終(つい)の花 10
「一衛!」
名を呼べば、橋の上で固まっていた一衛は、ちらとこちらを向いた。
戻した視線は水面に注がれていた。
「そこにじっとしておいで。いいね。怖くとも、わたしが行くまで決して立ち上がってはいけないよ。」
「直さま……直さまが作ってくださった……竹とんぼが、あそこに。」
「ん?竹とんぼ?怖くて足がすくんだのではなかったのか。」
細い橋の上から、一衛は渦の中でくるくる回るおもちゃを指さした。
「ああ、落してしまったのか。」
「あい。」
「よし、取って来てやろう。」
「直さま?」
「一衛を頼む。」
「え?直さん。川は駄目だ。ほら。川岸を削るほど水が速いのだから。」
「水練は得意だ。このくらい雑作も無いさ。」
「網を探して来よう。」
「いや。いい。回っているうちに早く取ってやらないと、直ぐにも流れてしまいそうだ。」
細い橋の上で、友人の手に一衛を渡し、書物と刀を預けると直正は迷うことなく着物を脱ぎ、下帯一つになると、ざぶりと水かさの増した激流へと身を投じた。
「あっ!直さんっ!?」
「やめろって!」
濁り水はうねり、たちまち直正は飲み込まれた。
姿が見えなくなった一衛は、思わず悲鳴を上げた。
「直さま~っ!」
「いかん!直正が溺れる!誰か、助けを……あっ!浮かんだぞ。」
「大丈夫か、直さん!」
ぷかりと頭が浮かぶと、そのまま直正は抜き手を切った。反対の川岸へと向かおうとしている。
しかし水流は激流となって直正を飲み込もうと襲った。水流に抗う直正はなすすべもなく濁流に流されてゆく。
「直さま~っ!」
一衛は年長者の手を振りほどくと、細い橋を向こう岸まで一気に走った。
直正の身体は濁り水に揉まれながら、どんどん下ってゆく。
「しっかりっ、直さま!」
「一衛の所まで!もう少しです!」
一衛の声に励まされるように、直正が岸に近づいて来る。
懸命に手を伸ばし、一衛は直正を捕まえようと必死になった。足元がずぶりと柔らかくなった土に沈み込むのも気にせず、一衛は全身を投げ出すようにして腕を伸ばす。
「直さま、もう少し!」
「直さん、しっかり。」
「腕を伸ばして、掴まれ!」
「直さまっ!」
直正がやっとの思いで握った一衛の手を、背後から追ってきた子供たちの手が支え、直正の身体を引き上げようとするが、思いのほか水の勢いが強く、なかなか川岸へ上がれない。
子どもたちの騒ぐ声に、近くで野良仕事をしていた男が気付き、ぐいと直正の両手を掴み岸へと引きずり上げてくれた。
その場で大きく肩で息をする直正に、一衛はしがみついた。
「直さま!直さま……ぁ……あ~ん……」
息を整えた直正は、一衛の手を開かせると咥えて来た小さな木片を乗せてやった。
「ほ、ら……一衛。これだろう?」
「……あい。」
「直さん、無茶をするなぁ。」
「飛び込んだところからだと、そうとう流されたな。」
「……ああ。……げほっ……」
「若さまは、水が怖くはなかったので?」
引き上げてくれた壮年の農民が、呆れながら竹筒に入った水をくれた。
「水練はこういう時の為に習っているのです。なれど……思ったよりも水の勢いが強く、さすがに水から上がる時は足に力が入りませんでした。助けが無ければそのまま流れて行ってしまうところでした。御助勢かたじけない。」
直正は衣類を整えると、手を貸してくれた男に頭を下げて礼を言った。
「あなたの家と名前を教えてください。後でお礼に伺います。」
「なんの。そんなことより、こちらの坊の目が涙で溶けてしまいそうだ。」
「一衛……?」
一衛は軸の折れてしまった竹とんぼを握り締めて、えぐえぐとしゃくりあげていた。
本日もお読みいただきありがとうございました。
(。´・ω`)ノ(つд・`。)ノT 「竹とんぼ壊れちゃったね……よしよし。」「え~ん……直さま……」
毎日、いろいろなことがあります。 此花咲耶
名を呼べば、橋の上で固まっていた一衛は、ちらとこちらを向いた。
戻した視線は水面に注がれていた。
「そこにじっとしておいで。いいね。怖くとも、わたしが行くまで決して立ち上がってはいけないよ。」
「直さま……直さまが作ってくださった……竹とんぼが、あそこに。」
「ん?竹とんぼ?怖くて足がすくんだのではなかったのか。」
細い橋の上から、一衛は渦の中でくるくる回るおもちゃを指さした。
