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小説・蜻蛉の記(貴久の心)・10 

家中に噂があるのを、わたしも知っていた。


もしかすると、そうではないかと思ったこともある。


わたしが藩主の座を狙い、兄上を蹴落とそうとしていると誰か口さがない者が、寂しい義母上のお耳に吹き込んだのだろう。


側室を大切にした父上を、義母上は心から信用できなかったのかもしれない。


義母上の愛に飢えた心中を、わたしは察した。


憤懣やるかたない胸の内を、誰にも打ち明けることができなかったのだろうと思うと、義母上も哀れな人だった。


側室さえ居なければと、強い疎外感を抱いていた義母上が必死にわたしの身を排除して、息子を藩主の座へと焦ったのも無理もないことだった・・・と、今は思う。

だからこそ、母上は何も言わず冷たい骸となって、帰る道を選んだのだろうと思う。


母上が誰よりも国を思い、義母上のことも大切に思っていたことを、できるならいつか直に伝えたいと思っていた。


わたしにはその方法が、まるでわからなかったけれど、ある日突然三里藩に届いた九州の島原からの出兵要請は、わたしの心中を義母上にわかってもらえる絶好の機会となった。


わたしと母上の存在が、思いがけず長く義母上を苦しめたなら、母上に代わってわたしは詫びなければならなかった。


気性の真っ直ぐな大輔は、納得できずわたしの不自由になってしまった足の責任を求めて、義母上の話を聞くたびきりきりと苛立っていた。


それでもわたしには、誰もいない義母上とは違って大輔がいてくれた。


それだけで他に、何も必要がなかった。


・・・だが、いつまでもこのままではいられまい。


いつかわたしの手元から、大輔を自由に手放してやらなければ、大切な烏帽子親のお二人もその手に孫を抱くことは一生かなわないだろう。


何しろ大輔は、年頃になったのだから、おまえもそろそろ嫁取りをしろと家中のものに言われても


「生涯、貴久さまのお側でお役に立つことが、わたしの望みです。」


と、臆面もなく誰にでも正面切って宣言するのだ。


聞いた方が、うっかり赤面しそうなほど、真っ直ぐな瞳で。



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