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小説・蜻蛉(とんぼ)の記・16 

三河の小藩、板倉家に、一揆討伐軍上使いが決まったと、三里藩にも情報はもたらされた。


討伐の任を命ぜられたのは、御書院番頭という将軍親衛隊であった板倉家で、役目の割りに石高の低い三里藩のような小藩であった。


九州の各大名は自尊心が高く、小藩の板倉を軽んじて統制が取れぬのではないかと幕臣の中には心配するものもいたが、時の将軍、家光は祖父の代からの側近で、幕政に携わった板倉を強く推挙したという。


板倉重昌は藩主の尾花の知己であり、切実な文をよこした。

その後の九州地方の大名の、板倉氏に対する冷淡な対応を聞き、三里藩主も胸を痛めていた。


「柳生どのが、案じたとおりになったの。」


「できればわが藩に援軍をと書いてあるが、難儀なことじゃ。」


藩内の対応も、二つに割れた。


ここは急ぎ、次期藩主に初陣を飾らせたいという昔ながらの重臣と、たかが土一揆に加担することはあるまいという北の方周辺の者。


信貴大事の、正室は「初陣のもしも」を怖れた。


「殿。なにゆえ、わが藩が板倉などに呼びつけられねばならぬのです。」


「一揆の始末くらい、九州の大名でなんとでもなりましょう。」


「うむ・・・。」


この板倉を哀れと思し召し、是が非でもご援軍を・・・とまで書いた、遠国で孤立する板倉の心中を思うと胸が痛む。


三里藩では急ぎ家臣一同を集め、評議することになった。


喧々諤々・・・答えは一向に出そうになかった。


双方に言い分は有り、考えようによってはどちらも正しかった。


「方々に、お願いの儀がございます。」


喧騒の評議場、響いた清々しい一声の主は、貴久であった。


「このような身なれど、一言申し上げる。」


「父上旧知の板倉殿のお頼みとあれば、援軍を出さぬは武門に名高い尾花家の名折れにございます。」


一同の間にさざ波のように、小声で意見が飛び交った。


殿が赦しても、奥方様が若のご出陣は赦すまい。


だとしたら・・・?


誰が三里藩尾花家の旗印を立てるのだ・・・?



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