「ああ、落してしまったのか。」
「あい。」
「よし、取って来てやろう。」
「直さま?」
「一衛を頼む。」
「え?直さん。川は駄目だ。ほら。川岸を削るほど水が速いのだから。」
「水練は得意だ。このくらい雑作も無いさ。」
「網を探して来よう。」
「いや。いい。回っているうちに早く取ってやらないと、直ぐにも流れてしまいそうだ。」
細い橋の上で、友人の手に一衛を渡し、書物と刀を預けると直正は迷うことなく着物を脱ぎ、下帯一つになると、ざぶりと水かさの増した激流へと身を投じた。
「あっ!直さんっ!?」
「やめろって!」
濁り水はうねり、たちまち直正は飲み込まれた。
姿が見えなくなった一衛は、思わず悲鳴を上げた。
「直さま~っ!」
「いかん!直正が溺れる!誰か、助けを……あっ!浮かんだぞ。」
「大丈夫か、直さん!」
ぷかりと頭が浮かぶと、そのまま直正は抜き手を切った。反対の川岸へと向かおうとしている。
しかし水流は激流となって直正を飲み込もうと襲った。水流に抗う直正はなすすべもなく濁流に流されてゆく。
「直さま~っ!」
一衛は年長者の手を振りほどくと、細い橋を向こう岸まで一気に走った。
直正の身体は濁り水に揉まれながら、どんどん下ってゆく。
「しっかりっ、直さま!」
「一衛の所まで!もう少しです!」
一衛の声に励まされるように、直正が岸に近づいて来る。
懸命に手を伸ばし、一衛は直正を捕まえようと必死になった。足元がずぶりと柔らかくなった土に沈み込むのも気にせず、一衛は全身を投げ出すようにして腕を伸ばす。
「直さま、もう少し!」
「直さん、しっかり。」
「腕を伸ばして、掴まれ!」
「直さまっ!」
直正がやっとの思いで握った一衛の手を、背後から追ってきた子供たちの手が支え、直正の身体を引き上げようとするが、思いのほか水の勢いが強く、なかなか川岸へ上がれない。
子どもたちの騒ぐ声に、近くで野良仕事をしていた男が気付き、ぐいと直正の両手を掴み岸へと引きずり上げてくれた。
その場で大きく肩で息をする直正に、一衛はしがみついた。
「直さま!直さま……ぁ……あ~ん……」
息を整えた直正は、一衛の手を開かせると咥えて来た小さな木片を乗せてやった。
「ほ、ら……一衛。これだろう?」
「……あい。」
「直さん、無茶をするなぁ。」
「飛び込んだところからだと、そうとう流されたな。」
「……ああ。……げほっ……」
「若さまは、水が怖くはなかったので?」
引き上げてくれた壮年の農民が、呆れながら竹筒に入った水をくれた。
「水練はこういう時の為に習っているのです。なれど……思ったよりも水の勢いが強く、さすがに水から上がる時は足に力が入りませんでした。助けが無ければそのまま流れて行ってしまうところでした。御助勢かたじけない。」
直正は衣類を整えると、手を貸してくれた男に頭を下げて礼を言った。
「あなたの家と名前を教えてください。後でお礼に伺います。」
「なんの。そんなことより、こちらの坊の目が涙で溶けてしまいそうだ。」
「一衛……?」
一衛は軸の折れてしまった竹とんぼを握り締めて、えぐえぐとしゃくりあげていた。
本日もお読みいただきありがとうございました。
(。´・ω`)ノ(つд・`。)ノT 「竹とんぼ壊れちゃったね……よしよし。」「え~ん……直さま……」
毎日、いろいろなことがあります。 此花咲耶
- 関連記事
-
- 終(つい)の花 17 (2015/04/17)
- 終(つい)の花 16 (2015/04/16)
- 終(つい)の花 15 (2015/04/15)
- 終(つい)の花 14 (2015/04/14)
- 終(つい)の花 13 (2015/04/13)
- 終(つい)の花 12 (2015/04/12)
- 終(つい)の花 11 (2015/04/11)
- 終(つい)の花 10 (2015/04/10)
- 終(つい)の花 9 (2015/04/09)
- 終(つい)の花 8 (2015/04/08)
- 終(つい)の花 7 (2015/04/07)
- 終(つい)の花 6 (2015/04/06)
- 終(つい)の花 5 (2015/04/05)
- 終(つい)の花 4 (2015/04/04)
- 終(つい)の花 3 (2015/04/03)