陰に隠れて、頭巾の頭は疾風の足音に頷きあった。

細く丈夫な真田紐が、疾風の足元にぴんと張られていた。

彼等は、お袖の方が屋敷に運び込まれて数刻も経たぬうち、貴久が馬で城で向かうと確信していた。


何よりも、母親思いの次男坊の行動は、見越されていた。



・・・時が、停まった・・・・

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