露草の記 (壱) 16
「わたしの自慢の姉上が、こんな男に惚れていたとはねぇ。呆れて涙も出やしませんよ、まったく。」
兼良はそう言いながら、甲斐甲斐しく藩主の夜着を着替えさせていた。
「はは……許せ。兼良が後ろに控えているから、無茶もできる。」
「……で、その乳のでかい愚かな北の方は、我子を跡取りにしてくれと、義兄上に寝物語にねだりましたかな?」
「ああ。だがなぁ、あれはわたしの子ではないから、いくら欲しがっても、双馬の家をやるわけにもいかぬ。」
「は……?今、なんと義兄上。」
「倖丸は、わたしの胤(たね)ではないからの。」
一騎当千の味方と二人きりになり、藩主はぽつりと、とんでもないことを口にした。
「あれは元々、倖丸をどこぞで仕込んだ上で、嫁に来たのじゃ。案外、婚礼についてきた近侍の中に、相手が居るのではないかな。」
兼良は、もうあきれてしまって言葉も出ない。
「倖丸が義兄上の、御子ではなかったとは……。わたしは、跡目争いというからにはてっきり義兄上が、北の方に手を付けたものとばかり思っておりました。」
「同衾はした。据え膳喰わぬは何とやらじゃ。北の方は閨に侍ったが、倖丸はわたしとまるで似てないだろう?子供というのは、小さいだけで愛らしいものだがな。」と、笑う。
「兼良。これを覗いて見よ。」
「なんです?わたしの顔に何かついておりますか?」
手鏡に兼良の端整な顔が写った。
「わしは、死んだお栄や兼良のように、美々しい顔の方が好きじゃ。あの、のっぺりとしたうりざね顔は、何を考えているか読めぬ。」
「でしたら、そんな女を何でお側に……。」といいかけて、止めた。
兼良も、縁談を断れぬ小藩の悲哀を、十分知っていた。
つるりと頬を撫でる義兄の癖が出た。
「弟が出来れば、兄弟の居ない秀佳が喜ぶだろうと思ったんだが、どうやらかえって秀佳を可哀想な目に遭わせてしまったようだ。秋津にも散々文句を言われた。」
「そりゃあ、秋津は怒るでしょうよ。生まれた時から傍に控えていたのですから。」
思わず、ほうっと、幾度目かの盛大なため息をついてしまった。
この男は、こんな所が皆に愛されているのだろう。子どもに玩具を与えるように、本気で秀佳を喜ばせたかったのに、違いなかった。
元々、兼良は姉が身まかったときに、元秀が愚鈍な男なら、藩のためにとうにその座を追うつもりだった。暗愚な藩主を戴くほど、領民にとって不幸はない。
しかし飄々としていながら、藩主は風に向かう柳の枝のように、しなやかでいて決して折れることはない強い芯を持っていた。武門の誉れ高い双馬藩の頭領として、何の欠点もなかった。
「まあ……とにかく、そう聞いて安心しました。倖丸が義兄上のお子でないなら、こちらの好都合と言うものです。秀佳に仇なすものとして、始末も付けやすい。」
兼良は、上手く行くと槍を交えずとも、収められるかもしれないと思った。
これから、農民は繁忙期を迎える。出来れば自軍の犠牲は、最小限に抑えたかった。
*****
二人の密談は、その夜遅くまで続けられた。秀佳の傍に置いた、於義丸の話になった。
兼良は、藩主が拾って来た於義丸が、秀佳を助けた話をした。
ニガクリタケの毒から秀佳を守った於義丸が、その夜遅く双馬藩に関わる重大な秘密を持って、兼良の居室を訪ねたことは、既にかいつまんで話してあった。
「皆が寝静まったら、訪ねてくるようにとあのものに言ってあります。秀佳のことは、於義丸……いや、露丸が上手くやるでしょう。」
「秀佳が、あの秀麗な少年にギギと名付けたとは、いささか驚いた。あやつめ叱ったら、於義丸のギは、忠義の義だと言いおったわ。」
「露丸は、秀佳に名前を貰ってうれしかったんだそうですよ。あ奴もどうやら、寂しい身の上のようです。」
「そうか。拾った於義丸のおかげで、秀佳が命拾いをするな。」
笑うと藩主のやつれた目もとの陰が濃くなった。どうやら、於義丸には「露丸」と言う、姿に似合いの名があるらしい。
二人は、於義丸から得た新しい情報をもとに、今後の作戦を練った。
藩主は、しばらく体力の戻るのを待ち、戦場の押さえどころには兼良が向かう。
「露丸には気の毒だが、下手をすると秀佳の身代わりに死んでもらうことになるかと思います。」
「影を務めさせるのか?」
「露丸が自分で望んだのです。若さまを助けたいと申しておりました。」
巧妙に仕組まれた跡目争いを、逆手に取り油断させて敵を引き込むことになっていた。
露丸の漏らした情報が事実なら、双馬藩の生き残る術はない。金義はは話をさせるため、手を打った。
「於義丸、これへ参れ。」
「は……っ。」
音もなくするりと小さな影が奥へ入り、かしこまった。
今日もお読みいただき、ありがとうございます。
ランキングに参加しております。どうぞよろしくお願いします。
ギギたんは、双馬藩乗っ取りをたくらむ者たちの手によって、送り込まれてきた「草(忍者)」でした。
どんどん秘密が解き明かされてきます。続く~(*⌒▽⌒*)♪ 此花咲耶
