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終(つい)の花 14 

父は直正に盃を渡した。

「いずれは、直正も若殿さまを見習って、良き嫁御を迎えねばならんの。」
「……はぁ?」
「なんだ。鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして。男子たる者、当然の務めではないか。そろそろ許嫁が居ても、おかしくはないぞ?わたしがそなたの年には、すでに香苗と一緒になると心に決めていたのだからな。直正には、誰ぞ気になる女子はおらぬのか?」
「……わたしには学ぶべきことが多すぎて、嫁取りの話など考えたこともありません。突然そのような話をされても、面食らってしまいます。」
「堅物め。直正に任せておいたら、隣りの一(かず)坊の方が先に嫁御を迎えるようなことになるかもしれんな。」
「一衛が……嫁取り……?」

つきんと鋭く打った鼓動が、何故か胸を騒がせた。
そんなことは一度も考えた事は無い。

「不思議か?一衛は女子のように優しい顔立ちをしているが、あれでもれっきとした濱田家の嫡男だ。男児の印もついておるぞ。いずれは濱田の家を継ぐのだからいつまでも、直正の後を付いて歩くひな鳥ではいられまい。」

直正は、一衛が自分から離れる日が来ることを考えてもみなかったことに気付き、狼狽していた。

「しかし父上。お言葉を返すようですが、わたしはともかくとしても、一衛はまだ日新館にも上がっていない幼い童ですよ。」
「なんの、月日の立つのは早いものだ。直正が追鳥狩の演習場で、若殿さまにお声を掛けていただいたのも、今の一衛と同じ年くらいではなかったかな。つい昨日の事のようではないか。」
「ええ。そう言えば、一衛が生まれたばかりの頃でした。殿に助けていただいたあの日から、直正はいつか身命を賭して殿の御役に立ちたいと誓ったのです。」
「日新館でも良く励んでいると聞いているぞ。直正は頭が良いから、わたしも鼻が高い。此度の試験も褒賞は貰ったか?」
「はい。褒美にいただいた本は、同じものを持っていますので一衛に届けてやりました。一衛も直さまのようになるのだと、素読書や丘隅先生の所でずいぶん頑張っているようです。直正も負けてはいられません。」
「そうか。まあ、しっかりやりなさい。」
「はい。それと、直正は父上に折入ってご相談があります。」
「なんだ?」

直正は、今日の出来事を話した。
助けてくれた農夫に、どうお礼をすればいいでしょうかと尋ねた所、父は笑って農作業の手伝いをすればよかろうと告げた。

「農作業ですか?でも、わたしは農家の仕事はしたことがありません。何もわからぬ手伝いなど、かえって迷惑になるやもしれませぬ。」
「それは直正ではなく、向こうが決める事だ。われらが禄を頂けるのは殿のおかげだが、それも百姓が常日頃励んで年貢を納めてくれるからだ。ありがたいと思わねばならぬ。百姓は米を作り、我らは有事の際には国を守る。互いに仕事は違うが学ぶべきことはある。知らぬなら頭を下げて教えを請えばよいではないか。恩人に頭を下げるのは恥じる事ではない。」
「はい。」
「生まれが武士だからと言って、それに甘んじてはならぬ。礼がしたいのであれば、助けてくれた相手が喜ぶことをして返せばいい。それに、鍬を振るうのは、剣術の良い鍛錬になるぞ。」
「そうですか。では、しばらくお手伝いに参ります。」
「わたしも明日は非番だから、同道してやろう。礼も言いたいしな。田畑の雑草取りは人手が幾つあっても足りないはずだ。」
「父上が農作業をなさるのですか?」
「驚く事は無かろう。家老の西郷さまなど、名主の家へ家族を連れてしょっちゅう手伝いに出かけておる。相手の方が最初は恐縮していたが、今では薪割りなども当てにしているそうだ。打ち解けて来ると、彼らの思いも良くわかる。」

父の言葉を聞き、直正は西郷頼母の意外な面を見た思いだった。
いつか、ならぬことはならぬと直正を叱責した西郷頼母は、短躯で陰では達磨と言われている。
藩政に関しては、忌憚なく意見を述べるので重臣の中でも煙たがる向きも多い。その頼母は意外にも、庄屋と懇意にし野良仕事も手伝っているらしい。

数年後、幕府は会津藩に京都守護職を押し付けたが、その時も西郷頼母は信念通り真っ向から反対した。
何度、家老職を解かれても、その度に復権したのは、容保に対するくどすぎる諫言も心底藩を思っての事と誰もが認めていたのかもしれない。




本日もお読みいただきありがとうございます。
一衛が嫁を貰うと言ったら、直正はどうするのでしょうね~(〃゚∇゚〃)

過去作品をまとめてお読みくださった方。たくさんの拍手をありがとうございました。うれしかったです。
拙い小説をブログで発表し始めて、数か月たった時、初めて拍手とコメントをいただいた時のことを思い出しました。
とても励みになります。     此花咲耶


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