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小説・蜻蛉(とんぼ)の記・18 

「幕府のご重役方は、嫡男を出し惜しみして片輪者を送り出したと父上を笑ったりしないだろうか・・・」


貴久には、それだけが心配だった。


手柄を立てれば、それで万事全て上手く行くと大輔は相変わらず楽天的だった。


旅立つ朝、信貴と母親が、貴久を呼んだ。


大輔以外、人払いをしたその上で北の方は


「貴久殿に、わびねばならぬことがある・・・」
と、口にした。


「義母上、過ぎたことならば、もう水に流したく存じます。」

貴久は、それ以上言わせなかった。


「それよりも、わたくしの方こそ出過ぎたまねを致しました。」

「兄上をお守りすることこそが、わたくしの幼い頃よりの悲願ゆえ、どうかお許し下さいませ。」

「兄上は、お家大事の折にご出陣されるがよいと、思います。」

「不自由な身なれど、必ずここにいる大輔と共に、家名に傷を付けぬよう存分に働いてご覧に入れまする。」


北の方は、思わず貴久に駆け寄り、貴久の手を取ると涙した。


「貴久殿。・・・万事わたくしの、心得違いであった。」

「義母上様。」

北の方の胸に抱かれた貴久の嗅いだ香は、幼い頃に失くした母が焚き染めた匂いと同じものだった・・・

「義母上様。行ってまいります。」

北の方の胸に刺さった細い氷の刃は、ついに溶け、初陣する貴久の後顧の憂いは流れ去った。


ほどなく幕府の許可も下り、三里藩次男、尾花貴久と若き藩側用人、盛田大輔は揃ってここに初陣を飾ることとなった。


藩主と北の方の心づくしの、金色の勝ち虫、蜻蛉の前立ての付いた兜は、貴久の敬愛する上杉公のものに似せた本銀箔押南蛮兜。


喝采の中、三里藩の旗印を掲げ、勇壮に陽の下を行く軍列に、お福は思わず目頭を押さえた。


今は亡き、お袖の方に一目見せたかった。


五月の節句に、誓った言葉通り勇ましく勝ち虫は飛翔した。

「大輔、くれぐれも若様をお守りするように。」



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