兼良はそう言いながら、甲斐甲斐しく藩主の夜着を着替えさせていた。
「はは……許せ。兼良が後ろに控えているから、無茶もできる。」
「……で、その乳のでかい愚かな北の方は、我子を跡取りにしてくれと、義兄上に寝物語にねだりましたかな?」
「ああ。だがなぁ、あれはわたしの子ではないから、いくら欲しがっても、双馬の家をやるわけにもいかぬ。」
「は……?今、なんと義兄上。」
「倖丸は、わたしの胤(たね)ではないからの。」
一騎当千の味方と二人きりになり、藩主はぽつりと、とんでもないことを口にした。
「あれは元々、倖丸をどこぞで仕込んだ上で、嫁に来たのじゃ。案外、婚礼についてきた近侍の中に、相手が居るのではないかな。」
兼良は、もうあきれてしまって言葉も出ない。
「倖丸が義兄上の、御子ではなかったとは……。わたしは、跡目争いというからにはてっきり義兄上が、北の方に手を付けたものとばかり思っておりました。」
「同衾はした。据え膳喰わぬは何とやらじゃ。北の方は閨に侍ったが、倖丸はわたしとまるで似てないだろう?子供というのは、小さいだけで愛らしいものだがな。」と、笑う。
「兼良。これを覗いて見よ。」
「なんです?わたしの顔に何かついておりますか?」
手鏡に兼良の端整な顔が写った。
「わしは、死んだお栄や兼良のように、美々しい顔の方が好きじゃ。あの、のっぺりとしたうりざね顔は、何を考えているか読めぬ。」
「でしたら、そんな女を何でお側に……。」といいかけて、止めた。
兼良も、縁談を断れぬ小藩の悲哀を、十分知っていた。
つるりと頬を撫でる義兄の癖が出た。
「弟が出来れば、兄弟の居ない秀佳が喜ぶだろうと思ったんだが、どうやらかえって秀佳を可哀想な目に遭わせてしまったようだ。秋津にも散々文句を言われた。」
「そりゃあ、秋津は怒るでしょうよ。生まれた時から傍に控えていたのですから。」
思わず、ほうっと、幾度目かの盛大なため息をついてしまった。
この男は、こんな所が皆に愛されているのだろう。子どもに玩具を与えるように、本気で秀佳を喜ばせたかったのに、違いなかった。
元々、兼良は姉が身まかったときに、元秀が愚鈍な男なら、藩のためにとうにその座を追うつもりだった。暗愚な藩主を戴くほど、領民にとって不幸はない。
しかし飄々としていながら、藩主は風に向かう柳の枝のように、しなやかでいて決して折れることはない強い芯を持っていた。武門の誉れ高い双馬藩の頭領として、何の欠点もなかった。
「まあ……とにかく、そう聞いて安心しました。倖丸が義兄上のお子でないなら、こちらの好都合と言うものです。秀佳に仇なすものとして、始末も付けやすい。」
兼良は、上手く行くと槍を交えずとも、収められるかもしれないと思った。
これから、農民は繁忙期を迎える。出来れば自軍の犠牲は、最小限に抑えたかった。
*****
二人の密談は、その夜遅くまで続けられた。秀佳の傍に置いた、於義丸の話になった。
兼良は、藩主が拾って来た於義丸が、秀佳を助けた話をした。
ニガクリタケの毒から秀佳を守った於義丸が、その夜遅く双馬藩に関わる重大な秘密を持って、兼良の居室を訪ねたことは、既にかいつまんで話してあった。
「皆が寝静まったら、訪ねてくるようにとあのものに言ってあります。秀佳のことは、於義丸……いや、露丸が上手くやるでしょう。」
「秀佳が、あの秀麗な少年にギギと名付けたとは、いささか驚いた。あやつめ叱ったら、於義丸のギは、忠義の義だと言いおったわ。」
「露丸は、秀佳に名前を貰ってうれしかったんだそうですよ。あ奴もどうやら、寂しい身の上のようです。」
「そうか。拾った於義丸のおかげで、秀佳が命拾いをするな。」
笑うと藩主のやつれた目もとの陰が濃くなった。どうやら、於義丸には「露丸」と言う、姿に似合いの名があるらしい。
二人は、於義丸から得た新しい情報をもとに、今後の作戦を練った。
藩主は、しばらく体力の戻るのを待ち、戦場の押さえどころには兼良が向かう。
「露丸には気の毒だが、下手をすると秀佳の身代わりに死んでもらうことになるかと思います。」
「影を務めさせるのか?」
「露丸が自分で望んだのです。若さまを助けたいと申しておりました。」
巧妙に仕組まれた跡目争いを、逆手に取り油断させて敵を引き込むことになっていた。
露丸の漏らした情報が事実なら、双馬藩の生き残る術はない。金義はは話をさせるため、手を打った。
「於義丸、これへ参れ。」
「は……っ。」
音もなくするりと小さな影が奥へ入り、かしこまった。
今日もお読みいただき、ありがとうございます。
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ギギたんは、双馬藩乗っ取りをたくらむ者たちの手によって、送り込まれてきた「草(忍者)」でした。
どんどん秘密が解き明かされてきます。続く~(*⌒▽⌒*)♪ 此花咲耶
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