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露草の記 (壱) 1 

血なまぐさい戦国も終焉に近づいた、安土桃山時代。
天正の終わり頃の話である。

関ヶ原で東軍に組し領地を安堵された藩は、小藩ながら善政を敷き、内憂のない豊かな国として知られていた。これで長かった戦乱も終わると、民百姓、商人も活気にあふれていた。

その双馬藩、嫡男、安名秀佳(やすなひでか)は、今、零れ落ちそうな涙を懸命にこらえて縁にいた。
庭に降りる三和土に、義弟が遊ぶ馬の玩具が転がっている。
その横で、小さな義弟がしくしくと泣き、母の胸に縋っていた。

よちよち歩きの義弟、倖丸が、自分の袴につかまって歩く可愛さに、ついそのままにしておいたのがいけなかった。
貨車のついたおもちゃの飾り馬の脚につまずくと、秀佳の脇からころりと庭石の上に落ち、大きなたんこぶをこしらえてしまったのだ。
火の付いたように激しく泣く小さな義弟は、差し伸べた義兄の手を振り払い、ひたすら母の手を求めていた。

「あぁ~ん……」

「まあ…倖丸が大変!早くお医師を!誰か……あぁ……。」

藩主の後添えは悲鳴をあげ、ぱたりと気を失った。腰元たちは、あれ、奥方様が……、若さまが……と大騒ぎをしている。
急ぎ、後見の城代家老が呼ばれた。

*****

「幼い弟君に、かような怪我をさせておいて、詫びの一つも言えぬとは情けない……。秀佳さまは倖丸君(ぎみ)の兄上として、ご自分をいかがなものとお考えか!」

秀佳は義弟の倖丸(ゆきまる)に怪我をさせたかどで、その祖父である城代家老に、理不尽に酷い叱責を受けているのだった。
勝手に転んだ幼児の、そばに立っていただけの秀佳は、まだ前髪の12歳である。

秀佳の握り締めた小さな拳がふる……と小刻みに震えた。言い訳をしようにも、決して誰にも聞いてもらえないのは分かっていた。
文武両道で名高い父、双馬藩主は、先の戦で荒れた藩内の耕地に心を砕き、巡察の旅に出て長く城を留守にしている。存命であれば庇ってくれるはずの実母は病弱で、秀佳の命と引き換えに、とうにこの世を去っていた。城の中で孤立した秀佳の味方は、守り役の年寄ただ一人だけだった。

「……わたしが突き落としたわけではない。……倖丸は一人で転んだのだ。」

そう言いたかったが、二人は激しく秀佳を責めたてた。

「ぬけぬけと言い訳をなさるとは嘆かわしい。それが武門の誉れ、音に聞こえた双馬藩、ご嫡男のなさることですか。」

「義父上さま。秀佳さまは、わたくしの倖丸をお嫌いなのです。あれほど慕って居りますものを……兄上様に邪険にされて、可哀想な倖丸。このままでは、いつか命に関わる怪我をさせられるのではないかと、わたくしは心配でなりませぬ。」

「そんな……。秀佳は……。」

怒りに震える双馬藩主の後添えと、その後見の逆鱗に触れ、とうとう秀佳は悪くもないのにすまぬと頭を下げた。傍にいた家臣たちも、皆何も言ってはくれなかった。見ていたはずの腰元も、申し訳なさそうに視線を逸らした。

悔しくて、強張った頬に涙が零れそうになる。何故、父上は自分一人をここに置き、この場にいないのだろうと、城を空けた父が恨めしい。
藩内を廻るなら、秀佳も是非にお連れ下さいと、あれほどお願いしたのに……。
しゅんと、秀佳は洟をすすった。
この場から早く立ち去りたかった。

「……義母上。秀佳は、お狩り場の寮にてしばらく謹慎しておりまする。倖丸には、もう近付きませぬゆえ、ご安心ください。御免。」

後妻の鼻先を掠めて、秀佳は一人庭に出た。
正直、これ以上の小言はごめんだった。足早に自室に戻り、顔を覆うと思わず堪えた嗚咽が零れた。。

「早く、お戻りください……っ、父上……。」

弱音を吐くことはなかったが、まだ傍に誰か居てほしい年齢だった。

父は、元々双馬藩を継ぐまでは、大藩の部屋住み(三男)であったらしい。病弱な母がいなくなると、親戚中は嫡子が秀佳だけでは、今後が心もとないと、口うるさく新しい正室を持つようにすすめた。
周囲の勧めで仕方なく貰った家老の養女は、先妻の子、秀佳にことさらに冷たく当たり、我が物顔で振る舞っている。父の留守の時などは、なおさらひどかった。

今日のように、何かが起これば嫡男の秀佳など、いっそいなければ倖丸(ゆきまる)が双馬藩の跡目を継げるのにと露骨に口にし、邪な視線をよこして来る。

おりあらば、奸計によって廃嫡されるのではなかろうかと、秀佳は内心穏やかではなかった。





新しいお話です。

お読みいただければ幸いです。時代物だから……どきどきです。(〃ー〃)   此花咲耶


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