露草の記 (壱) 5
「若さま。魚は、お足元です!そこっ!」
川魚は、貴重な蛋白源になる。
川遊びといいながら、少年たちは各々、必死で魚を追った。
中でも、この地方で獲れる「なまず」のような、ギギという魚の甘露煮は藩主の好物だった。秀佳も懸命に魚を捕まえた。
竹を編んでこしらえたざるを川底に沈め、ギギが横切るときに思い切り引き上げる。すばしこい魚が上手く取れるたび、河原に歓声が響いた。
*****
「今日の一番の得物は、若さまでしたな。」
「うん。父上はギギの煮つけがお好きだから、きっとお喜びになるだろう。」
秀佳は、釣果を得て、手桶に入れた川魚を賄い方に回した。
井戸端でずっと飽きもせず、手桶の中で泳ぐ魚を見ている少年と秀佳に、藩主が声を掛けた。
「秀佳。川で魚を取ってきたのか。」
「はい。父上のお好きなギギが取れました。夕餉の肴にしてくだされ。」
「そうか、それは楽しみだな。馳走になるとしよう。」
父の帰城と共に、秀佳はお狩場の寮から、城に戻ってきていた。いっそ、寮にいる方が気が楽だったが、父は秀佳に傍に居よと命じた。
話しかけてくる父の腕の中には、小さな倖丸が抱かれて居る。不思議なことに、秀佳の目にまるで似た所のない親子だった。
「秀佳。その小草履取りに、良い名前をつけてやったか?」
そういえば…と、言われてやっと思い出した。
父に、良い名前をつけてやれと言われていたのを失念していた。秀佳はふっと小さなため息を吐いた。
幼子のようにどこまでも付いてくる、「小草履取り」など鬱とおしいだけだ。家臣……ことに、義母が輿入れと共に連れてきた、小者や、中間などの好奇の目もいやだった。
ふと、手桶の中でくるくる回る魚を見た。
「いっそ、ギギと付けまする。」
瞬時に、父の顔色が変わった。
「秀佳。何故そのような名をつける?父に訳を言うてみよっ。」
声を荒げた藩主の足元に、秀佳を守るようにざっと少年が縋った。
膝に抱きつき藩主を見上げ、涙をためて叱らないでと首を振った。
父が怒るのも無理はない。
ギギは、美味であったがひどく醜い魚だった。夜中に川べりでギギと鳴いて、人を驚かせた。
父の怒声に、秀佳はぷいと横を向いたが、悲しげに目を潤ませうつむく少年が目に入ってしまった。さすがに、哀れな気がした。
いきなり城に連れて来られて、なれない毎日をどんな気持ちで過ごしているのだろうか。学問所で過ごす時間も、きっと持て余しているに違いない。
「……この者の名は、ギギではなく……於義丸に致しとうございます。」
「ふむ。してその名のいわれは?」
「義は、忠義の義でございます。」
「うむ。それは良い。それでどうじゃ?於義丸。」
にっこりと微笑んで細めた目から、涙が一筋頬を伝う。
於義丸と自分は、今きっと同じ顔をしている、そんな気がした。
*****
父の前では殊勝だったが、結局秀佳は、父の居ない所では於義丸の事を、ギギとあだ名で呼んでいた。
そればかりか、藩校で学ぶ他の者に面白おかしく、出会った時の話をした。
「だから、おギギはまたの名を肥被り(こえかぶり)と言うのじゃ。」
そんな酷いことも、平気で口にした。
於義丸は、何も言わずに(……言えずに)、華美な着物を着せられてうつむくばかりで、質素倹約を常とする藩の子供たちの中で一人浮いていた。
嫡男で有りながら、不確かな未来に苛立っていた秀佳のそれは、今にして思えば紛れもなく八つ当たりであったと思う。
(*ノ▽ノ) 「勿体なくも、若さまにお名前を付けていただきました。」←心の声
( *`ω´) 秀佳:「しぶしぶだけどね~」
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