終(つい)の花 17
直正は背を向けてその場にしゃがみこむと、お乗りと声をかけてやった。
「わたしの御背(おせな)は温かいよ、ほら。」
そっと身を預けると、ほんのりと背中から体温が伝わってくるような気がして、一衛は直正の背に頬をすりすりとこすりつけた。
「直さま……。」
「わたしはね、一衛は父上がに蝦夷に行ってしまわれたのに、泣かずに母上をきちんと守ってえらいなぁといつも思っているんだよ。」
「あい。一衛は父上と「げんまん」をしたのです。母上はか弱い女子なのだから、男子の一衛が守ってあげなければいけないよと、文にも書いてありました。」
「そうか。一衛は濱田家の嫡男だからな。」
「蝦夷に出立する前に、母上は中野さまのお嬢さまになぎなたをお教えするくらい、お強いのに、なぜ一衛がお守りせねばならぬのですかと、父上に聞いたことが有るのです。」
「そう。叔父上は何とおっしゃったの?」
「父上は、わたしが言うのはそういう強さではないのだとおっしゃって……でも、一衛には母上のか弱さがよく分かりませぬ。直さまには分かりますか?」
「そうだなぁ。」
直正は微笑んだ。
会津には後に娘子隊と呼ばれる女性ばかりの軍隊が出来るほど、武士の妻女は武芸が達者だった。後世に名を残した山本八重のように、男装して自動装填小銃を扱う剛の者もいた。
会津では優秀な女性が数多く輩出し、その気丈な彼女達の産み育てる子らもまた優秀だった。
類まれなる誇るべき会津武士道を、子供たちは母親達から叩き込まれて成長してゆく。
「叔母上は一衛の前では、叔父上のいない寂しさを我慢しているのかもしれないね。……一衛?」
背中に負ぶった一衛が、くすんと鼻を鳴らしたのを直正は聞き逃さなかった。
「父上が恋しいか?」
「い……いえ。そのような女々しいことを言っては、母上に叱られます。武家の男児は強くあらねばならないのです。」
そっと、背中から下ろして小さな会津武士の目線に座ると覗き込み、直正は笑った。
「一衛は強いな。わたしが一衛の年なら、父上が蝦夷に行ってしまわれたら、逢いたくてきっと泣くだろうな。一衛は、わたしよりも8つも小さいのだから、二人きりのときは本当のことを言ってもいいんだよ。叔母上にも誰にも言わないから、言ってごらん。直さんと二人きりの秘密だ。何か、悲しいことが有ったんだろう?」
んっ?と優しい顔を向けられて、一衛はとうとうぽつりと本音を漏らした。
「什の組の弥一さんが……父上に雪だるまを作っていただいたと、皆さまに自慢したのです。一衛は、弥一さんがうらやましかったのです。藩のお勤めが一番大事ですけれど……一衛も弥一さんのように、父上とご一緒に、雪うさぎを……作り……たい……ひっ……く……」
手の甲で、泣くまいと歯を食いしばってもこぼれてくる涙をぬぐった。
「そうか。一衛は父上がお役目で中々お帰りではないから、寂しかったのだな。それにしても、一衛は雪だるまじゃなくて小さな雪うさぎのほうがいいのか?」
「あい……。一衛は……雪だるまは、夜になるとのしのしと歩く気がするのです。雪うさぎは南天の赤い実が可愛らしいから……一衛は、雪うさぎの方がいいのです。」
「そうか。じゃあ、次の天気のいい日に綿入れを着て、わたしと一緒に雪うさぎを作ろうか。父上ではないけれど、わたしでもいいか?」
「あい。直さま。一衛は直さまに、一等良く出来たのを差し上げます。」
「そうか。楽しみにしていよう。可愛いのをこしらえてくれよ。」
「あい。」
ずっと隠してきた父親のいない寂しさを、ぽつぽつと話す一衛がいじらしく、しばらく話を聞いてやった。
兄弟もいない一衛の肩には、父のいない寂しさを分かつ相手もなく、重くのしかかっているのだろう。
もっと早く気がついてやればよかったと……直正は一人ごちた。
やがて直正は寒さに震える紫色の唇を認め、一衛を背負うと急ぎ足で帰宅した。
「叔母上。ただいま帰りました。」
「直さま。お帰りなさい。一衛も一緒だったのですか?」
「はい。表で長話をしていたので冷え切ってしまいました。気付かなくてすみません。早く温めてやってください。」
直正は自分の襟巻を一衛に巻いてやったが、一衛は歯を走らせて震えていた。
表で直正を待つ間に尿意を覚え、小用を足したとき指がかじかんで下帯を濡らし、そこから腹が冷えたらしい。
芯から冷えた一衛は、すぐに家人に湯を立ててもらったが結局風邪を引き、直正の心配通り高い熱を出してしまった。
叔母は、一衛の父が藩の御用で蝦夷へ行って以来、父の分もと一層厳しくしつけていたからだ。
本日もお読みいただきありがとうございます。
(。´・ω`)ノ(つд・`。)・゚+「直さま、あのね……」「うんうん」
武家の嫡男は小さくても大変なのです。
ちびって濡れている一衛をおぶって、直正が家路につきます。
(°∇°;) 「あれ……背中が冷たい?」
(´;ω;`) 「……」
(〃ー〃)「ま、いいか~」
明日もお読みいただければうれしいです。 此花咲耶
「わたしの御背(おせな)は温かいよ、ほら。」
