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終(つい)の花 19 

一衛が会津の藩校、日新館に入学した翌年。

成績優秀な直正は推挙されて幕府直轄の江戸の学問所、昌平黌(しょうへいこう)遊学が決まった。
昌平坂聖堂、昌平坂学問所とも呼ばれたこの場所は、明治政府の学制改革によって閉鎖されてしまったが、幕末当時の学問所としては、諸藩の秀才が集まったことで知られる。

日新館では、少年達への会津建藩精神の高揚と、高潔な「会津士魂」を養成する為、日新館童子訓の口述、講義を行っていた。
日新館童子訓というのは、会津論語とも称されるべきもので、入学した子供たちは最初にこれを学ぶ。
主君への「忠」や父母への「孝」などを細かく説いた道徳の書で、会津武士を支える精神の根幹ともなっている。
人として正しい生き方を送るための精神的基盤として、幼い頃より素読と講義によって諳んじるほど徹底的に叩きこまれ、会津藩子弟の生き方に影響を及ぼすこととなる。
後世の人がほめそやし、海外からも称賛を受けた白虎隊の少年たちの「武士道の精華」は、会津藩誕生以来、綿々と受け継がれてきた道徳教育のたまものだった。

*****

遊学前、直正は多忙な教授方に代わり時々、講義をかってでていた。

「あ、直さま……。」

渡り廊下で、一衛と出くわした。
入学以来、一衛はどこか余所余所しくなっている。
言葉を交わさない日もあった。
静かに目礼する一衛に、思わず声を掛けた。

「久し振りだな。日新館童子訓の講義は終わったのか?」
「あい、お久しぶりでございます。もう空んじていますから、一衛も直に進級のお許しをいただけそうです。」
「頑張っているのだな。」
「あい。」
「ぷ……一衛。そのような凛々しい顔をしても、返事が「あい」ではいつまでも童だと笑われるぞ。午後からは槍術の時間だな。遅れるといけないから、早くお行き。」
「あい。……あ。」
「はは……、しっかりな。」
「失礼いたします。」

少々舌足らずな一衛は、今も小さな子供のように「あい」と返事をする。

「ん?」

ふと気づけば、急ぐ一衛の手の甲に包帯が巻かれている。
足もゆっくりと引きずるようにしていた。

「一衛!お待ち。その手はどうしたのだ?」

聞こえないふりをして、一衛は急いで歩を進めようとした。

「待てというのに。」

腕を引っ張ると、一衛は走った苦痛に小さく顔を歪めた。

「……っ!た……っ、大したことはありません。槍術の修練の成果です。」
「見せてごらん。」
「大丈夫……あっ。」

藩校ではすべての武芸の修練の熟達よりも、精神の鍛錬に重点が置かれる。
一衛も他の者と同じように、決して弱音を口にする事は無かった。
振り払おうとした手を掴むと、自分で不器用に巻き付けただけの白布を解き、隠された傷を見た直正は、眉をひそめた。
色を変えてぷくりと腫れた甲と、親指の付け根を隠すためだけに包帯を巻いている。
おそらく引きずる足も同じ状態なのだろう。

「ひどく腫れているではないか。こんな手当てでは駄目だ。帰りにうちにお寄り。手当ての仕方を教えてやろう。」
「平気です。このようなかすり傷、手当ての必要などありません。」
「一衛。いいか?やせ我慢も良いが、手当てを怠ると直りが遅くなる。下手をすると傷めた筋が固まって、指が曲がらなくなったりして刀を握れなくなるかもしれない。そうなると取り返しがつかないよ。」
「……」
「いざ出陣のときに、刀も持てないでお役目を果たせないでどうするね?怪我の治療を恥じてはいけない。いつどんな時も、力を発揮できるようにしておくのも、鍛練の内だ。」
「あい……。」
「わたしは先に帰っているから、帰りに必ずうちに来るんだよ、いいね?」

直正のいつにない厳しい口調に、一衛はやっとこくりと頷いた。




本日もお読みいただきありがとうございます。

Σ( ̄口 ̄*)「一衛、この怪我は?」
|・ω・`) 「な、なんともないです~」

(。´・ω`)ノ(つд・`。)・゚+「本当は痛いんだろう?」「……あい。」

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