露草の記 (壱) 10
翌日には床を上げて粥をすする於義丸を見て、ひとまず安堵した秀佳であった。
秀佳は人が変わったように甲斐甲斐しく於義丸の世話を焼き、医師に話を聞いて叱咤するつもりでやってきた老臣秋津も、機を逃したようだった。
夕刻になると、他藩に乞われて長らく治水工事に当たっていた叔父が、事業の目途が付き、帰り次第登城すると知らせが届き、ぱたぱたとお引きずりの女中達が色めいて忙しげで、何やら城の中は浮き立つように華やいでいる。
それもそのはず、叔父、安名兼良(かねよし)は、家中の者に人気があった。下働きの女中どもさえ、遠目でもいいから姿を一目見たいと、何度も同じ場所を拭いて居たりする。
「叔父上は、もうお帰りになった?」
階下を覗けば、騎馬の数人が門に走り込むのが見えた。
紅い漆の派手な鞍から舞い降りた兼良は、豊かな総髪を結い上げて、艶やかな錦糸の陣羽織も映える、相馬藩一の美しい軍神であった。
供の物も、揃いの派手な装束を身に着けて城内の女性たちが大騒ぎしていた。
秀佳は、この派手な見目良い叔父がとても好きだった。
自分にはまるで記憶のない、亡き母上に似ていると、守役の秋津は言う。
龍頭魚尾の華やかな螺鈿細工の長脇差と、武人らしからぬ茜と浅葱色の重ね襟の叔父の姿を見ていると、どこか気持がくすぐったくなってくる。秀佳は、いつかは自分もそうなりたいと、憧憬の視線を向けていた。
「叔父上、お帰りなさいませ。此度のお役目、ご苦労さまにございました。」
「おお、秀佳。変わりはないか?背が伸びたかな。」
「はい。」
振り返ってくしゃと相好を崩した顔は、少し幼くなって周囲を魅了する。
そのまま視線をくゆらして、秀佳の傍らに行儀良く控える於義丸に目を留めた。
「…これか。義兄上が肥溜めで拾った仔犬は。」
「叔父上。肥溜めで拾ったのではありませぬ。かぶっただけです。」
「まあ、そうむきになるな、秀佳。」
まじまじと眺め入ると、於義丸は所在無く恥ずかしそうに、秀佳の後に隠れてしまった。
「どうれ。なるほど、聞いたとおり秀佳によう似て居るの。」
引っ張り寄せて顎に手を掛け、値踏みするようにまじまじと顔を覗き込んだ。
「戦には役に立ちそうにない、細腕じゃな。ん……これは?」
包帯に気付いて袖をめくって手首の傷を確かめると、秀佳を見やりながら厭味を込めてこういった。
「これは……、双馬の若さまには、大層な可愛がりようじゃな。」
「叔父上。これには、仔細があるのじゃ。」
熟れた柿のようになった秀佳を、困ってしまった於義丸がちらと見た。気にするなというように、そっと腕を掴むのに励まされて秀佳は胸を張った。
「叔父上。於義丸は父上が下さった、わたしの小草履取りです。以後は、だれもおギギを傷つけぬように、わたしが守ってやりたいと思っております。」
「こやつ。まだまだ童だと思って居れば、一人前に言うではないか。」
苦笑した叔父は、優美な見た目と違い中身は相当の猛者である。
関ヶ原の大戦の折、周囲に裏切られ西軍の中に孤立した藩主を守って、たかだか300騎余りの手勢だけで殿(しんがり)を務めあげたのは、他藩で語り草になっていた。さすがは武門で音に聞こえた双馬藩の美丈夫……と名をあげた。
その上、若い頃に人質として過ごした場所で、様々なことを学んでいた。
新田開発に必要な治水にも明るく、崩れた崖の修復の技術を他藩に行って惜しげもなく指南してきたりもする。洪水で氾濫する川に、わざと水を逃すように護岸を削り、甚大な被害を与えないようにする工事も、兼良が発案した。
本来ならば、男子として相馬藩を継ぐべき存在だったが、側室腹と言うので正妻の娘である姉の夫に、自らその座を譲ったのだった。
藩主の全幅の信頼を受けてもまるで物欲がなく、そのくせ格好はといえば、およそ武人には見えないような女性物の華やかな薄物を、恥ずかしげもなく引っ掛けていたりする。
傾奇者と老人はため息を吐くが、それがまた、似合って映えた。
叔父、安名兼良(かねよし)には、妻女がない。
一人に決めると、大勢の女子が泣くから嫁も貰えぬよと、軽口をたたきながら、あちこちから山ほど降る縁談をはなから無視していた。
双馬藩以外に収まらぬ、自分は根無し草が性に合うのだと、笑っていた。
叔父上の挿絵を描きたかったのですが、どう描いても輪郭が子供になってしまうのでした。
難しいので、想像で補完してね。(´・ω・`) ←だめだった~……
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まだ少し先なのですが、カウンターが140000になりましたら、キリ番リクエスト受け付けたいと思います。実は120000のときも、130000のときもきれいさっぱり忘れていて大分過ぎてから気が付きました。