そっと身を預けると、ほんのりと背中から体温が伝わってくるような気がして、一衛は直正の背に頬をすりすりとこすりつけた。
「直さま……。」
「わたしはね、一衛は父上がに蝦夷に行ってしまわれたのに、泣かずに母上をきちんと守ってえらいなぁといつも思っているんだよ。」
「あい。一衛は父上と「げんまん」をしたのです。母上はか弱い女子なのだから、男子の一衛が守ってあげなければいけないよと、文にも書いてありました。」
「そうか。一衛は濱田家の嫡男だからな。」
「蝦夷に出立する前に、母上は中野さまのお嬢さまになぎなたをお教えするくらい、お強いのに、なぜ一衛がお守りせねばならぬのですかと、父上に聞いたことが有るのです。」
「そう。叔父上は何とおっしゃったの?」
「父上は、わたしが言うのはそういう強さではないのだとおっしゃって……でも、一衛には母上のか弱さがよく分かりませぬ。直さまには分かりますか?」
「そうだなぁ。」
直正は微笑んだ。
会津には後に娘子隊と呼ばれる女性ばかりの軍隊が出来るほど、武士の妻女は武芸が達者だった。後世に名を残した山本八重のように、男装して自動装填小銃を扱う剛の者もいた。
会津では優秀な女性が数多く輩出し、その気丈な彼女達の産み育てる子らもまた優秀だった。
類まれなる誇るべき会津武士道を、子供たちは母親達から叩き込まれて成長してゆく。
「叔母上は一衛の前では、叔父上のいない寂しさを我慢しているのかもしれないね。……一衛?」
背中に負ぶった一衛が、くすんと鼻を鳴らしたのを直正は聞き逃さなかった。
「父上が恋しいか?」
「い……いえ。そのような女々しいことを言っては、母上に叱られます。武家の男児は強くあらねばならないのです。」
そっと、背中から下ろして小さな会津武士の目線に座ると覗き込み、直正は笑った。
「一衛は強いな。わたしが一衛の年なら、父上が蝦夷に行ってしまわれたら、逢いたくてきっと泣くだろうな。一衛は、わたしよりも8つも小さいのだから、二人きりのときは本当のことを言ってもいいんだよ。叔母上にも誰にも言わないから、言ってごらん。直さんと二人きりの秘密だ。何か、悲しいことが有ったんだろう?」
んっ?と優しい顔を向けられて、一衛はとうとうぽつりと本音を漏らした。
「什の組の弥一さんが……父上に雪だるまを作っていただいたと、皆さまに自慢したのです。一衛は、弥一さんがうらやましかったのです。藩のお勤めが一番大事ですけれど……一衛も弥一さんのように、父上とご一緒に、雪うさぎを……作り……たい……ひっ……く……」
手の甲で、泣くまいと歯を食いしばってもこぼれてくる涙をぬぐった。
「そうか。一衛は父上がお役目で中々お帰りではないから、寂しかったのだな。それにしても、一衛は雪だるまじゃなくて小さな雪うさぎのほうがいいのか?」
「あい……。一衛は……雪だるまは、夜になるとのしのしと歩く気がするのです。雪うさぎは南天の赤い実が可愛らしいから……一衛は、雪うさぎの方がいいのです。」
「そうか。じゃあ、次の天気のいい日に綿入れを着て、わたしと一緒に雪うさぎを作ろうか。父上ではないけれど、わたしでもいいか?」
「あい。直さま。一衛は直さまに、一等良く出来たのを差し上げます。」
「そうか。楽しみにしていよう。可愛いのをこしらえてくれよ。」
「あい。」
ずっと隠してきた父親のいない寂しさを、ぽつぽつと話す一衛がいじらしく、しばらく話を聞いてやった。
兄弟もいない一衛の肩には、父のいない寂しさを分かつ相手もなく、重くのしかかっているのだろう。
もっと早く気がついてやればよかったと……直正は一人ごちた。
やがて直正は寒さに震える紫色の唇を認め、一衛を背負うと急ぎ足で帰宅した。
「叔母上。ただいま帰りました。」
「直さま。お帰りなさい。一衛も一緒だったのですか?」
「はい。表で長話をしていたので冷え切ってしまいました。気付かなくてすみません。早く温めてやってください。」
直正は自分の襟巻を一衛に巻いてやったが、一衛は歯を走らせて震えていた。
表で直正を待つ間に尿意を覚え、小用を足したとき指がかじかんで下帯を濡らし、そこから腹が冷えたらしい。
芯から冷えた一衛は、すぐに家人に湯を立ててもらったが結局風邪を引き、直正の心配通り高い熱を出してしまった。
叔母は、一衛の父が藩の御用で蝦夷へ行って以来、父の分もと一層厳しくしつけていたからだ。
本日もお読みいただきありがとうございます。
(。´・ω`)ノ(つд・`。)・゚+「直さま、あのね……」「うんうん」
武家の嫡男は小さくても大変なのです。
ちびって濡れている一衛をおぶって、直正が家路につきます。
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(´;ω;`) 「……」
(〃ー〃)「ま、いいか~」
明日もお読みいただければうれしいです。 此花咲耶
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