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小説・蜻蛉の記(貴久の心)・12 

わたしは、普段から自分の身ぐらいは守れるようにと、大輔と共に鍛錬を怠ってはいなかった。


ただ情けないことに、健康なときは剣術は好きだったが、上半身ばかりでは刀や槍をさばききれず、情けなくも輿の上から何度も落下することになっていた。


体が傾けば、力の入らない悲しさ、そのまま惰性で地面にずり落ちてしまう。


なんとも歯痒かったが、こればかりは仕方のないことと半分あきらめていた。


あきらめなかったのは大輔で、貴久さまにできぬはずがないと言い張って、宮大工に無理を言いとうとう体がずり落ちないよう固定する方法を考え出した。


関が原の戦の折に、輿に乗って奮戦した武将がいると聞けば遠くまで行って、どんなこしらえのものか聞いたり文献を調べたりもした。


その頃になると、もう大工の棟梁にも大輔の熱が移って懸命になってしまって、夜半過ぎてもわたしをそっちのけであれこれ工夫を凝らしていた。

大輔と棟梁が寝る間も惜しんでこしらえた輿は、評議の席に間に合い、わたしは藩主である父上の眼前で御前試合をする仕儀となる。


久しぶりにお会いする父上は、以前と変わってはいなかったが、どこかよそよそしい気がした・・・


一人では父上の前にかしこまることもできず、ほんの少し、皆の前に出てきたことを後悔したが、わたしは大輔のためにも、藩内でも手練れと名高い西山殿と剣を交え、遜色のない腕だと父上に披露したかった。


いささか緊張はしたが、大輔の手を借りて首尾よく一本取ることができ、安堵したわたしは家中の者から思いがけない喝采を浴びることになった。


ふと気が付けば、わたしよりも大輔のほうが上気した誇らしげな顔をしていて、顔を見合わせてわたし達は笑った。


くすぐったいような気持ちで、父上から初陣の許可を得てわたしは亡き母上に感謝した。


この上は、父上の旧知のご友人の加勢をして、存分に華々しい働きをするのが勤めであると、深く肝に銘じた。

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