もし、此花にこんな話書いてくれればなぁ……と、お思いの方がいらっしゃいましたら、おっしゃってください。
よろしくお願いします。(〃ー〃)
秀佳は人が変わったように甲斐甲斐しく於義丸の世話を焼き、医師に話を聞いて叱咤するつもりでやってきた老臣秋津も、機を逃したようだった。
夕刻になると、他藩に乞われて長らく治水工事に当たっていた叔父が、事業の目途が付き、帰り次第登城すると知らせが届き、ぱたぱたとお引きずりの女中達が色めいて忙しげで、何やら城の中は浮き立つように華やいでいる。
それもそのはず、叔父、安名兼良(かねよし)は、家中の者に人気があった。下働きの女中どもさえ、遠目でもいいから姿を一目見たいと、何度も同じ場所を拭いて居たりする。
「叔父上は、もうお帰りになった?」
階下を覗けば、騎馬の数人が門に走り込むのが見えた。
紅い漆の派手な鞍から舞い降りた兼良は、豊かな総髪を結い上げて、艶やかな錦糸の陣羽織も映える、相馬藩一の美しい軍神であった。
供の物も、揃いの派手な装束を身に着けて城内の女性たちが大騒ぎしていた。
秀佳は、この派手な見目良い叔父がとても好きだった。
自分にはまるで記憶のない、亡き母上に似ていると、守役の秋津は言う。
龍頭魚尾の華やかな螺鈿細工の長脇差と、武人らしからぬ茜と浅葱色の重ね襟の叔父の姿を見ていると、どこか気持がくすぐったくなってくる。秀佳は、いつかは自分もそうなりたいと、憧憬の視線を向けていた。
「叔父上、お帰りなさいませ。此度のお役目、ご苦労さまにございました。」
「おお、秀佳。変わりはないか?背が伸びたかな。」
「はい。」
振り返ってくしゃと相好を崩した顔は、少し幼くなって周囲を魅了する。
そのまま視線をくゆらして、秀佳の傍らに行儀良く控える於義丸に目を留めた。
「…これか。義兄上が肥溜めで拾った仔犬は。」
「叔父上。肥溜めで拾ったのではありませぬ。かぶっただけです。」
「まあ、そうむきになるな、秀佳。」
まじまじと眺め入ると、於義丸は所在無く恥ずかしそうに、秀佳の後に隠れてしまった。
「どうれ。なるほど、聞いたとおり秀佳によう似て居るの。」
引っ張り寄せて顎に手を掛け、値踏みするようにまじまじと顔を覗き込んだ。
「戦には役に立ちそうにない、細腕じゃな。ん……これは?」
包帯に気付いて袖をめくって手首の傷を確かめると、秀佳を見やりながら厭味を込めてこういった。
「これは……、双馬の若さまには、大層な可愛がりようじゃな。」
「叔父上。これには、仔細があるのじゃ。」
熟れた柿のようになった秀佳を、困ってしまった於義丸がちらと見た。気にするなというように、そっと腕を掴むのに励まされて秀佳は胸を張った。
「叔父上。於義丸は父上が下さった、わたしの小草履取りです。以後は、だれもおギギを傷つけぬように、わたしが守ってやりたいと思っております。」
「こやつ。まだまだ童だと思って居れば、一人前に言うではないか。」
苦笑した叔父は、優美な見た目と違い中身は相当の猛者である。
関ヶ原の大戦の折、周囲に裏切られ西軍の中に孤立した藩主を守って、たかだか300騎余りの手勢だけで殿(しんがり)を務めあげたのは、他藩で語り草になっていた。さすがは武門で音に聞こえた双馬藩の美丈夫……と名をあげた。
その上、若い頃に人質として過ごした場所で、様々なことを学んでいた。
新田開発に必要な治水にも明るく、崩れた崖の修復の技術を他藩に行って惜しげもなく指南してきたりもする。洪水で氾濫する川に、わざと水を逃すように護岸を削り、甚大な被害を与えないようにする工事も、兼良が発案した。
本来ならば、男子として相馬藩を継ぐべき存在だったが、側室腹と言うので正妻の娘である姉の夫に、自らその座を譲ったのだった。
藩主の全幅の信頼を受けてもまるで物欲がなく、そのくせ格好はといえば、およそ武人には見えないような女性物の華やかな薄物を、恥ずかしげもなく引っ掛けていたりする。
傾奇者と老人はため息を吐くが、それがまた、似合って映えた。
叔父、安名兼良(かねよし)には、妻女がない。
一人に決めると、大勢の女子が泣くから嫁も貰えぬよと、軽口をたたきながら、あちこちから山ほど降る縁談をはなから無視していた。
双馬藩以外に収まらぬ、自分は根無し草が性に合うのだと、笑っていた。
叔父上の挿絵を描きたかったのですが、どう描いても輪郭が子供になってしまうのでした。
難しいので、想像で補完してね。(´・ω・`) ←だめだった~……
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よろしくお願いします。(〃ー〃)
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